甍の上で

株式会社創瓦 社長 笹原真二のブログです。

大東文化大学陸上競技部今昔物語10

2016-04-28 06:40:41 | Weblog
続追伸
2年先輩の田原さんに、1月、この今昔物語を送った。「4月23日、高坂で、お会いしましょう」という手紙を添えて・・・すると奥さんからの手紙が。もしかしてという思いで開けてみると「昨年の8月5日に亡くなりました」・・・
大学を卒業して、京都にいた時、TVニュースで明石の田原純一さんが事故で亡くなったというニュースが。驚いて、青葉先生に連絡を入れると、田原さんのお家に連絡してくださって無事を確認「うちでも、同姓同名の人が亡くなっている」と話をしていたとのことだった。それからしばらくして第一子を懐妊中の新婚の田原さんの家に遊びに行ったことがある・・・田原さんは明石の青果市場に勤務されていた。新幹線の車窓から明石の青果市場はよく見える。そこを通る度、田原さんの姿を探した。一度だけ車窓からあの大柄な田原さんの姿を見つけたことがある。もう30年以上前のことだ。
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大東文化大学陸上競技部今昔物語9

2016-04-28 06:38:23 | 陸上競技のこと
メンズクラブが愛読書?カッコマン望月は、福島なまりで「お前、よく言うなあ」と言うのが口癖だった。「おごじょ、ちょのげが落ちとる」(彼女、タオルが落ちているよ)なんて卑猥なこと言うやつなんだと思った吉元。真面目を通り越して少々融通の利かないのだが、それも魅力の頑固者「そうだんべ」の榎田。「後藤さんの墓参りにいきませんか?」何も言わず「分かった。行くよ」と一言。肝心な時に頼りになる兄貴!石川さん。練習中、青葉先生に殴られ、グランドから体育館まで駆け上がって逃げた長谷川、男らしくちゃんと殴られればいいのにと思っていたが・・・あれも良かった。全てが○だった。
何といっても良かったことは、青葉先生御一家と同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食って4年間お世話になったことだと改めて感じている。
個性あふれる先輩、同期、後輩がいっぱいいた。人生が二度あるなら、もう一度、あの大東文化大学に入学したい。才能はあの時同様、無くてもいいから・・・しかし、今度はもっとちゃんと陸上競技と向き合って、考えた取り組みをして、箱根駅伝に挑戦したい・・・あの恵まれた環境の中の4年間を今さらながら思い起こしてみると、やはり「悔いが無い」と言ったらうそになる。   
 平成27年8月~28年2月吉日 記  
4年生で1年間だけマネジャー 笹原 真二
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大東文化大学陸上競技部今昔物語8

2016-04-28 06:36:25 | 陸上競技のこと
全くの下戸なのに、「僕も飲みます」と男気を出して少量の酒を飲んでは、急性アルコール中毒の症状になり心配させた高橋。あの強かった大久保さんの5000mの大東記録を更新した清水は食事当番ではカレーばかり作っていた。思いのほか美味しかった通称シブライス(卵焼きのあんかけ丼)を作ってみんなに喜ばれていた渋谷は、ちょっとすっとぼけたところが魅力だった。キャベツの千切りがものすごく上手だった横田は、女子高が共学になった男子一期生。しかし、校名は変わっていないと言って、出身校を小川女子高校と書いていた。その横田が浅草のほうずき市で買ってきたべったら漬の匂いが廊下に広がって漬物嫌いの2年先輩の佐藤さんが「誰だ!漬物なんか、買ってきやがって!こんなとこに置くんじゃねえぞ!」と激怒した。横田は「べったら漬はおいしいんだけどな・・・」その通りべったら漬は美味しい。
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大東文化大学陸上競技部今昔物語7

2016-04-28 06:33:54 | 陸上競技のこと
追伸
怒られたこともあれば、殴られたこともある。決して面白いことばかりではなかったはずなのだが、何故だか?面白かったこと、楽しかったことしか思い出せない。
高倉建や菅原文太、やくざ映画が好きだった神山。絶対音感の持ち主なのに歌を唄わせたら、高音が出なくなり音痴になる中野。立石、新原、加藤の三○○大将。400mを走らせて60秒掛かるのに800mを2分00秒で走る森岡(現ノーリツ監督)。練習しなくても強い山元。練習よりも雲取山の独荷(ぼっか)のアルバイトに喜んで行った江田。野球はジャイアンツ、相撲は同郷高知出身の荒勢が負けると機嫌が悪くなり、後輩いびり?をする加用さん。酒を飲む時は目が細くなって本当に嬉しそうに飲む後藤さん。寮にいる間は運転免許の取得禁止だったが、「監督には内緒だぞ」と言って主将自ら自動車学校に行っていた森田さん。窓に目張りをして踊っていた岩元さん。いつも故障していた佐野さん、右手で眼鏡を少し上げてヒクヒクヒクと笑う法村さん。誕生会では、酔うといつも「やっしょ(八代)よいとこ、それゆえに~♪♪」と唄っていた森下さん。米盛さんからは「俺の洗濯物しておいてくれ」洗濯はしたものの、お陰で体中が痒くなってしまった、ノミ?あれはなんだったのだろうか?・・・さだまさしが好きな、長崎出身の寺坂さんは15年前に心筋梗塞で8分間心肺停止、死地を彷徨っている時、「箱根は、よかですねえ・・・」と、うわ言を言いながら見事生還。箱根駅伝に命を救われた。
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大東文化大学陸上競技部今昔物語6

