地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

東京都の難読小学校名  何と読みますか ⑦

2018年06月27日 11時18分01秒 | Weblog
①中野区立美鳩小学校   中野区若宮3丁目  
②杉並区立八成小学校 杉並区井草2丁目
③杉並区立四宮小学校  杉並区上井草2丁目
④杉並区立三谷小学校   杉並区上井草3丁目
⑤杉並区立沓掛小学校   杉並区清水3丁目
⑥北区立小学校   北区赤羽北2丁目   
⑦北区立谷端小学校  北区滝野川7丁目    
⑧荒川区立赤土小学校  荒川区東尾久2丁目    
⑨荒川区立峡田小学校  荒川区荒川3丁目   
⑩板橋区立新河岸小学校  板橋区新河岸1丁目

 読みなど

① みはと 昭和29年4月,若宮小学校と大和小学校が統合して開校。
② はちなり 昭和30年4月,八成町名(昭和7~38)に開校。町名は,千川上水の八成橋とかかわる伝承があり,観泉寺住職は経典から八成(はっせい)橋と命名したが,住民はいつしか「はちなり」と読み,地名になったという。
③ しのみや 昭和26年1月 四宮町(昭和9~39)に開校。地名は江戸期の下井草村の小字で,神社名に由来するかという。四宮の地名は消滅した。
④ さんや 昭和31年4月,三谷町(昭和8~39)に開校。三谷は雑木の採集場や山野を開墾した所の意か,本村の近くに開墾した分村の意かともいわれる。かつて目黒区にも三谷町(昭和7~42)があった。三谷を「さんや」と読む地名はないようだ。
⑤ くつかけ 昭和28年3月,沓掛町(昭和7~40)に開校。沓掛は各地に多く見られ街道添いの地名で,旅人はここで破れかけたワラジを脱いで,店にカケてあるのを買って履き替えたことに由来するという。当地は所沢道やその他古道に関係があるのでなかろうかという。
⑥ ふくろ 平成14年4月に北園小学校と袋小学校が統合して,新生の袋小学校となる。校名は旧袋小学校の所在地の袋町(昭和7~47)から。袋町の町名は消滅したが,小学校のほか公園などにその名を残す。1文字校。
⑦ やばた 昭和9年5月開校。校名は,開校時に当校の南を流れていた谷端川に由来。水源は現豊島区要町の粟島神社の弁天池。現在はほぼすべての区間が暗渠の下水道幹線として利用されている。谷端川は消滅したが,谷端川南緑道(豊島区西池袋4丁目),谷端川北緑道(池袋本町3丁目),谷端川親水公園(池袋3丁目),谷端川児童遊園(板橋区熊野町)などにその名を残している。
⑧ あかど 大正13年(1924)5月,北豊島郡尾久町の尾久小学校より分かれ,尾久町大字下尾久字赤土に赤土小学校として設立。校名の由来となった赤土の地名は昭和7年の荒川区の成立に伴い廃止されたが,小学校のほか,東京都交通局日暮里・舎人ライナーの「赤土小学校前駅」としてその名を残す。なお,駅名に大学名や高校名が付いたものはいくつかあるが,小学校の名前が付いているのは極めて珍しい。
⑨ はけた 校名は,この地域がかつて武蔵国豊島郡の峡田領に属していたことから命名されたものとみられる。領名の由来を『新編武蔵風土記稿』は「谷中より西ヶ原,王子辺等峡多き処なれば,彼地より起こし名にて,後年広く及びしものなり」と記している。峡田の地名は消滅したが,現在,荒川区内には峡田小のほか,第二峡田小,第三峡田小,第四峡田小,第五峡田小,第七峡田小,第九峡田小や峡田交番にその名を残す。ハケとは崖のことで,峡田は崖下の田の意。
⑩ しんがし 昭和52年4月設立。校名は,新河岸川(総延長26㎞,東京都区内8㎞)に因む。同川は埼玉県川越市東方の伊佐沼を水源に,都北端を荒川と並行して流れ,北区志茂(しも)で荒川と合流する。江戸期から昭和初期まで,江戸~川越を結ぶ産業航路として利用された。

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