古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

古橋源六郎さん

2014-10-01 | 素晴らしき仲間たち

29日の安倍首相の施政方針演説に、古橋源六郎さんが出たので、びっくりしました。
以下、そのくだりをコピペしました。
「おわりに
 「天は、なぜ、自分を、すり鉢のような谷間に生まれさせたのだ?」
 三河の稲橋村(いなはしむら)に生まれた、明治時代の農業指導者、古橋源六郎暉皃(てるのり)は、貧しい村に生まれた境遇を、こう嘆いていたと言います。しかし、ある時、峠の上から、周囲の山々や平野を見渡しながら、一つの確信に至りました。
 「天は、水郷には魚や塩、平野には穀物や野菜、山村にはたくさんの樹木を、それぞれ与えているのだ。」
 そう確信した彼は、植林、養蚕、茶の栽培など、土地に合った産業を新たに興し、稲橋村(いなはしむら)を豊かな村へと発展させることに成功しました。」

http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei108b.htm
古橋家は、奥三河の名家です。御当主は代々源六郎を名乗ります。
 私と古橋源六郎さんの関係は58年前に遡ります。名古屋の昭和区に、古橋家の設立した学生寮がありました。奥三河出身で名古屋の大学に通う学生が無料で利用できる寮でした。義真会館といいます。義真とは、初代源六郎さんの名前です。大学の教養部の時は瑞穂区で民間の下宿に入居していたのですが、学部に移って、校舎がある東山に近い義真会館にお世話になることにしたのです。20歳から22歳まで、2年半でしたが、当時、古橋源六郎さん(当代)は、大蔵省のお役人でしたが、愛知県に出向して愛知県庁ではたらいていましたので、義真会館の一室に住まわれていました。
 お元気ならもう80歳を過ぎている筈ですが、・・・・
 それにしても、安倍さんは誰から古橋源六郎のことを知ったのでしょうか。
いずれにしても、施政方針演説に、古橋玄六郎が登場したのは驚きで、つい60年近い昔を思い起こしました。


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