庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

日本はドジョウの様な内向きのたとえで世界からのハグレ国家か。

2011-08-31 | 国創り政治問題
日本の新首相は愚直な努力を重ねて成功した体験があるので、その象徴として、泥の中で地味に活躍して田んぼを守る「どじょう」を、シンボルとして発信した。
「愚直」、「泥臭さ」、「田んぼ」は、人の生きる基本を言い当てて、それなりに必要性は誰でも受け入れる言葉である。
しかし、このシンボルからは日本の将来像がイメージされることは、どうも評価されそうもない。

新首相の発言録は、よく考えた上での「親父ジョーク」に類するもので、悪くは言えないが感心する内容にはなっていない。
鳩山お坊ちゃん首相の宇宙人発言は、実現性が伴わずに、言葉の打ち上げ失敗の連続であった。
菅直人の野党体質首相は、言葉は勇ましい挑戦であるが、実現する手段、戦術が未熟で、単騎直行型の突撃を繰り返して迷走を続けたために、誰もついていけないと見はなされてしまった。
このどちらのやり方も、政権与党としては未熟リーダーであったとの評価に尽きる。

この失敗に懲りて、今回は熟慮型、バランス型、泥臭い政治型への回帰を目指す様であるが、何のことはない、「一時期の自民党型政治」に里帰りをする様な状況である。
確かに「与党内の意見がバラバラ」では、当面の差し迫った課題すらも、順当に対策が出来ないで、国民の不満は募る一方であった。
それを、ドブ掃除をして、農薬の様な【有害な癒着体質】を除染して行く必要はあるが、それは当然やるべきことをしてこなかった、永田町と霞が関の「汚染地域のドブさらい」に相当する。

その結果、土壌が改善されて「地道に仕事をするドジョウ」が沢山、繁殖するのは良いことだが、それだけでは、国民生活には希望が開けてこない。
日本に「健全な田んぼとドジョウ」が必要なのは、誰も異存はないのだから、それだけが目標ではいかにも先祖返りを目指すだけの様である。

海外でも、「ドジョウ」とは、いったんなんだ?という受け取りかたである。
どうも深海に生息するエタイのしれないナマズ(地震を起こす)の様なものらしい、と日本の不可解な政治状況と、日本人の思考の理解しがたいイメージを連想している。
これでは日本の衰退、沈没、埋没は、「どじょうイメージ」の浸透によって、ジャパンは深海に潜むツモリの、内向き国家を目指していると、受け取られかねない。
それと、日本人にとっても「どじょうは過去の食物、たんぱく源」であって、大半の国民が食べていないし、これからの世の中で価値を持っているイメージが連想出来ない。

どうせ、生き物にたとえるならば、「ウナギ」を連想させるのが良い。
ウナギの料理は、日本で最も価値のある食品であるし、ウナギの養殖技術は世界一のレベルである。
現在は天然の幼魚を捕獲して養殖池で育てるが、将来は産卵の科学的解明をして、卵から孵化させて完全養殖を目指している。
イメージ的には、『自然界の恵みを科学と技術の力で、価値のある製品、食料として生産する』ことで、『海外でも評価されるレベルの価値ある製品』を産みだす、ウナギの未来を連想させる。

日本はこれから自然界と共生しながら、高付加価値を世界に生み出します。という宣言になる。

新総理は増税を一切言わないで無駄使いを撲滅する愚直さが必要だ。

2011-08-30 | 国創り政治問題
新総理大臣は愚着で誠実な人柄ということが、今回の民主党代表選挙では、評価された様である。
組織の意見がバラバラでまとまりがない状況では、攻めの戦略など打ち出し様がないので、まずは党内融和ということを、優先した選択であろう。
しかし日本の状況は、一政党の党内事情を優先している場合ではないことは、誰にも判っているのに、守りの姿勢ばかりでは、マスマス停滞したままで衰退して行くばかりである。

新首相の生い立ちや苦労話に感動している状況でないし、新米政治家の時に政治信条を訴え続けてきた苦労が、やっと実ったと言う美談、出世話を聞いている場合ではない。

日本の現状は、愚直に苦労して努力している人から、希望や将来展望を奪い続けているのである。
既得権を獲得した守旧派産業や、それに繋がって今の地位、収入源を得た人たちは、現状を守ることばかりを最優先に考えてしまう。
この階層の利益を代弁して新産業の育成を怠ってきたツケが、今の閉塞感を大きくしてしまった。

苦労もしないで良い生活を得ることはできないのは、当然である。
しかし地道に努力をしようとしても、その機会を奪っている現状をしっかりと見つめるべきである。
そのチャンスを提供するには、企業活動の活性化にあり、守旧派産業の経営者にはその意欲も、チャレンジする能力もなくなっている。
正社員の比率をドンドン減らして、国内への新規投資も控えている様な、守りばかりの産業と老朽経営者を守ることを優先してきた、自民党政権は完全に行き詰って、国民の支持を失った。

民主党はそのような既得権階層の停滞した活力に、将来展望を期待させる「絵に書いたモチ」の様なマニフェストを提案して、2年前の政権獲得を実現した。
しかし、「絵に書いたモチ」は勝手に書き換えてしまい、早々と責任逃れの妥協策ばかりに奔走してエネルギーを浪費している。
公約にもなかった原子力発電の大幅増設の計画を、国民に説明する事もなく決定してしまい、おまけに経産省に操られて、原発輸出にまで国策と称して予算を付けてしまった。

民主党は、その責任をだれも明確にしようとしないで、退陣する首相の責に負わせる気なのか。
未だに、まったく見通しも希望もない「高速増殖炉」(もんじゅの実験炉)に、大きな予算を付けて惰性のままに進めている。
公明党は原発事故を受けて、党内の意見を集約して、『もんじゅの凍結』と「放射性廃棄物の再処理路線」を止めることに、決定している。
民主党では、その様な当たり前の方向転換すらできない【愚直の集団】に堕落してしまっている。