2016-04-27 07:59:21 | 陸上競技のこと
箱根駅伝では伴走車に乗る。1区は清水。早朝3時に起きて伴走車に同乗する安田さん、清水の3人で物見山へ散歩に出たのだが・・・大きな流れ星が。あんまりきれいな流れ星に感動して、つい「落ちた」と言うと、安田さんは福島なまりで「馬鹿野郎!縁起でもねえこと言うんじゃねえ!」。
清水は15km手前で落ちた。突然立ち止まって屈伸運動、軽い痙攣が・・・驚いたが、清水の冷静な対応にある意味感動した。その後18kmあたりで再び立ち止まるものの、トップから1分40秒遅れの15位で中継。2区池田が激走!後半伸びを欠いたものの7位に上がる。3区吉元の状態も良いとは言えなかったが森田さん譲りのハートの走りで4位浮上。4区山元は1人交わして3位に上がる。5区は立石、箱根の頂上で後ろを振り返ると、順天堂大学の上田(現山梨学院大学監督)が鬼の形相で追ってきていた。ラスト2km付近で上田に交わされ4位で往路を終えた。余談だが、昨年の3月、二女純子の中央大学の卒業式。隣を見ると、その上田監督夫妻がいた。ほんの少しの時間だったが、当時の話に花が咲いた。
復路、6区加藤の走りはどう見ても下りに向いていない。監督の意図は何なのか?そのことを3年前、聞いてみた。すると青葉先生曰く「加藤は試合を途中で投げることがあるから、1区は使えない。6区しか使うところが無かったんだ」。順位は総合4位と変わらない。7区望月で2位に浮上する目論見だったが、順天堂大学1年生の中島に区間賞を奪われ3位に留まる。8区大隈広が無難に3位をキープする。9区生田が早稲田の小田に捕えられ4位に後退。10区長谷川も追い詰めることはできず、そのまま4位でゴールした。
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昨日、次女がオーストラリアから帰国しました。

2016-04-27 07:43:14 | Weblog
 オーストラリアに語学留学していた娘が帰ってきました。昨年の2月からフィリピンの語学学校へ。6月の初めに帰国して、6月の終わりからはシドニーの語学学校へ。1月に語学学校は終了して、それからはアデレードの小学校、中学校で、先生の家にホームステイさせてもらって、こども達に日本語を教えていたそうです。日常生活における英会話は習得できたみたいです。帰ってきたことを一番喜んだのがお袋。昨夜は孫娘と枕を並べて休んでいました。これから就職活動、早く決めて、来春までにまたカナダかアメリカで英語をもっと上達させてほしいなと思います。
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大東文化大学陸上競技部今昔物語5

2016-04-27 06:15:07 | 陸上競技のこと
秋に事件?2年生新原(現世羅町議会議員)が「横田さんが、大変なことになっています」行ってみると、大切な金の玉がソフトボールくらいの大きさに?内出血して腫れあがっている。聞けば、榎田とクルミを取りに行って登っていたクルミの木が折れて落ちたという、大事なところをアイスノンで冷やしている姿は決して笑える状況ではなかったが、今では笑えるエピソードだ。後日、病院に行き事なきを得た。現在、奥様との間に娘さんと息子さんがいる。
年末の30日だったか?OBの安田さんが、箱根駅伝の打ち合わせで寮に来られる。消灯後、「飲みに行くぞ!」主務の渋谷とともに、安田さんのセリカに乗り込んで坂戸のスナックへ。ここにきて、初めての門限破り。夜中の2時頃、ラグビー部の寮のあたりまで安田さんの車で帰ったのだが・・・見送る安田さんが運転する車は右へ左へ大きく蛇行。本当に無事帰れるのか?翌日は、朝から晩までテレビでニュースばかり見ていた。
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大東文化大学陸上競技部今昔物語4

