安倍政権のエネルギー政策は、もくろみ違いばかりが頻繁に起きて、国民の要望とは逆方向にばかり進んでいる。
東京電力が引き起こした【原発大事故の損害額】は、当初の見積もりをはるかに超える厖大な損失に膨れ上がっている。
福島原発大事故の賠償関連の費用は、想定した金額を上回り、東京電力の資産を売却しても、背負いきれない。
また、炉心溶融を起こした【原発の3基の廃炉の費用】がそれこそ、【見積もることができないくらいに膨らみ続け】ている。
その廃炉も、技術的な見通しは全く立たずに、今後の30年以上の期間で完了することはほぼ不可能である。
このように先の見通しも立たない【原発事故の後遺症を背負っている東電】を、倒産させずに国が丸抱えてお金の面倒を見る必要が出てしまって、行き詰まりだ。
東電の経営者は、新潟県の柏崎刈羽原発の6・7号機の再稼動を目指して、収益の改善を図ろうと計画しているが、新潟県民の意思は、不完全な安全宣言の言葉だけに惑わされることはない。
「原発事故の徹底的な検証が済むまでは、再稼動の議論はできない」と断言してきた新潟県知事を、あらゆる画策を講じて、選挙の出馬を断念させた。
しかし、路線を引き継ぐと公約した候補が次の知事に当選している。
従来のように、原子力発電のことは専門家の電力会社に任せておくだけでは、今後の国民的な理解は得られないと、覚悟すべきなのだ。
ところが、この東電の信頼性の低下により、原発の再稼動に対する国民の判断は、一層厳しくなっている。
安倍政権の描くような「国民のマインドコントロール」で、実行できるほど、甘い想定の解決策では、鹿児島県の原発のように、再稼動を強行しても無理である。
地震の想定を甘くしたりして、とにかく「原子力規制委員会」の審査に合格していれば、地元の了解は、「経済的な支援の約束でなびくはずだ」と傲慢姿勢だ。
万が一の避難路の確保や、情報管理の不備など、まだ、地元の人たちに納得してもらうには、【電力会社側の上から目線の押しつけ】が多すぎるのが現実だ。
ついに、経済産業省では、東電の原発のイメージが悪すぎることに気がついて、東電の原発部門を別子会社に分社する案を持ち出している。
東電の子会社として、販売事業の電力部門を子会社に分離し、送配電設備を管理運営する部門を、別子会社にする計画で進めている。
それと同じ形態の子会社として、原子力発電所の部門だけを子会社にする案だ。
何がメリットかと想像すると、東電の本体会社が、福島原発の廃炉事業と、原発事故の補償実務を実行する部門の【マイナスイメージ】から分離したいのだ。
未だに原発事故の解明による国民の納得を得る姿勢は、できていない。(続)