自民党政権時代の様な官僚の隠ぺい体質は、少しは改善されてきたが、まだまだ、隠された既得権擁護の【国民の意思に反した事業】が膨大に、惰性のままに実施されている。
これらを徹底的に見直して、将来展望に結び付かない無駄な事業予算を、まずは完全に廃止する事を優先すべきであろう。

それまでは、増税の必要性などは封印しておくべき政策で、徹底した無駄使い撲滅と行政刷新が最優先課題であることを、肝に銘じるべきである。

またまた日本の首相は暫定政権で1年間をしのぐことが目標となる。

2011-08-29 | 国創り政治問題
日本の政治は政局争いがあるばかりで、長期の国造りの目標や長期戦略にもとずく政策で、論争が充分にかわされて、国民が選択できる状況になっていない。
自公政権時代は、官僚が長年に渡って築き上げてきた、官僚依存政治によって動いてきた。
すべての政策は官庁間の調整を経て、事務次官会議で決定され、大臣による閣議決定は、単なる儀式、サイン会となっていた。

民主党政権になって、この事務次官会議は廃止されて、建前上は大臣と副大臣、政務官による政治家の主導で決められて、閣議に提出されて決定されることになった。
政治家の評価が加えられる段階が増えたので、少しは国民目線の判断が入り込む様になったが、原案の作成や調整段階では、政党政治の基本となるブレーンと政策立案能力が不足しているために、やはり官僚の政策立案能力に頼らざるを得ない。
2年経って見ると、ほとんどの政策は官僚によって、省益を増大する方向に政策決定がされてきた。

今回の内閣交代の原因としては、官僚の出してくる政策に異論をはさむ大臣、特に総理大臣が邪魔となって、官僚依存を否定した菅直人氏は、徹底的に官僚から足を引っ張られたことにある。
特に原発の大事故を引き起こした経済産業省の関連では、省益と対立する課題が多くなって、ついに内閣総理大臣は交代させられることになった。
総理大臣の選出は、国会議員、特に与党政治家の大事な役割であるが、その選出の過程における政策論、長期戦略論などは、どこにも現れずに、この1年くらいの課題を論じるばかりで終わる。
そのせいもあって、どの候補者からも日本の国創りのビジョンは語られることがなかった。

多くの国民も、どうせ民主党の代表は、残りの任期1年をつなぐだけの役割だから、ここ1年くらいを迷走せずに、当面に必要な政策と法案をもめずに通してもらうヒトで良い。とあきらめている。
だが、そんなことを繰り返してきた15年間は、日本の国力の衰退と経済の活力沈滞現象で、将来の希望を失うばかりであった。
また暫定首相のもとで、官僚による省益重視の政策の羅列で、この1年をつなぐことになる。
それでも、失敗だらけのアメリカやEU諸国と比べると、経済の混乱の度合いが少ないので、円高傾向は変わりそうもない。

新総理大臣は、財務省の官僚に洗脳された人物で、経済の活性化には何が必要かは、判っていない。
日本の官僚の優等生的な頭脳では、デフレ経済に15年かけても有効な政策は実行できなかった。
経済に活力を持たせるには、企業、起業家にチャレンジする機会を目の前に提示する事に尽きる。
金融を潤沢にする対策など、財務官僚の言うことは、マニュアルどうりの処方箋にすぎない。

資本主義が成熟に近づくと、市場での競争が進んでどこも利潤を産むことが出来なくなる。
これは、有名な経済学者、シュンペーターの理論で、世界はそのとうりに動いて、先進国はすべて経済停滞とデフレ経済に悩まされている。
これを打ち破る政策は、企業経営者のアニマルスピリットによる、リスクを恐れない事業投資と研究開発の活発化によるしかない。
それには産業界で、新事業や新技術の革新に成果を出した人材の知恵が、新内閣には必要である。

脱原発国家を目指す国論統一の方針を打ち出せない代表候補者の器。

2011-08-28 | 快適エネルギー社会問題
民主党の次期代表を決める選挙戦は実質的な施政方針の論戦は、わずか2日間という短期戦である。
非常時であるから仕方ないにしても、あまりに浅い政策の論戦で、しかもわずか398人の民主党国会議員による選挙で、国のリーダーが決まるという変則事態であるから、夜を徹してでも重要な論点を浮き彫りにしておくべきである。
民主党の国会議員は、一時期の空気に左右される投票であってはならない責任を負っている。

とにかく議論不足が目立つ課題は、長期のデフレ経済で疲弊している産業活動を、どうやって活性化して上向きの活力を呼び起こすかの、最重要政策に対する思考能力の物足りなさである。
各候補とも日本の財政の悪化を憂慮し、経済成長を軌道に乗せて行く必要性を強調するだけである。
消費税などの増税は、経済が軌道に乗るのを見定めてから、時期を見て国民に信を問う総選挙で増税の是非を問う、という説明である。
それならば、経済の活性化策には、どの様な政策を打ち出すかが問われるが、一向に具体的な方向を示す候補者はいない。

民主党の議員は長年の野党体質が染みついて、他の指導的方針を打ち出す人に対して異論を唱えるのが好きで、それに対する「自分の具体性のある対案の政策」を提示しないで終わるだけである。
震災と津波被害に対する復興事業は誰も異論はなく、後は、各自治体の意向を汲んだ事業を、国の財源でしっかりと支援することに尽きる。
それと原発事故の終息と、それに合わせた避難地域の除染活動をきっちりと実行する。

そこから先の問題で、脱原発依存を異口同音に言いながら、その内容については確固たる意思もなく、状況を見ながら原発の稼働を減らしていく、という、なんとも曖昧な原発の縮小路線を、どこからも文句が出ない範囲の意思表明に終わっている。
菅直人首相の様に、『原発に依存しない社会を目指す』と、なぜ明確に方針を打ち出せないのか。
候補者の中には、20年で原発をなくす方針や40年かけて原発を廃止するなど、悠長な目標しか打ち出せない様な、意思薄弱な候補者ばかりである。

