ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

10年後の自分への手紙

2012-07-15 22:52:25 | アーツマネジメント
いろいろと事情があって、(というか、自分自身に余裕が乏しくて)このブログがずっと開店休業になっていた。今後どうなっていくかはわからないが、なるべく時間を作って書けるときには書いていこうと思う。

さて、私は先日、ステージラボ埼玉セッション(7月10日〜13日)のホール入門コースのコーディネータを務めた。大役なのでどうなることかと思ったが、結果は、受講者の皆さんの積極的な姿勢がすばらしく、予想以上の成果があがったよい研修になったと思う。

最終日に、コース受講者25名全員に、「10年後の自分への手紙」を書いてもらった。

以下に、そのとき私が書いた「10年後の私への手紙」を掲載しておく。


2012年7月13日(地域創造のステージラボ埼玉セッション最終日)の自分から10年後の自分へ

 人が社会のために何かをするということは、考え方によっては難しそうに思えるが、そのやり方にもいろいろあると考えれば、そのときどきで自分がやれることをやればよいということも出来るだろう。
 先日読んだばかりの内田樹のブログに、これからの社会は、交換経済ではなく贈与経済がますます大事になってくると書かれていた。お金を持っていることが大事なのではなくて、どう使ったかが問われるようになるという。(この予測は、10年後にあたっていると思えるだろうか。)
 人から預かったお金をどう使うか、は、これまで、行政に固有の課題だと考えられてきたが、実は、個人であれ、家庭(家計)であれ、企業であれ、人から預かったお金で回っていることには変わりはない。
 問われるのは、入ってきたお金を、どこにどうまわせば本人も納得できるし、お金を次に受け取る主体も納得できるし、社会も納得できるか、というWin-Win-Winの関係(三方一両得)の構築の仕方が問題なのだろうと思う。
 私は、2002年に大学の世界(跡見学園女子大学)に移ってから、今年の3月で10年が経った。最近5年間は、文化の公共性や文化を支える経済的なしくみについての研究に特に関心を抱いてきた。
 自己分析をすれば、多分、私は、文化政策そのものに興味があるというより、文化政策がどのような社会的歴史的文化的要因によって規定されて、いまあるものとして存在しているのか、ということを考えるような思考方法(文化政策に関するメタ思考)に興味があるのだと思う。
 これまで、アートNPOの運営や、いろいろな自治体の文化政策に関する審議会や、大学における教育研究の経験を通して、文化政策やアーツ・マネジメントを研究し、実践してきた。当然、その成果を次の10年の仕事に生かしていきたい。
 いま私が抱えている課題は、世の中にごく当たり前に流布しているアートにまつわるステレオタイプで画一的なイメージ(消費材としての文化)に代えて、誰でも新しいアートを生み出し楽しむことができるという可能性(個人の潜在能力を引き出す触媒としてのアート)を語る説得力のある言葉を見つけ出していくことだろうと思う。
 大学の授業や研究を通してであれ、NPOの経営の現場を通してであれ、あるいは、今は未知の(ひょっとして今後出会うかも知れない)仕事を通してであれ(実際に、10年後までに自分の仕事がどのように展開していくかを予測することはできない)、世の中の文化に対して(特に、アートに対しての)「抱かれているイメージを多様化する」ことに、いささかなりとも貢献できているのかどうか、ということをこの10年の自分の評価を測るものさしとしておきたい。

 10年後、私は、私自身のこのマニフェストを、微笑ましいものとして受け取るだろうか、それとも、苦々しいものとして受け取ることになるのだろうか。

 前者であることを願いつつ、私は、私自身に向けて、幸多かれと祈ることにする。

 2022年の曽田修司さんへ

      2012/7/13
                                曽田修司
ジャンル:
文化
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