Simplex's Memo

鉄道と本の話題を中心に、気の向くまま綴ります。

「路面電車がなくなって」を読んで

2005-06-08 07:34:01 | 鉄道(岐阜の路面電車と周辺情報)
朝日新聞岐阜版に路面電車が消えた岐阜地区の現状をまとめた記事が3回にわたって掲載されていた。

「路面電車がなくなって 上」
「路面電車がなくなって 中」
「路面電車がなくなって 下」

詳しい内容は上記リンクを参照して欲しい。
自分なりにこの記事を要約すると、次のようになるだろうか。

・代替バスの利用者は路面電車時代より減っており、しかも定時通りに走らない、積み残しが出るバスに対する利用者の不満は大きい。
・岐阜市も岐阜バスもこの点について「一時的なもの」と楽観的に捉えている。
・揖斐線廃止で鉄道がなくなった大野町では穂積駅からJR東海道線に乗り、岐阜市を通り越して名古屋へ出る人が増加している。対して、岐阜市中心部の柳ヶ瀬商店街では路面電車廃止後、郊外からやってくる高齢者が減ったという。
・廃線跡の現状と資産譲渡を巡る動きについては、前者については架線撤去は先月中に完了し、今年度中には関係自治体との協議を経て着手する。後者は様々な事業者が手を挙げたものの、名鉄との交渉以前に接触すらできていない。
・岐阜市長は廃線による問題はないとし、再生の動きについても無関心。

この記事を読んで次の感想を持った。
大部分がこれまで書いてきたことと重複してしまうのが実に残念だ。

・先日触れた日立電鉄の事例のような公共交通機関から自家用車や自転車といった他の交通手段への転移が進んでいる。先述したように定時に走らないことが原因の一つとして挙げられているが、これは路面電車から転移した自家用車による交通量の増加も一役買っている。

行政とバス事業者側の危機感は薄く、楽観的に構えているが、潜在的な利用者の不満は表だって出ていないに過ぎない。
現在バスを利用している人の多くは「言っても無駄」と思っているだけで、きっかけさえあれば他の交通手段へ転移していく。日立電鉄代替バスで発生した利用者急減のプロセスをリアルタイムで見ていると思ってもらって間違いはない。
かくして他の交通手段への転移に歯止めはかからない。
この状況が続けば、次は利用者の減少によるバス路線の存続自体が危ぶまれる可能性もある。
これでは「路面電車の復活」以前に公共交通の存在すら疑わしくなってくる。

・名古屋へ向かう人の流れが名鉄揖斐線から穂積からのJR東海道線利用に変わったため、岐阜市を無視しても生活が成り立つことが明らかになっている。
にもかかわらず、岐阜市の動きは鈍い。
むしろ、JR穂積駅を結ぶバス路線を整備するよう岐阜バスに求めた大野町のように周辺自治体の方が現実に即した取り組みを行っており、それが一定の効果を挙げている。
名古屋へのアクセスについては、今回の記事では旧揖斐線沿線が取り上げられていたが、旧美濃町線沿線では名古屋へのアクセス手段が電車から高速バスへ以前から移行しており、関や美濃からは東海北陸道を走る高速バスで直接名古屋へ行くことが可能になっている。

いずれにせよ、名古屋へ行くのに旧揖斐線沿線ではJR利用、旧美濃町線沿線では高速バスを利用することで岐阜市を経由する(駅を出る)必要は全くなくなった。
その結果、岐阜市中心部への人の流れは以前にも増して少なくなり、商店街の衰退はますます進むと言わざるを得ない。

事実、名古屋で買えて岐阜中心部の店で買えないものはどれだけあるだろうか。まして、商店街へ行く気にさせる魅力はどれだけあるだろうか。
路面電車の廃止はその事を柳ヶ瀬商店街に突きつけたと言えるが、商店街自体が代替バスのルートからも外れていることからも明らかなように、集客は見込めないとして岐阜バスに見切りをつけられているような感もある。
「路面電車の廃止は、客足に少なからず影響を与えているような気がする」という発言自体、これまでの状況をどう見ていたのだろうか。
廃止前の「路面電車は商売の邪魔、廃止になれば路上駐車のスペースが確保できて客が増える」という声も上がっていたが、廃止後2ヶ月が経過した現状は全く正反対だった。