ドイツは、日本の原発事故を真剣に受け止めて、2022年までにドイツ国内の原発をすべて廃止する、『脱原発国家を目標』とすることで、国論を統一した。
日本では、その様な方針を打ち出せば、国内世論の7割以上が賛成して統一出来る筈である。
この2~3年は原発の再稼働を一部は容認する可能性もあるが、その先の4~10年の間に、電力需要に見合う供給力を火力発電で代替する能力を備えることは、充分に可能である。
そして、原発停止に見合う代替電力の設備投資は、【国内の総需要不足対策】に大きく貢献するので、経済の活性化に多大の波及効果が期待できる。

日本は今の国難に対して、明確に脱原発国家を目指すと宣言し、遅くとも2020年までにはすべての原発を停止状態にすることが、世界に対しての大きなアピールとなる。
核兵器も原発も保有しないと言う宣言が、『日本を世界で一番、安全・安心な国造りを目指す』という国民全員の意思表明を発信する事になる。

日本には既に残りの原発は13基しか稼働していない。
それをゼロにすることは実現可能である。

政権党のやるべき第一は長期目標を提示して目前の政策を実行だ。

2011-08-27 | 快適エネルギー社会問題
この2年間で政権交代の試行期間が過ぎようとしている。
民主党という、寄せ集めの政治家集団で、表向きだけの公約である「マニフェスト選挙」を経て、圧倒的多数の勢力を治めたにも拘わらず、目ぼしい成果と言えるモノは、ほとんどない。
マニフェストは、表書きだけの表題の様なもので、実際の法制度や予算ツケの段階では、具体性や実効性が乏しいために、ことごとく、議論が迷走して止まってしまった課題が多い。

脱官僚依存の政治家主導の公約は、政策の中身の勉強不足で、結局は、従来の自民党政権時代の様に、官僚の具体化作業が伴わないものは、実行が出来ないで終わっている。
子供手当や、高速道路無料化実験などの、単純のおカネを余分に回せば実行出来る政策は、表向きは実施出来ていた様だが、野党からバラマキの人気取り政策だと抵抗されると、引っ込めざるを得ない状況になってしまった。

日本が活力の乏しい社会になってしまった状況を転換させたいと期待して、政権交代した「未知数の政権党」に託してみたが、2年間は失望の連続であった。
しかし、従来の政権党であった自民党、公明党も、その間に20年間(1990年代初めから)の経済停滞の原因と、社会的な不公正の横行に対する真摯な反省もなく、ただ民主党政権の揚げ足取りとブレーキをかけることばかりに終始していた。
もう一度、自公政権に戻したいと思っている国民は、ホンの10%台に留まるテイタラクである。

民主党政権が、見習い運転期間を過ぎて、本当に日本の長期的課題に取り組む覚悟をするならば、
「国民の生活が第一」の原点から、重点的に実行すべき政策を早急に具体化すべきである。
それは経済の基本である『活発な経済活動』を促す『国家の長期目標』を原点から提示して、その分野に徹底的に民間の力を集結することである。
既得権勢力におもねって、護送船団的に業界保護や現状維持をすることばかりに勢力を割いていては、新規の産業もソコソコにしか活性化はしない。

今や国民的合意となっている「脱原発依存社会」「再生可能エネルギー産業の育成」を目指す『快適エネルギー実現社会』を、どの様にして早期に達成するかを一番の重点政策として、取り組む覚悟をしめすべきであろう。

「原発抜きでは産業が成り立たない」などと言い張る原子力村の既得権益擁護勢力は、早々に退場を願って、代替の進化した火力発電(天然ガスコンバインド発電、熱利用効率60%以上)の新規設備を徹底して促進することで、投資は活発化する。
同時に「再生可能エネルギー電力の固定優遇価格買取り」の制度を、民間の新規投資が最大に引き出せる様に条件を整備して、障害となっている規制を特急で改革する事に尽きる。

以上の様な国家目標と具体策を確固たる決意に下に実施すると宣言出来れば、満を持していた『活力ある民間企業』はあらゆる知恵を絞って、人材の投入と新規の投資を活発にさせる。
もちろん、事業が拡大するにつれて新規の雇用が続々と創出されて、【総需要不足】の日本経済に喝を入れることに貢献できる。

既存の【既得権電力産業】から離脱を明確に宣言することで、日本経済は離陸の準備に入れる。

世界経済の大変動に対する方針が全く立たない政党政治家集団。

2011-08-26 | 国創り政治問題
菅内閣の時代は過ぎ去ろうとしているが、その実績はどうであったろうか。
前半の時期は、財政不安に怯えて公約にもない【消費税増税の路線】を突っ走り、官僚の無駄使いに対して、脱官僚依存の公約も早々に白旗を上げて反故にしてしまった。
マニフェストには一切書かれていない、【原発の大増設の長期エネルギー政策】を閣議決定したり、国の支援によるインフラ輸出戦略には、新幹線や水道事業の技術輸出に加えて、こともあろうに【原発の輸出】を本格的に取り組むとしてしまった。

何も成果を上げずに退陣に追い込まれると思われた時期に、100年に一度と言われる国難に見舞われ、弱体化した内閣で、とにかく対策を急がなければならない事態に追い込まれた。
迷走や決定の遅れが多く見られたが、目ぼしい政策転換の芽がかろうじて打ち出された。
『脱原発依存社会をめざす』。『原子力安全・保安院を経済産業省から独立』。『再生可能エネルギー全量買取り制度』。等々、長年の日本の癌となっていた、電力業界の既得権構造に、メスを入れる方向に転換している。

民主党は、この時期に内閣を交換して、何を目指そうとしているのか、一向に見えてこない。
菅直人はいやだ!小沢一郎の影響力は困る。などと党内抗争で、日本の将来像と現状の大問題であるデフレ経済に対する具体的な政策、方針が曖昧なままの駆け引きに明けくれそうである。

アメリカ経済の凋落は、新自由主義の誤った政策が積もり重なって、治療法が見つからない位に悪化した、体質的な問題を抱えている。
金融ビッグバンを起こして、世界中を自由に駆け回る過剰なお金を運用する事で、暴利を稼ぐ「金融賭博場」には、未来はない。
貿易自由化を究極の自由市場経済の手段としてきたが、結果はアメリカの製造業はことごとく海外にでてしまい、アメリカ国内の稼げる産業は、軍事産業と縁のある一部にとどまっている。

