少年と金魚とビートルズ

息子の成長と、大好きな金魚とビートルズの話と、その他いろいろ。

HBJL#2 DOUBLE FANTASY ジョン&ヨーコ展

2020-10-29 19:50:24 | 日記
Happy Birthday John Lennon!

ジョン・レノン80才の誕生日
10/9(金)から始まった
DOUBLE FANTASY ジョン&ヨーコ展に
行ってきました。

会場は
ソニーミュージック六本木ミュージアム。

2018~2019年に
ジョンの故郷リバプールで開催されて
なんと70万人動員、
会期も延長された驚異の展覧会。
その時のニュースを見て
イギリス人め、なんと羨ましい!
と、思ったものです。

それがなんと
ジョン80才の年に
今度はヨーコが生まれた東京で開催!
日本に生まれて良かった!
どうだ、羨ましいだろ?!

昔、埼玉にあった
ジョン・レノン・ミュージアム。
なんでもっと真剣に見ておかなかったんだろう、
といまだに後悔している私です。
このチャンスを逃してはならない。
すべての物、すべての言葉を
脳ミソに焼き付けてこようと
気合い十分です。

あれ、これは
ジョンレノンミュージアムにあったっけ?

ベッドインやぁ(なぜか関西弁)

このギターの存在感に震えた。

裏も見た!普通だった!

こっちのほうがもっと震えた。
窓に貼ってあったやつやぁ(T_T)

キョーコちゃん、心配しないで!


1966年

6月30日~
ビートルズ、武道館で来日公演。
次の公演地フィリピンでは酷い目に合い
8月のアメリカツアーも
ジョンのキリスト発言が曲解され
散々な思いをさせられます。
ビートルズはコンサートを止めることを決意。
そしてジョンは丸メガネをかけて
映画「僕の戦争」に出演します。
映画の撮影が終わって数日後の
11月7日
ジョンとヨーコは出会います。

展示物のリンゴを勝手にかじられ
ヨーコのジョンに対する第一印象は
あまりよくなかったそうです(^^;

作品や貴重な私物、写真や言葉で
二人の歩みをたどります。

二人が発するメッセージは
ユーモアがあって

ポップで

人々の心に
スーっと入ってきて残る。

オノ・ヨーコが
ジョン・レノンの横に現れたとき
世界中(特に白人)のビートルズファンが
驚き、怒り、バッシングを始めた。
ビートルズを壊しやがって!
ジョンをおかしくしやがって!
その感情には
女性差別や人種差別も加わり
壮絶なものだったそうだ。
しかしジョンはヨーコを守った。
ヨーコもうつむかず、凛と前を向いていた。
強いなぁ。

体制がどう反撃したらいいのかわからないくらい、
体制的思考からかけ離れた手段を使って体制に挑むのが好きよ。
(オノ・ヨーコ)

ロストウィークエンドと呼ばれる別居中に
ジョンがヨーコに送った手鏡。

グリーンカード。

これを手にいれるまで
ジョンはアメリカから出ることができなかった。
出てしまえば
二度と入国は許されなかったからだ。
グリーンカードが発行され
息子ショーンを授かって
ジョンは主夫になります。

77年から3年間
毎年日本で夏休みを過ごしました。

ショーンを育てながら
たっぷり充電したジョン・レノン。
これからだったのに…

これからだったのに…

一緒に過ごした時間が一番恋しいな。
(ショーン)

ジョンが亡くなった数日後に出した
ヨーコのメッセージ。

ジョンの血が付いたままのサングラスを
撮影するヨーコ。

父が亡くなった後にまたスタジオに入った母はすごいと思うよ。
最も辛く、強烈な体験を、美しい作品に変えてしまうわけだから。
父も母のそんなところを深く愛したのだと思う。
(ショーン・レノン)

セントラルパークの
ストロベリーフィールズ。

ジョンが生きていたら
間違いなくノーベル平和賞を
もらっていただろうね。

ショーンが司会をしたラジオ番組で
エルトン・ジョンが語った言葉です。
もし生きていたら…
って、毎年何万人の人が想うんだろう。

気が付いたら4時間たってました。
喉カラカラ(^^;

しばらく間を開けて
もう一度来ようと思いました。

染谷知孝ウェブサイト「金魚スタジオ








































最新の画像もっと見る

コメントを投稿