ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

「Always 三丁目の夕日」

2006-01-23 22:52:13 | アーツマネジメント
まいった。

こんなにボロボロ泣かされる映画だとは思っていなかった。

後から考えると、設定も話の展開もいわゆるお約束どおりの展開なのに、見ている間、ひっきりなしに泣かされた。もう途中で、「これは反則だぁ」と思わされるくらい。

原作がコミック誌に連載されていた西岸良平の短編漫画だけに、物語の展開自体がショートショートの積み重ねであり、ひとつひとつのエピソードの描き方が非常にうまいからだろう。

鈴木オート(堤真一)と六子(むつこ、ロクちゃん:堀北真希)との間の自転車修理と自動車修理の誤解。孤児の淳之介を竜之介(吉岡秀隆)が引き取ることになった経緯。淳之介が書いた小説のアイデアを竜之介が盗作したことが淳之介にばれ、竜之介がまずいと思ったところに、自分のアイデアを小説に使ってくれてそれが本になったことに感動したと淳之介が語りほっとするという話。サンタが淳之介に万年筆をプレゼントしてくれる話。淳之介の母を捜しに一平と淳之介が高円寺まで出かけて電車賃がなくて帰れなくなってしまう話。途方に暮れたときにセーターの肘当ての中にお金が縫い込まれていることに気づいて、そのおかげて2人は無事帰宅できたという話。
竜之介がヒロミ(小雪)に箱だけの婚約指輪を贈り、見えない婚約指輪を指にはめてあげる話。正月に故郷の青森や帰る汽車の切符をプレゼントされた六子が自分は親に捨てられたと思って沈んでいると、六子の母からの手紙が鈴木の妻トモエ(薬師丸ひろ子)のところに毎月届けられており、六子には内緒にされていたことがわかる。
その他、宅間医師(三浦友和)がたぬきに化かされる話、六子が傷んだシュークリームを食べて食中毒になってしまう話、などなど。
ショートショートとともに、人情話や小咄やちょっとシュールな奇譚まで含めて、落語の要素と言ってよいものもふんだんに入っている。

ここで描かれている時代(昭和33年、東京タワー建設時)は、「もはや戦後ではない」(昭和31年)と言われ、高度成長のとば口にあたり、テレビ、冷蔵庫、洗濯機の三種の神器が家庭に入ってきた時代。
そういえば私も、最初の頃のテレビには恭しく布カバーが掛けてあったことを幼い頃の記録として記憶している、ように思う(それとも、これは後で自分の中で偽造された記憶だろうか)。
芥川龍之介や吉行淳之介(吉行和子も)をもじった名前になっていることや、茶川商店の「商」の字が右下がりになっている(「商いが傾いている」)などの細かいくすぐりもある。

東京タワーが出来る年の話だけにテレビ局(日本テレビ)が製作委員会に加わっているのも納得。日本テレビの最初の圧倒的なキラーソフトは何と言っても力道山のプロレス中継だったのだから、日本テレビがこの映画の製作にかむのも当然だろう。
その他にも、ヒロミが竜之介と淳之介にライスカレーをつくる、という場面があり、協力にはハウス食品が入っているなど、いろいろな企業群を多数巻き込んでつくる昨今の映画の製作事情もかいま見える。

あと、時代としては、プレスリー、コーラ、たばこは「しんせい」。集団就職。SL。町並みも、都電も車も、銀座通りも和光も上野駅も、公衆電話が水色だったのも、すべて、「そう言えばそうだった」。(私はこの時代の東京のことは知らないので、私の持っているこの時代の記憶は、どう考えても後世私のあたまの中でねつ造されたものである。)

吉岡秀隆や薬師丸ひろ子や三浦友和ら、どちらかというと「楷書」の演技の俳優さんたちが時代の雰囲気にあった人物像を描き出している。主役陣では堤真一や小雪、また、その周りの人たちは非常にうまい。石丸謙二郎。温水洋一。松尾貴史。おなじみ小日向文世。もたいまさこ。みんな、うまいわぁ、やっぱり。子役もうまい。
やっぱり、「反則」だなぁ、これは。

ちなみに、ポスターの宣伝コピーは、「パソコンもケータイもなかったのに、何であんなに楽しかったんだろう」。答えは、この映画が、楽しさを語る語法をしっかり押さえているからだ。

これは、封切られたときから、即「古典」と呼んでいいウェルメイド娯楽映画である。同じ東宝の配給で、近年大当たりをとった「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」の路線を継承した快作だと言ってよいだろう。


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