おカネの移動を自由化し、モノの移動も自由に効率よくできれば、世界の市場は同一条件に近づくので、結局はアメリカ人の生活水準を中国やブラジル、インドネシア、インドの人々と同じ水準に近づける作用が働き続ける。
要するにアメリカなど先進国の働く人の収入を下げ続けるしか、対処方法はなくなる。
しかし、おカネを持った資産家、内部留保のある企業は、一番効率よく儲けられるところに、資本を移動して稼ぐことが出来るので、グローバル化、貿易自由化は、まったく問題はない。
景気対策として世界中にばらまかれた過剰な資金は、マネーゲームで稼ぐヘッジファンド、投機家にとっては、「世界のトバク場」が広がって、チャンスはいくらでも増えて行く。

この様な世界的な金融バブル、経済の大不況、貿易自由化問題に対する方針も打ち出せない政党のなかで、国内問題すらも曖昧にしたままの候補者の乱立で、リーダー不在の状態が、まだ続きそうである。
せめて、誰にでも解り易い、脱原発路線や、電力の独占体制の大改革では、基本方針をきっちりと提示して、その基本を踏まえた政治家集団で再編成する方向に動き出して欲しいモノである。

このままでは、アメリカの後追いで、ズルズルと経済停滞、凋落をするばかりになる。

自分の業界の権益が一番大事という行動が日本経済の停滞を延長する。

2011-08-25 | 快適エネルギー社会問題
電力事業の独占体制による長年の癒着構造と腐敗体質が、日本の経済成長の機会を奪っていることは、すでに多くの識者の指摘によって、明らかになっている。
その改革の本命は、『発電・送電事業の分離と、地域独占の廃止』という、大改革路線であるが、「B級グルメコンテスト」による政略重視の政治家には、この様な大事業を『果敢に挑戦・貫徹出来る力量』も期待できない。
この課題は、腰を据えた政策研究と論議を踏まえて、論点の整理を図って国民に理解される『改革の具体的な政策提案』が、見せられる様になるまでは、実行に移すことは無理であろう。

それが出来るまで経済の活性化策や、「総需要喚起のデフレ対策」は、実現出来ないのかといえば、改革の規模は小さくても、民間の投資を呼び起こして、需要を大幅に増加させることで、雇用機会を増やす政策が、浮上してきている。
このブログで、何度も採りあげている『再生可能電力の固定価格買取り制度』の実現である。
8月23日には衆議院を通過して、参議院の審議を経て、8月26日には成立の運びとなっている。
成立すれば、行政関係の施行準備を経て、2012年7月から施行される予定である。

この法制制度の発効により、今までの再生可能エネルギーの優遇措置は、太陽光発電の一部の優遇と、風力発電のわずかな優遇措置に代わって、多くの再生可能エネルギーによる発電事業を、大幅に促進できる効果が期待される。
世界で第3位の潜在能力を持っている『地熱発電』は、技術的には世界で一流の技術を持っているにも拘わらず、優遇制度がないために、日本での普及はほとんど進んでいなかった。
また、各地に分散しているエネルギーで小規模水力発電も、発電コストの不利な条件を乗り越えて、実施出来る地域が、多く出てくることを期待されている。

しかし、買取り義務と優遇価格を決める具体的な制度面において、既得権産業の電力会社は守旧派政治家を動員して、最後の抵抗で【骨抜き出来る仕掛け】を潜り込ませることに成功している。

それは、優遇の買取り固定価格を決める仕組みを「有識者で構成する調達価格等算定委員会」で審議して、その意見を基にして経済産業大臣が決めること。という制度に修正された。
これは、どの様な意味があるかといえば、電力業界の力を利用して、価格算定委員を意のままに動く有識者を送り込む(または、有識者にアメを見せて意向に添わせる)ことで、電力産業にとって有利な価格に誘導する事が可能になっている。

また、「電力の安定供給に支障が生じる場合は、買取り義務を免除される」という、例外規定が追加された。
これは、送電線網を独占している電力会社の都合で、理由をつけて買取りを拒否できる規定である。

この様に、【骨抜きに出来る隠れ権益】を埋め込ませてしまった為に、再生可能エネルギーの発電事業に勇んで参入して、大胆な投資を実行しようとして準備していた『闊達な民間事業者』は、
実際の法制度の実行がすすむ状況を見てから、投資判断をしようとなってしまった。
可能な限り早い投資決断を促して、総需要不足の経済に活性化の機会を提示出来るチャンスを、みすみす、曖昧なままの状況にブレーキをかける【抵抗勢力側の意図】はどこにあるのだろうか。

日本経済の活性化よりも、自分の業界の権益維持が、もっとも大事だ!という根性である。

経済停滞から脱却する最強の政策は電力の地域独占を廃止する改革。

2011-08-24 | 快適エネルギー社会問題
日本は長年続いたデフレ経済から脱却する方策にことごとく失敗してきたが、今回の大震災と原発の大事故の非常事態に直面して、大胆な政策を打ち出さなければ対処できない状況となっている。
原発の大事故は、長年に渡って【既得権を築き上げてきた原子力族】に大きな打撃を与えて、「安全、コスト安価、安定した電源」神話をすべて突き崩した。
国民の7割以上が原発を減らして、将来はゼロにしていく、縮原発の考え方に転換している。

これによって、日本のエネルギー政策における長期方針を変えざるを得なくなったので、電力産業に巣くっていた【既得権益最優先業界】が、大きな転換を迫られている。
第一段の改革は、既存原発の安全性を徹底的に見直す、一連の政策措置である、「ストレステストの実施」や、「原子力安全・保安院の経済産業省からの分離」である。
この改革で、今までの様な馴れ合いによる「原子力村」のルールは、破壊されていくことで、原発の抱える数々の問題点が明るみに出るであろう。

