ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

私の朝日新聞

2017-08-14 15:27:27 | 日記・エッセイ・コラム
先の戦争の本当の反省・検証はなされていない。
そしてそこには嘘が一杯流布されている。
嘘を流布したい者が検証するはずもない。
むしろ検証されれば困るのだ。
呆れることに、この状況は未だ変わっていない。
戦後70年以上経っているのに。
少しはましになってるが。
・・・・・
朝日新聞は昨今部数が減っているようだが、
戦前・戦後を通じて日本はおろか世界的にも大新聞であった。
記者も多く抱え、取材能力は高かった。
だから、日々の活動を通じて多くの事実を知っているはずだ。
当時日本であった朝鮮・台湾も含めて。
だが、そのことにまったく言及しない。
問題があれば更に詳しく取材や調査もできるのに。
なぜか戦前のことは語らない。
都合の悪いことでもあるのか。
巷間では戦争を煽ったのは新聞だとも言われる。
今と違ってテレビはないし、メディアの中心は新聞であった。
その影響は非常に大きかったのだ。
・・・・・
戦争を煽ったのは事実として、
なぜ煽ったのか。
単に戦争をさせたかったのか。
その目的は?
新聞を売りたかったのか。
軍部を潰したかったのか。
皇室を潰したかったのか。
日本を潰したかったのか。
よく分からない。
ひとつ分かってるのは、
ゾルゲ事件で朝日新聞の記者が関わっていたことである。
なら共産主義に加担してたのか。
ソ連との戦争を避けるため、敢えて他との戦争を煽ったのか。
シナには余り敬意を払っていたようには見えない。
当時のシナは国の態を為しておらず、共産主義でもなかったし。
それが今では逆である。
戦争を忌避し、平和・平和と叫んでいる。
ソ連の後であるロシアには敬意を払ってるように見えない。
逆にシナにはほとんど言いなりのごとく従っている。
それは共産主義を掲げているからなのか。
実態は共産主義と程遠いが。
・・・・・
朝日新聞は戦前のことを反省し、戦後は変わったと言われる。
確かにそのように見える。
あんなに戦争を煽っていたのに、今は逆に平和一辺倒である。
だが私は騙されない。
実は何も変わっていないのだ。
日本に力がある時は戦争を煽り、
力が削がれたら平和一辺倒である。
つまり日本の力を押さえたいだけだ。
今回の「もりかけ騒動」もその一貫である。
腐っても鯛、それなりに取材能力はあるだろう。
事実関係の調査など簡単にできるはずだ。
それがあの様である。
明らかに確信犯である。
すなわち、朝日新聞は朝日新聞なのだ。
何も変わっていない。
昨日も今日も明日も、
…。