ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

地域創造は文化庁の仕事をやっていたのではない

2010-05-24 01:27:06 | アーツマネジメント
一昨日の書き込みの続き。

昨日は地域創造の事業の仕分けの結果しか見ていなかったが、何と、宝くじの宣伝普及事業を廃止というにとどまらず、宝くじの販売そのものを中止(というか凍結)、というのが仕分け人グループの結論だったらしい。

行政刷新会議 事業仕分け ワーキンググループB
事業番号B-34 (事業名) (1)宝くじの普及宣伝の事業 仕分け結果


これは、すごく面白い。実現するのだろうか。

こういう議論が行われて、それが従来型のマスコミだけでなく、ウェブやツィッターで伝播されていくなんてことは、昨年まではまったく考えられなかった。このことを見れば、たしかに政権交代は意味があった。(こういうところでしか確信を持てないのが今現在のつらいところだが。)

私は、何も宝くじそのものが悪だと言っているのではない。
英国の宝くじがアートの振興に活用されている(始まったのは1990年代)のを知っているので、もうちょっとまともに使ってほしい、とは思う。
(何がまともかを考える、あるいは、議論することも必要だ。)

ところで、地域創造関連の仕分けに対する見解に関して言えば、質量ともに、何と言っても、小暮宣雄さんの独壇場である。

→ こぐれ日乗

この件に関する小暮さんのツィッターをまとめたページに、小暮さんのこんな文章が載っている。

(引用開始)
まあ、よく判っていない人も多いなあという感想を持ちますが、こんなに判っていない(たとえば、文化庁の仕事をどうして地域創造がしているのかわからないとかいっている人とか)人がいらっしゃるというのが判ってよかったです(引用終わり)

出典:@kogurenob #ChiikiBunkaShuken 小暮宣雄さんの「地域文化集権」論についてのツイートまとめ

そうなのだ。
地域創造がやってきたのは、文化庁の仕事とはまったく性格の違ったものだった。少なくとも、その初期には。小暮さん流に言えば、「当初の地域創造は破壊的だった」のだ。

というわけで、こういう事業がなくなったら、それは文化庁がやればよい、といういささか単純すぎる意見には、「それはまるで違いますよ」という他はない。

ここに書いた事情を、自分のこととして理解してくれる人があちこちに増えてくれれば、日本の文化政策も目に見えて変わっていくはずだ。

とは言え、とにもかくにも政権交代が実現したこの国で、これまでのように、すべてが「昔の名前で出ています」のままであるわけではなかろう。どこがどのように変わりうるのか、その変化をどうやったら起こせるのか。たしかに、こんなに面白い状況はこれまで、ついぞなかった。

状況の変化が早すぎて、面白がっている場合かどうか、よくわからないのだが。

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