その上で、もっと大きな影響力を及ぼす『電力事業改革』が、これからクローズアップされてくる。
管直人首相も退陣を迫られた段階で、電力事業の「発電・送電事業」の地域独占体制を見直しを検討すると言いだした。
これは、日本の経済全体を停滞させている大きな原因にもなっている、旧体質の典型である。
太平洋戦争後の復興期に、基幹エネルギーである電力を9電力体制によって、国の庇護のもとにインフラ整備を図ってきた非常時体制のままで、産業の発展後も維持してきた弊害がでている。

「発電・送電事業」を地域毎の独占的な地位を与えて電力会社に委ねることは、民間企業の力が不足している時期には有効だった。
送電線網が充実した段階では、送電事業を分離して、発電事業は複数の民間企業を参入させて、近代化を図り、サービスの質の向上を競い合わせる制度が必要であった。
殿さま商売で安閑としている地域独占産業は、あらゆるところに、無駄と非効率、そして、公益を軽んじた既得権の擁護が横行する様になってしまう。

しかし、この既得権構造に支えられた産業のすそ野は、あまりに大きくなりすぎて、監督官庁の通産省、経済産業省にとっても、近代化出来る対象としては難物な産業となってしまった。
それならば電力産業と敵対するよりも、甘い既得権を分けてもらう方が、自身の為になると判断して、経済産業省の官僚たちは、電力企業との癒着体質に順応してしまったのである。
天下り構造は、言うに及ばず、あらゆる分野で電力業界の接待攻勢にさらされて、洗脳、懐柔、抱え込みの構造が根を張り、どうにも身動きができないほどに腐敗した構造が出来上がっていた。

原発の大事故は、まさに国難で被災した人たちにとっては、戦争に匹敵する大災難である。
しかし、日本の電力産業の腐敗構造を破壊して、近代化した『安心、安定した快適エネルギー供給』が出来る社会に作りなおす大事な機会が到来した、と受け取ることで将来展望も出来る。

『災い転じて福となす』には、聡明で私心のない「ブレーン、官僚」と、万難を排しても貫徹する強靭な意思のある政治家、リーダーの選出が必要である。

「B級グルメコンテスト」と言われる様な、目先の政略に奔走する政治家には全く無理である。

社会停滞には既得権益階層から利権を剥奪する戦いが活性化を産む。

2011-08-23 | 国創り政治問題
現在の世界は民主主義という制度が、もっとも人々を幸福にするプロセスという社会の合意がある。
その延長上には、経済活動は国などの規制を最小にすることで、経済活動の主体である個人や企業が、自身の利益に為に自由闊達に活動することで、社会全体の効率が最大化されて、最大多数の最大幸福に近づいて行くという古典的な説明がつく。
これが、経済学の始祖と言われる『アダム・スミス』の自由放任経済理論の基本となっている。

だが、これには大きな誤解があり、アダム・スミスは有名な「国富論」と同時に、「道徳感情論」という、人間の徳性の研究をした書物を書いており、「個人や企業」が自身の利益追求する前提として、『社会に責任を負う自覚を持った主体』であるべきとしている。
つまり、社会的な責任感のない個人や企業は、「国富論」の参加主体にはなり得ない、としての論理を展開しているのである。

このところを、大きく勘違いをしている経済学者は、新自由主義などのアメリカ流の自由放任経済を善とする理論に染まって、金融ビッグバンや、グローバル化などの路線をつっぱしった。
おカネで評価される効率、効用をすべての価値より優先し、個人や企業に自由な活動を許すのが、もっとも良いとして【おカネ持ち・既得権を持った階層】に有利な社会を作ることだけを優先した。

結果は格差拡大による【最大不満社会】、雇用の不安定な【不安増大社会】を産みだしてしまった。

自由放任による競争至上主義は、明らかな間違いであり、世の中のお金持ちや既得権階層は、アダム・スミスの「道徳感情論」での、社会人としては失格の人間が大多数なのである。
確かに、それまでの封建制度や、社会全体の利益を優先する全体主義は、あらゆるところで、腐敗と不公平を産むために、個人が幸福になれる機会は、少なく抑えられてしまう。
「民主主義は、出来の悪い制度である。ただし、今までに存在したどの制度よりもマシだが・・・」というチャーチルの言葉もある。

この出来の悪い制度しか持てない現代社会で、自由放任経済ではない経済制度を、生み出す知恵が必要になっている。

封建制度による社会から脱皮するには、領主や地主階級に既得権を奪うために、あらゆる方策(時には革命的な殺戮、暴力を用いて)を積み重ねて来た。
また、一部の特権階級が支配する全体主義も、時間とともに非効率と腐敗によって自滅の道をたどり、特権階級の既得権は、社会的な混乱の中で剥奪されている。
民主主義社会の中での既得権構造は、どの様な形で消滅していくのであろうか。

それには、多くの国民期待する将来の社会のイメージを時のリーダーが提示して、それを阻もうとする勢力を、『抵抗勢力』として駆逐して行く改革によるしかない。
既得権を奪う制度改革と代替する産業政策を、多数派を集結する力量を発揮して、継続して実行する体制を作る必要がある。
小泉内閣の郵政既得権益の破壊政策は、国民の支持もあって一時期は成功したが、リーダーの小泉純一郎首相には破壊した後のビジョンがなく、意欲もしぼんで中途半端に終わった。

管直人首相の『原発に依存しない社会』を目指す戦いは、国民の大多数に指示を得ているにも拘らず、最高司令官を交代させる愚策を、政権与党は選択してしまった。
後は自滅の道しかないのか。

企業利益の最大化を善とするアメリカ流と決別し不安感の解消を!