2016-04-26 19:58:08 | 陸上競技のこと
3年生の関東インカレ、主将宮地さんが30kmで5位。1500m決勝は面白いレースだった。400m70秒、800m2分20秒という超スローペースで1000m、ここからの500m競争が凄かった!6人が縺れるようにゴールへ。1位、中村(日体大)2位、新宅(日体大)3位、山口(法政)4位、小川(日大)5位、我らが吉元 6位瀬古(早稲田)本当に迫力あるレース、しかし、1部より転落。
箱根駅伝、3区吉元、調子は万全ではないような・・・しかし、吉元は森田さん同様ハートで足を運んでいる。見事区間賞を獲得。改めて吉元の強さを感じた。4区は4年生の岩元さん、ついに日体大を捕えた。私が入学以来、日体大の後塵を拝してきた・・・最後には岩元さんも突き放されたが、とにかく日体大を捕えた。この年は1区横田、3区吉元、6区清水、7区望月、9区榎田と同期が5人出場。
4年生、関東インカレ2部、主将吉元の調子が上がらない。貧血の様相、医者に連れて行き造血剤を・・・どうにか間に合う?1年生3段跳びの望月の2位、2年生競歩の色葉の6位。この2人が1部復帰の影の功労者だという事を忘れてはならない。
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大東文化大学陸上競技部今昔物語3

2016-04-26 08:21:42 | 陸上競技のこと
1年生の関東インカレ、主将大久保さんは強かった。・・・30km独走で優勝、10000mの日体大塩塚さんとの後半の攻防は、今でも思い出すことができる。
箱根駅伝・2区で森田さんが、早稲田の瀬古に追いつくとその後、後ろに付かれる。やっと振り切ったが、レース後ひと言、「瀬古は、やはり強い」。
それまで3年連続1区を務めていた橋口さんは1年間不調で苦しんでいたが(原因は貧血だと思うのだが・・・)、箱根には間に合った。10区で区間新記録。苦しんでいた人が最後に巻き返した。
2年生の関東インカレ、主将森田さんが30kmで惨敗、宮地さんが2位に。森田さんは1週間後?の5000m3位でゴールするものの、他の選手と接触?したとして失格に。「そりゃないよ!」と言う判定だった。それでも森田さんは疲れた体に鞭打って最終日の10000mで5位に入った。ハートでもって行く走りに感動さえ憶えた。
箱根駅伝・監督から風邪を貰った2区森田さんはもがいていた。それでも関東インカレ同様、身体をいっぱい使ってハートで走っていた。やはり我らが森田さんだ!入学時の部屋長、後藤さんは、2年生の時は3区を走って優勝メンバーの一人だった。しかし入学早々の私が罹った風疹がうつって、関東インカレの選手から漏れた。それ以来調子を落とし、3年生の箱根駅伝では選手から外れた。貧血だったのではないかと思うのだが・・・それでも4年生、最後の箱根には間に合った。1年前の橋口さん同様10区で出場。総合3位で卒業していった。そんな後藤さんは3年前の1月亡くなった。後藤さんが卒業して以来、東日本大震災の時とか、何度か電話で話したことはあったが、会ったことはなく、平成25年1月30日、「青葉先生の喜寿のお祝いの会でお会いしましょう」という電話を掛けたのだが、「この20日に亡くなりました・・・」と奥さんが。二の句が継げなかった。
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大東文化大学陸上競技部今昔物語2

2016-04-25 07:26:44 | 陸上競技のこと
親元を離れて初めての寮生活。同部屋の部屋長は、桜田淳子が大好きな3年生の後藤さん(岩手・花巻商業)、2年生は石川さん(埼玉・農大二高)。
食事当番は1年生、2年生が40数人の食事を作る。石川さんとスパー丸武へ買い出しに行く。加島肉店では豚の細切れか、鶏肉。おかずの代金は一人朝夕合わせて200円が目安。たまに店員さんがサービスしてくれる。キューイフルーツを初めて食べさせてもらった時は、見た目ではイモかと思ったくらいだ。
大島合宿。砂場の坂ダッシュで、吉元が白目をむいて倒れた。あそこまで自分を追い込むことができることは衝撃だった。高橋の柔らかく大きく伸びるストライドも驚きだった。将来こんな選手が2時間12分くらいでマラソンを走るようになるんじゃないかと・・・自分の素質の無さは大きなコンプレックスとなった。
秩父、長瀞での新入生歓迎会。初めてのお酒は・・・1年先輩の岩元さんが「チーズを食っておけば胃にチーズの油が膜を作って、酒が飲める・・・」ウソだった・・・冷たいビールを2杯続けて飲んだが、30秒もしないうちに冷たいままのビールを戻して撃沈!多くの人達が楽しみにしている毎月恒例の誕生会が、卒業するまで、苦痛の種だった。
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