ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

あいうえお

2024-05-06 09:20:22 | 日記・エッセイ・コラム
この標題では意味が分からない。
初めは「日本語の不思議」にしようと思っていた。
私はそも言葉に不思議を感じていた。
ここにきて、てかもう随分前からか、
日本語が始まりの言葉、
あるいは始まりに近い言葉だと、
そう思うようになった。
それを根拠をもって言っておられる方がいる。
少し前に YouTubeで知ったのですが、
その人はある一つの確信を持って、
日本語はもっとも古い言語だと。
それもあって、
なおさらにそう思うのです。
それに私には私なりに、
思うところがある。
そんなことで、
・・・・・
言葉はそも音です。
それを基として成っている。
それを想うのです。
学問的根拠はないのですが、
それ以外は考えられません。
ゆえそれを手掛かりとする。
だからの標題(あいうえお)である。
日本語は音を50音として扱う。
そこでの母音は五つである。
それが「あいうえお」。
この五つは残りの音すべてについてきます。
てか「ん」は除く。
音韻には母音と子音がある。
母音は音として明瞭、また長く発せられる。
子音はそも一瞬の音、すぐに消えてしまう。
だから言葉が音であり、
そこに思いを乗せて伝えるとすれば、
その初めは母音としか考えられない。
子音が用いられるのはその後である。
それは音の多様化には必要であろう。
それに発話のしやすさをも加味して、
日本語には濁音拗音促音などがある。
 (「〝」「゜」「っ」「ん」)
ちなみに母音の数は五つと決まってる訳ではない。
五つ以上や五つ以下のこともままあるようで。
それは喉から口元にかけての形で決まる。
数が多ければそこが複雑微妙になる。
少なければ用を足すのに不十分。
どうも五つがいいようです。
日本語はその様である。
・・・・・
ところで、
日本語は一音一意と謂われる。
それが50(音表として)あるのだと。
そのように聞いている。
てかどこで聞いたのか。
学校教育でないのは確かだが。
それはそれとして、
私は大いに興味を持っている。
言葉の不思議の一貫でもあり、
そのことをつとに思うのです。
そんなことで…。
言葉の始まりは音として、
なおそれは母音一音から。
それがまずは五つあると。
それが「あいうえお」である。
でもこれは、
喉から口元までの形状からすれば、
不自然なのです。
これは「あえいおう」の方が、
その形が自然に流れると。
だから「あえいおう」とする。
ひとつは「あ」、これは感嘆をあらわす。
これは心が驚くときに発する。
ひとつは「え」、これは疑問をあらわす。
これは心が惑うときに発する。
ひとつは「い」、これは納得をあらわす。
これは心が収まるとき発する。
ひとつは「お」、これは応答をあらわす。
これは心が答えるとき発する。
ひとつは「う」、これは始末をあらわす。
これは心が構えたとき発する。
と思うのですが、
勝手ながらのこじつけである。
自分では結構気に入っている。
ところで、
ここでオノマトペが出て来る。
これは日本語の得意技である。
他の言語にもあるが日本語にはそれが溢れてる。
想えばオノマトペは音が意を持つ初めのような。
となると言葉はここに始まるのかも。
そんな風にも思える。
それはさておき、
ここでもう一度うえの「あえいおう」を。
その順番が妙に現実に合致する。
「あ」っと驚き、
「え」っと惑う、そして
「い」で収めて、納得
「お」で答えて、
「う」で構える、始末
これって突然の事態に対する反応そのものか、
そしてそのときのオノマトペである。
まあ「こじつけ」である。
でもまあそこそこの、
・・・・・
そも日本語はその系統が不明である。
もっとも古いならそれは当然のこと。
それに冒頭でも言ったが、
確信を持ってそう言ってる方がいる。
それを得た方法とは、
ある言葉の語源を世界中で調べた結果であり、
成程という説得力がある。
また古代シュメールには、
日本語のような音韻表があったとか。
そういう資料が出土しているらしい。
あれやこれやあり、
そこに私には私の思いがあり、
ゆえ私にもそれなりの確信が。
中でも大きなしるしがふたつ。
ひとつはその音韻表。
ひつとはオノマトペ。
てかそれがどうした、
どうもしません、
それだけのこと。
ハイ!