2011-08-22 | 国創り政治問題
20年以上に渡る日本の【総需要不足】によるデフレ経済は、原因が判っているのに、対策が少しも成果をあげないで、あらゆる階層に人々を不安にさせている。
それは、政権を担当した政治家の無知と実行力の弱体にもよるが、リスクの少ない処方箋に慣れきって、成長してきた日本のモノマネ精神が災いしている。
つまり、イギリスに代表されるヨーロッパ文明をお手本にして、明治維新以来の国造りをすすめて、
太平洋戦争後は、アメリカのモノマネを一直線に進んできた、習い性の様なモノである。

先人が成功した後を追うことは、一番、失敗の恐れがすくない方法である。
どうやれば成功にたどり着けるか、お手本があるのだから、それを出来る限り忠実に真似をして、理論や方法論を自分で考えることを必要としない。
あえて、違った方法や目標を選ぼうとすれば、周りから反対されるし、それでも実行して行くと、未知の領域が山ほど現れて、試行錯誤の連続になってしまう。
多分、失敗の積み重ねが続いて、諦めてしまうのがほとんどである。

それで日本は、ずっとアメリカの後追い【2番手戦略】を採ることで、失敗する率が最も少ない方法によって、戦後の順調な経済成長の機会を続けることが出来た。
しかし、1990年代以降は、本家のアメリカ流のやり方が、ことごとく失敗しているので、後追いするメリットは全くなくなっている。
特に、アメリカ流の一見合理的な経営手法の成果主義や、株主利益最大化の経営方針は、日本で独自に発展してきた長期目標にむけての会社共同体的運営を、ほとんど破壊してしまった。

企業は顧客の為に最大の価値を生み出す役割で、働く人の生きがいと持続性のある経営を重視するのが基本である。
この目指すべき基本を軽視してしまう風潮は、企業活動に対する国民の信頼を裏切ってしまった。
特に、利益追求が至上命令だとして、働く人への配分、労働分配率を年々、引き下げてきたことは、結局は消費力の減退を引き起こした。

働く人への配分を減らして利益を出す様な企業は、社会に対する貢献が低い企業である。
だが、欧米流の企業評価の真似しかできないから、企業のランク付けや評価は、売上高順で、利益額の大きい企業を上位としてしまう。
本来ならば、社会への貢献度を図る尺度を研究して、それに基づく企業ランクを公表する事が、必要になっているのだが、誰もそのような研究の報告はない。
少なくとも、雇用者への労働分配率の公表値くらいは、発表しても良い筈である。

経済という日常活動が、おカネという尺度でしか評価できない現状では、すべてがおカネ次第とゆがんでしまう。
本当に必要なのは、『満足度』や『幸福感』という評価の難しい感情的なものであり、その反対要素の【不安感】や【ストレス】を減らすことに最大の努力を傾注すべき時代に入っている。
原発に依存するエネルギー政策などは、もっとも、不安感を増大することは確実である。
この不安をなくす為の政策に、最大の投資をすることが、【需要不足】解消に最適な政策である。

アメリカ型の経済成長は失敗の連続で、モノマネ経済から脱皮せよ。

2011-08-21 | 国創り政治問題
日本の専門家と称する人種は、いつも欧米の後追いによる知識で日本の経済界を洗脳して、神話的な論理を流布して、社会の空気を支配してきた。
1990年代のバブル崩壊後の【金融ビッグバン】は、アメリカの金融業が【金融工学】という怪しげな仕組みでマネーゲームの開発をして、世界中で自由に使える様に仕掛けた【とばく場の運営】の為であった。
日本の金融関係の専門家は、日本の金融業の立ち遅れを盛んに批判して、金融商品の開拓に力を入れて、マネーゲームに参入することを力説していた。

幸いにも?日本の金融業は、不動産バブルの後始末の【不良債権処理】に手間取っていて、経営能力の劣る金融機関の整理や統合に時間がかかってしまった。
そのおかげで、怪しげな金融工学商品には手を出すのが完全に遅れたために、アメリカ、ヨーロッパの金融業大破綻には、ほとんど巻き込まれずに済んでいる。

しかし、日本は産業構造の転換を必要としていた時期に、『構造改革の大義名分』を掲げて、旧時代産業の規制緩和を優先してしまった。
企業間の競争条件を緩和することで、研究投資や事業開発投資を活発にさせるという狙いであったが、実際には投資がほとんど伸びずに、守りの経営に重点を移してしまった。
つまり、競争激化に備えて、雇用者の正社員の比率を下げて、解雇が自由にできる非正社員を増やすことに専念してきた。

規制緩和とは、既存の旧産業に有利になる方向に働くモノで、新規の企業の参入を増やすものではなかった。
また、旧産業は時代とともに、海外に進出するしか生き残りができない産業で、それに雇用維持を期待する方が間違っている。
ところが旧産業の経営者は、税制や補助金制度に守られて、国内での雇用維持に備えているとの名目で、内部留保の積み上げに重点をおいて、国内への投資をしてこなかった。

これらの経済政策が間違いであったことで、【総需要不足】の国内経済は疲弊する一方であった。
タマタマ、世界の経済は新興国の経済成長が急激に加速したので、海外への輸出産業は一時的に潤うことになり、輸出に頼る経済成長の体質が進んでしまった。
本来は、輸出依存は経常収支がバランスするレベル(輸入金額に見合う輸出金額)を維持するのが、経済政策としては健全な状態である。
しかし、声のおおきい輸出産業に有利な政策ばかりを採用したために、内需に貢献する産業はおろそかにされたままであった。

民主党政権になっても、雇用維持が大事だとして、輸出依存産業の厚遇を変えようとしない。
突然に「TPP」参加の方針を打ち出して、国内産業への影響などは、何も検討が出来ないままに、アメリカの言いなりになりそうな空気であった。
もう輸出依存産業の厚遇を一切、止める時期に来ているのは、明らかである。

国内の新規需要を喚起して、雇用の創出を図る産業の育成こそが必要であると覚悟すべきだ。

日本円レートが実力以上にされるのは災難。実力そのモノを強化。

2011-08-20 | 国創り政治問題
日本の経済停滞と政治の迷走による【国民の不安】は、マスマス増大の一途である。
しかし、それでも日本円の為替レートは、円高傾向を続けて、ついに【戦後最高値】を更新してしまった。
日本の国力、経済力、産業力が落ち込む一方であるのに、日本円が買われるのに対して、経済学者やマスメディアの解説では、アメリカやEUの財政悪化、金融業界の疲弊が問題で、それよりも【少しはマシな日本円】という評価で、実力以上の円レートになってしまっている。