・路面電車の線路撤去の件については、廃止された以上は早急に撤去しなければならないため、これは想定の範疇と考える。
新情報としては、この資産を取得しようとする側と名鉄の接触が全くできていないことが明らかになった点だろうか。
既に岡山電気軌道が手を引き(岐阜市長の存続断念で手を引かざるを得なかった)、コネックス社も事実上手を引いた形になっている。
ということは、コネックス社の「事業計画書の提出が遅れる」という話はやはり岐阜市からの撤退を隠すカモフラージュと考えた方が良いのだろうか。

今交渉に乗り出しているのは岐阜ライトレールと先月路面電車再生を表明した「サン・ストラッセ」の二社。
しかし、前者は公式ブログが突然閉鎖され、それ以降は音沙汰なし。
後者も最初は勢いがあったが、それ以降は何も聞こえてこない。
一体どうなっているのかと思っていたら、実態はこういうことだった。

両者の計画(後者は計画の概要すら示されていないが)自体、現実味に欠けるものであったし、名鉄の姿勢が「自治体の仲介無くして譲渡なし」という強硬なものであれば、交渉以前の話である。
交渉に応じない名鉄を責める論調がネット上で見られるが、名鉄が交渉に応じる価値があると感じさせる計画が果たしてあったのだろうか。
仮にあったとしても自治体の協力が得られない状況下では難しいと思うが・・・。

ただ、「路面電車は、道路でバスよりも優先権があり、公共性が強い。客の安全について、道路標識の設置など自治体の役割は大きい。その自治体の意向がなければ交渉には入れない」とする名鉄の言い分にも一理ある。
しかし、本音は「金の問題ではない。事業がうまくいく魔法があるなら見せてほしい」というところにあるのかもしれない。

その「自治体」である岐阜市もトップが廃止に問題なし、再生にも民間の問題として無関心とあっては路面電車の再生など到底実現しない。
「市民交通会議」の中間取りまとめを活かそうという発想はそこには見えてこない。
「市民参加」の市政を謳っておきながら、現状追認の政策しか出せない現状との落差に失笑を通り越して絶望すら感じる。
以前から岐阜市の路面電車復活の確率は極めて低いと思っていたが、もう駄目だと言わざるを得ない。

そもそも廃止に至った経緯を見ると路面電車の(感情的な)必要性を認識しつつも、その点をまち作りに織り込まず、事業者と共に利用しやすい路面電車を作り上げる努力を怠り、最後まで事業者に依存した岐阜市の責任は大きい。そのことについて今後の教訓を得ていないのだろうか。
結局、危惧したとおり公共交通の依存先が名鉄から岐阜バスに変わっただけで、問題の根は変わっていない。

鉄道の時は目に見える「レール」があったから廃止が報道されると、目の色を変えて大騒ぎになった。しかし、バスの利用客減少が続けば、今度はいつも目にしていたバスがいつの間に姿を消している、ということになりはしないか。
この事は普通の人には判りにくい形で何気なく公共交通の危機は進行していくという事を意味しており、更に問題を悪化させているように思う。

岐阜市の周辺自治体が公共交通の整備について独自の動きを見せ、岐阜市を経由しない、もしくは単に通過地点とする人の流れが出来上がっている今、岐阜市の地位が相対的に低下しているのを肌で感じる。
それは岐阜市への求心力の低下に繋がる。
名鉄岐阜駅の新岐阜百貨店が夜の7時に閉店し、駅前の商店街を歩けば、夕方というのに店のシャッターが下りている現実を行政はどう考えているのだろうか。

いつまでも「県都」というブランドだけでは人は集まってこない。
今や岐阜市は「県都」であるにもかかわらず、実は名古屋の衛星都市という現実(いや、もうなっていると言うべきか)を受け入れざるを得ない時期に来ているのではないか。
行政のトップに長期的なまち作りのビジョンがない事が明らかな今、それも当然かという気分になっている。

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1 コメント

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Unknown (けいすけ)
2005-06-11 15:26:37
TBありがとうございました。「鉄道の時は目に見える「レール」があったから廃止が報道されると、目の色を変えて大騒ぎになった。しかし、バスの利用客減少が続けば、今度はいつも目にしていたバスがいつの間に姿を消している、ということになりはしないか。」、本当にその通りですね。長期的なビジョンを持てない首長もさることながら、孫子の代まで考えることができない市民にも責があるように思います。
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