甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

 ふと思う 26年 出会い無き 衝撃の歌 満月の夕べ 

2021-11-26 22:36:22 | Weblog
    満月の夕・26年目の唄
 9月、音楽プロデューサーの清水紹音さんが、「酒井俊さんを聴いてみる?」と言って、「満月の夕」という曲を聴かせてくれた。「この歌、知っているでしょ。阪神淡路大震災の時、歌われて、レコード大賞の、企画賞だったか、取った歌。」

風が吹く 港の方から 焼けあとを 包むように おどす風
悲しくて すべてを 笑う  乾く 冬の夕べ  
 
時を超え 国境線から  幾千里の がれきの町に立つ
この胸の  振り子は 鳴らす 今を刻むため

飼い主を なくした柴が 同胞とじゃれながら 道を行く
解き放たれ すべてを 笑う  乾く 冬の夕べ

ヤサ ホーヤ  歌がきこえる 眠らずに 朝まで踊る
ヤサ ホーヤ  焚火を囲む 吐く息の 白さが踊る
解き放て いのちで 笑え  満月の夕べ・・・・

「満月の夕」聴いていると、ニュースで見た当時の被災した町の様子が、頭の中で、勝手に白黒の写真で浮かび上がってくる・・・そして酒井俊の圧倒的な破壊力ある、そして心を鷲づかみにされるような歌に魅了された。

 阪神淡路大震災の時から歌われていた「満月の夕」26年前から歌われていた歌を知らなかった。自分もそして、身近な周りの人も、誰も知らなかった。

「満月の夕」は、大阪を拠点にしているロックミュージシャン中川敬と、東京を拠点に活動をしている山口洋の共作となっている。阪神淡路大震災が起こる前に、Aメロは大方出来上がっていたくらいで、詩は出来上がっていなかったという。

 震災から1か月後、中川敬率いる「ソウルフラワーユニオン」エレキギターを三線に持ち替えて、神戸で初めて慰問演奏した日のこと。おばちゃんが近づいて来て、「兄ちゃん、ありがとうな!私、子供も、旦那も、家も、仕事も全部なくした。でもみんなそうやから、だから私この3週間、ずっとボランティアやってた・・・泣くこと忘れてた。あんたの歌でやっと泣けたわ。あんたの歌う朝鮮民謡アリラン、ありがとうな」って、ニヤッて笑って、俺の背中をボーンてたたいてね・・・それが忘れられない。(中川敬)
 2月14日、長田区南駒栄公園、演奏を終え、中川たちは、焚火を囲んだ。その日は、1月17日以来満月の夜、皆が口々に「満月、怖い」「満月、好きやった・・・」翌日、中川は一気に書き上げた、言葉も、メロディーも流れるように出てきた。
「家族を亡くしたり、家を無くしたりして、つらい思いをしてるのに、みんな人のために、一生懸命動いている訳。精一杯の笑顔で、忘れられない。「人間」ってすごいな。ああ「人間」がいたな。

 東京の山口洋は、中川が書き上げた歌を歌うことを躊躇った。「寂を聴いた時、その現場に行った人間しか書けないものがあって非常に心、動かされたんです。」「あの時の日本人は、「実際に行動した人」と、「心を痛めながらも、テレビを見ることしかできなかった人」の2種類だと思う。僕は後者のタイプで、少し距離を離れて見ていた。テレビを見ていた立場から、僕は歌詞を書いた。
                   以上 youtubeから抜粋

風が吹く 港の方から 焼け跡を 包むように おどすように
 悲しくて すべてを 笑う 乾く 冬の夕べ

夕暮れが 悲しみの 街を包む 見渡すながめに 言葉もなく
行く当てのない 怒りだけが 胸を あつくする

声のない叫びは 煙となり 風に吹かれ 空へと 舞い上がる
言葉にいったい なんの意味がある 乾く 冬の夕べ

ヤサ ホーヤ 歌がきこえる 眠らずに 朝まで踊る
ヤサ ホーヤ 焚火を囲む 吐く息の 白さが踊る
解き放て いのちで 笑え 満月の夕べ・・・

 
追伸  
東日本大震災後も「満月の夕べ」は、youtubeでも数多く歌われたそうです。にもかかわらず、今まで出会わなかった・・・26年目の「衝撃の歌」でした。
今、酒井俊さんに、ハマっています。アルトサックスの林栄一さん、ピアノの田中信正さんと共演している「回想」という10分を越す曲が最高に好きです。林栄一作曲、作詞酒井俊。切なくて、優しい詞です。是非、聴いてみて下さい。 

       令和3年11月27日       笹原 真二
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