それは多分当たっている説明だろうが、それに対する対応策については、誰も具体的な提案が報道されていない。
イヤ、一部には適切な対策、政策を提言していても、理解する能力がマスメディアの幹部に欠けていることで、国民に伝わる様になっていない。
大新聞やテレビの首脳陣は、真贋を見分ける能力が衰えていて、革新的な論理を展開して、事実に基づく論理を説明している『気鋭の専門家、活動家』がいても、異端者扱いで報道したり、多くの場合は無視してきた。

この様な社会の空気、オキテがマカリ通っていたのが、今では明確になっている【原子力村の論理】であった。
古い時代の論理を後生大事に抱え込んで、その後の変化や科学的な知見が進化しても、【ムラ社会の利益】にとって不都合なことは、極力無視するか、排除してきた経緯がある。
そして、今では誰もが不思議に思う、【論理的に明らかな間違いである神話】の世界を作り上げて、既得権の擁護が最大の目的となっていた。
未だに、そのムラ社会の論理から抜けでられない、目先の利益優先主義者がしがみついている。
原発がいったん事故を起こした状態では、人間の人智では対処しきれない事態が起きて、すべての後始末については、試行錯誤の連続になってしまう。
対策が後手に回り、その為に被害が拡大してしまった影響で、もっと多くの被害者が出てしまう。

世界の大金融恐慌問題に目を転じると、経済活動の進化と称して、金融工学による、「リスクヘッジ」(危険性を減らすという意味)の為に作りだしてしまった数々の金融商品は、損失という放射能をどこまでも広げてしまった。
これの後始末に手こずって、アメリカもEUも【金融業界の混乱】状態のなかで、財政規律の弱い国の【国債の信用不安】が重なって、落ち込む一方の経済状態を立て直すのに、必死の状態である。
日本はタマタマ怪しげな金融商品に手を出さなかった遅れが、幸いしているだけで実力ではない。

未知の領域に手を出すのは、日本社会では異端視されてなかなか成功には結びつかない。
しかし、技術の領域では、それこそ日本は独自の領域において、【ガラパゴス的進化】と悪口を言われながらも、価値の高い商品や技術領域を開拓してきた。
欧米の後追いだけで、成功してきた人種(欧米崇拝思想論者)には、日本独自の発想の技術や商品は、まがい物扱いであった。
しかし、今こそ、日本発の【総需要不足】対策の、革新的なアイデアと政策は必要となっている。
増税路線を避けて赤字国債に一時的にたよるにしても、革新的な需要拡大政策が必須であろう。

経済の大恐慌デフレから抜け出すには創造的破壊のチャンスを。

2011-08-19 | 国創り政治問題
日本が世界で一番の債権国(他国におカネを貸している)で、国民と企業の貯蓄、内部留保が1400兆円もあると、誰もが判っている。
EUで起きた問題は、ギリシャの様に、国が赤字で大借金にまみれていると同時に、国民も企業も貯蓄を持っていないで、ギリシャ国債を多量に発行していた国とは、事情は大きく違う。
ギリシャはほとんどのおカネを外国の資金から借りて、実力以上の生活、出費をしていたから、いったん不安が広がると、ギリシャ国債が投げ売りに晒されてしまった。

菅首相が政権発足後に、ギリシャの財政危機に直面して、日本も同じ様になってはいけないとして、民主党の公約には全くなかった「消費税の10%への増税」を、自民党と公明党が言っているから民主党も言い出せば、すぐに同意が得られると早トチリをしてしまった。
タイミングの悪い時期、参議員選挙の直前に言い出したモノだから、説明もチグハグで、まったく国民からは信用を失ってしまった。
これが、衆参のねじれ国会を産みだし、その後の迷走につぐ迷走の政治停滞になってしまった。

日本の停滞、迷走などはお構いなしに、世界では1929年の世界大恐慌に匹敵する、大不況時代に突入している。
アメリカの金融業の暴走によるサブプライムローン問題が発端だが、グローバル化、自由化された金融取引が、制御できない位に不良債権の放射能を世界中にばらまいてしまった。
未だに、各銀行や金融関係企業が持っている不良債権の損失額が確定出来ないで、本来ならば倒産している金融機関も、各国の中央銀行からの救命装置による金融支援を受けている。

1929年の世界大恐慌のときには、小さい銀行が世界で数千という規模で、つぶれていった。
現代の金融危機では、各国の大きい銀行が破産状態になっているが、この損失が確定できない状況をつくり出してしまったのが、あまりにも複雑な金融商品、デリバティブ商品であった。
これが、完全に信用のない証券となっているので、取引が出来ない状態が長く続き、とっくに破産して整理をされる銀行が、つぶせない状態で経済停滞が長引いている。

それで、1929年の大恐慌時代から抜け出るには、何が実行されたかを振り返ってみて、現在の金融大不況の対策になる施策はなにか、を経済学者たちは考えた。
有名なニューディール政策は、民間が消費も投資も緊縮している時には、政府が代わりにおカネを大量に使うケインズ政策で、総需要不足を補って経済にテコ入れをした。

これを現代では、『グリーンニューディール政策』として、アメリカのオバマ大統領は、大車輪で民間の投資を支援しているが、経済の落ち込みを防ぐのが精いっぱいの状態である。

それと、1933年から1937年までは、長期の経済停滞が続いてしまったのを救ったのは、第2次世界大戦による大量の破壊であった。
武器の生産は大車輪となり、燃料の消費量も膨大に膨れ上がり、総需要不足などは、どこかに吹き飛んでしまったのである。

だが、現代では大戦争を期待するわけにはいかない。
それで財務大臣は、東北大震災を「千載一遇のチャンス」と口走ってしまったのである。

健康的で豊かな生活を求める日本国民はどこに行ってしまったのか。

2011-08-18 | 国創り政治問題
日本が20年という長期に渡った経済的な低迷によって、国民の間に一種のあきらめムードが漂っている。
お手本にしていた「アメリカ的生活水準」は、国土の狭さによる住宅スペースの我慢を除けば、ほとんどの便利さを実現している。
むしろ、国土が狭いことが欠点でなくて、エネルギー消費量が少なくて生活出来て、エネルギーを96%も海外資源に依存している弱みをカバーしている。

