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日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「灯台へ(世界文学全集Ⅱ-01)」ヴァージニア・ウルフ著(鴻巣友季子訳)河出書房新社

2009-03-10 | 外国の作家
「灯台へ(世界文学全集Ⅱ-01)」ヴァージニア・ウルフ著(鴻巣友季子訳)河出書房新社を読みました。
リース著の「サルガッソーの広い海」も一緒に収められています。(こちらは未読)

大学の英語の授業でウルフの短編「キュー・ガーデン」を読んだことがあり、その美しい文章にうっとり。いつかウルフのほかの作品も読んでみたいと思いながら時は流れ、池澤夏樹さん個人編集の世界文学全集シリーズにウルフが収められていることを知り、新訳で読むことに。

作品は灯台を望む小島の別荘が舞台。
第一部は神秘的に明滅する灯台へのピクニックを明日に控え、楽しみにしている母ラムジー夫人と幼い息子ジェイムズ。そして夜にラムジー家の食卓に集まる客人たちの一日が描かれます。
第二部は第二次世界大戦が起き、ラムジー家のその後の消息が短い文章で語られます。
第三部は第一部から十年の歳月を経た、ある一日。
いまは亡き夫人の姿をキャンバスに捉えようとする女性画家リリー・ブリスコウ。そして灯台にたどりついたラムジー親子の姿が描かれています。

美しく働き者で、8人の子を育てる50歳のラムジー夫人。若い人たちを結びつけることも好きで、貧しい人々の家を見舞う、優しく世話好きで良識の見本のような女性。この作品で私が感じたのはラムジー夫人の魅力に尽きます。自分もこんなお母さんになれたらなあ。
彼女はただふわふわと優しいのではなく、苦しみも知っていて、人に自分の手を与えるのを喜びとしているからです。

「いいえ、別に「悲観的」になっているんじゃない。ただ、わたしは人生というものをまじめに考えているだけ。
でも実を言うと、変な話、この人生なるものは、おおかた恐ろしくて、意地悪で、隙を見せたらすぐに襲い掛かってくるものに思えた。人生には、永遠の難問がいろいろとある。厄災、死、貧しい人々。それでも、子どもたちには「しっかりやっていくように」と言ってあった。子どもたちの行く末になにが待ち受けているか、愛があり志があり、それでも独りさみしく不遇をかこつこともあると、知っているからこそ、しばしばあんな気持ち(子ども時代が一番幸せだという気持ち)を抱くのだ。」

人の世話が大好きなラムジー夫人ですが、独りの時間を愛する姿も。

「子どもが寝た後ばかりは、だれの心配をする必要もない。本来の自分でいられる。独りになれる。今の自分に必要なのは、それなんだと思う、考えること。
いえ、考えるとまでは言わない。せめて黙って静かに過ごしたい。独りでいたい。ふだん人と一緒にいると、ついあれこれに手を出し、うわべを飾り立て、とかくおしゃべりが多くなるものだけれど、独りになったらそういうあり方や行動はいっさい消えて、人はおごそかな気持ちにうたれて小さくなり、自分自身に戻る。自分というのは、くさび形をした闇の芯みたいな、他人には見えないものだ。」

灯台からさしこむ灯りに自分自身を重ねるラムジー夫人。

そんなラムジー夫人を愛しつつも、完全には従えなかったリリー。

「あの方がどんなときも人間に目を向け、人の心の中に巣作りしにゆくのは、いわば自然の本能だった。だからこそ、それを持たない人たちには、これはちょっと鬱陶しい。たぶんカーマイケルさんがそんな気持ちだったろうし、わたしの場合は間違いなくそうだった。ふたりともどちらかといえば、行動というものに無力さを感じ、思考をなにより重んじるほうだ。ラムジー夫人の言動に接すると、なんだか叱られているような気になり、世界を違うほうにねじられるものだから、自分たちの思い入れが無効になるのを見て抵抗したくなり、失われてゆくこだわりにしがみつくのだ。」

私もラムジー夫人みたいになりたいと憧れますが、実際にはリリーに共感。
う~む、人に親切にしたいとは思っても、なかなかスマートに人の世話ができるものではないです。

そして夫人自身も、自分に好感を持ち愛してくれる人ばかりではない、ということを感じていました。

「カーマイケルさんがこちらの問いかけにただ頷いて応えながら行き過ぎていく姿を見たとき感じたのは、そう、わたしは胡散臭く思われているということだったのだ。つまり、人に与え、人を助けたいという自分の欲望は、しょせん虚栄心のなせる業なのではないか。みんなから「まあ、ミセスラムジー、ぜひ!」などといわれて必要とされ、引っ張りだこになって、褒めそやされたくて、進んで人助けをするなどというのは。自分が心の奥で求めているのは、そういうことなんじゃないかしら。だから、カーマイケルさんがいまみたいに自分を遠ざけ、隅っこに逃げ込んで、アクロスティック(単語ゲーム)など延々とやっているのを見ると、敬遠されたと思うだけではすまない。自分のせせこましい部分や、人間関係というものの小ささ、それから人と人との関係はどんなにうまくいっていても、いかに傷つきやすく、いかにさもしく、身勝手なものにすぎないか、そうしたことに次々と気づかされるのだ。」

人は感じ方も生き方もそれぞれ。何がいい悪いじゃなくて、合う、合わないの問題ですよね。でもこういう悩みを持つこと自体、夫人が優しい人だという証拠じゃないかと思います。

それから私が好きなのは「永遠の一瞬」を語った一節です。

「夫人はバンクスのためにことさら柔らかい肉をより分けながら、この喜びに永遠を思わせるなにかを感じるのだった。
ものごとにひとつのまとまりが、安定感がある、という実感。いうなれば、変化を被らないなにものかがあり、ひときわ耀きをはなっている。(灯りを反射して波打つ窓を、夫人はちらりと見やった)流れゆくもの、はかなきもの、幻影のようなものの面(おもて)でルビーのごとく鮮やかに。
そうして夫人は昼間にも一度味わった和やかで安らかな感覚を、夜になってまた味わったのだ。まさにこういう瞬間から、永久に残るものがつくられるんだわ。夫人はそう思った。いまこのときは、きっといつまでも残る。」

第三部ではすでに夫人は亡くなっていますが、夫人の言葉のように、みなの心の中に残っているあの一日、夫人の思い出。

リリーの言葉。
「人生の意味とはなにか?ただ、それだけだ。実にシンプルな問い。往々にして人は年とともにこんな疑問にせまられる。大いなる天啓はいまだ降りきたらず。いや、大いなる天啓なんてものは決して降りないのかもしれない。その代わりにあるのは、暗闇のなかで不意に灯されたマッチの炎のような、日々のささやかな奇跡と光明(ひらめき)だ。」

これはリリーの人生のみならず、ラムジー夫人の姿をも象徴している言葉に感じました。

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