世界の中で抜きんでた債権国であるにも拘わらず、貯金と内部留保に励みながら、少しも消費に回そうとしないで、一層の貯蓄指向、倹約精神に邁進している。
これが、【デフレ経済】の主要な原因であることは、もう誰にも判っているのだが、その対策となると、議論が迷走してしまうのが、この20年間であった。

1990年代は、バブルの崩壊によって土地神話が崩れて、不動産投資に明け暮れた日本をどん底に落と仕込んだ。

そのあおりを受けて、前近代的であった金融業界、大蔵省の癒着体質問題が明るみにでて、不祥事続発による金融業界の神話が崩壊した。

さらに、新興の技術であった「IT産業」は、アメリカのバブル崩壊の影響で新産業としての牽引力を喪失して、デフレ経済の要因となってしまった。

景気対策の大義名分に便乗して、将来のビジョンもアヤフヤなままに、無駄な道路と、空港の新設が相次いでいたが、公共事業予算の削減に必要が起きて、「土建国家日本」の崩壊が始まった。
本来は都市部の道路改良など、生活の安全と便利さを強化すべき段階にきているのに、土建業者の為の工事ばかりを優先して、必要性の少ない道路工事に借金(国債の増発)を重ねすぎたのである。

残ったのは、世界一の対GDP比の累積債務(900兆円を超える)で、これが【日本の将来は借金大国】という暗いイメージを産みだし、国民の貯蓄精神をさらに強化させたのである。

この様に20年間も懸けて、スジガネ入りの消費減退の国民と、投資リスク回避の企業群を作り上げて来たので、【総需要不足】の対策は、容易ではない。
『インフレ目標政策』も必要だが、これだけではとても、改善されない。
高齢者が貯金をため込むのが【デフレ経済】の原因だといっても、老後の保障や、病気に心配などが先立ち、安易には財布のひもを緩めることはしない。
金融の大緩和でも、企業は海外への投資を選択して、国内投資のリスクは避けるばかりである。

この迷走経済の最中に、不幸な大震災と大津波襲来、そして福島原発の大事故が発生した。
どれにも、膨大な対策費用と、復旧、復興の設備投資資金が必要である。

財務大臣が不謹慎にも、これを【千載一遇のチャンス】と口走ったのは、つい本音を言ってしまったと、批判されている。
大災害にでも合わないと、新規の需要や設備投資の行動が出来ないのは、政治家、企業経営者、経済専門家の無策としか言いようがなく、財務官僚は全く役割を果たしていない。

遂に、政治家も官僚も何も考えない【最小・不考社会】の到来かと、驚愕するばかりである。

復興財源を国債に頼る政策には、政治家の大きな覚悟が必要だ!

2011-08-17 | 国創り政治問題
日本が現状の大災害に対処するために、膨大な財源を必要としているのは明らかである。
この財源を生み出す為に、無駄な出費、予算を削ることは、最大限の取り組まなければならないのは、言うまでもないが、それだけでは賄えない金額になることは明確である。
そこで、現世代が負担する税金、つまり増税によって対処すると言うのが、民主党の増税派と、自公政権時代の増税論のグループである。

もう一方には、現世代への増税は、今でさえ【総需要不足】に悩まされた【デフレ経済】から抜け出ることが出来ない状態で、増税による悪影響は、想像できない位に経済の停滞に拍車をかける。
ここの事情は国民に説明して、国債の発行(災害地の復興予算に充てる、時限的、限定的)に頼ることを承認してもらうのが、もっとも適切だ、という主張である。

民主党の次期代表候補の間で、この両者の言い分の議論がおこなわれ、選出されるであろう。

ここで、もう一度「国債に対する誤解」を、おさらいしておきたい。
「国債は将来、税を納める人が負担する」というのは正しいが、これを進めて、「将来世代は税金を納めて国債を償還しなければならないから、将来世代の負担になる」というのは誤解になる。
国債を保持していて、償還金を受け取る人がいるのだから、一方的に政府に税金が入るのではなく、おカネは民間(国債を保有している人)を通じて戻ってくるので、世代間の不公平ではない。

選択する判断基準は、現世代の税金で財源を賄う場合と、国債で将来の税収で賄う場合の、どちらが、現状の経済の改善に役立つか、これが第一である。
第二には、投資対象の設備や資産が、将来世代に役立つモノになるか、という評価である。
既に説明した様に、消費税の様な一律の増税は、間違いなくデフレ経済を長引かせることになる。
その一方で、蓄えのある企業や資産家から、資金を国債の増発によって引き出して、有効活用できるおカネを「総需要不足」を補う政策に利用すれば、デフレ経済の好転に貢献できる筈である。

これほど、明確な評価があるのに、何故に財務省は(また、洗脳された政治家が)増税の路線を進みたいのであろうか。
増税できれば、政府の台所事情は、少しは改善されて、財務官僚の頭痛のタネは減ることであろう。
しかし、国債の発行は、いろいろと悩み事が増えるばかりになりそうで、ムズカシイ問題は背負い込みたくない、という官僚心理が先立ってしまう。
国債の金利が低いままにして置いて、発行出来るとは限らないからである。

国債の名目金利が歴史的に低いことは知られているが、デフレ経済のもとでは、2010年時点のアメリカ国債の実質金利よりも高かった。
だから、日本に埋蔵された貯蓄と内部留保金は、日本国債を買うことで、一番リスクの少ないお金の使い方に終始してきた。
これは企業の国内への投資を抑制したことで、デフレ経済を継続する効果を産みだしてしまった。
国債の歴史的に低い名目金利は、デフレ経済の継続によって、可能となっていたのである。
デフレ経済を脱却したら、国債の名目金利が上昇して、消化できなくなる心配が先立つ。

増税、国債の増発のどちらにしても、財務省は責任を負いたくないだけである。
政治家は・・・?