水野和夫さんの「閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済]
(集英社新書、2017年5月)を丸善で購入してきた。
始めに「後書き(終わりに)を見たら、こういう言葉に出会いました。
「エネルギー源の性格は社会を規定します。化石燃料は莫大なエネルギーを集中的に発生させることが可能であり、現代社会はそれを仮定して出来上がっています。この時代を「後で人類が振り返った時、人々は近代と呼ばないでしょう。おそらく化石燃料時代と呼ぶでしょう。」
「エネルギーの限界が先にくると、「近代主義は続き」「そこで資源争奪の争いが、人類が経験したことのない規模で起こるでしょう。」
しかし、近代資本主義の「メカニズムの限界が先に見えてくることは人類にとって大変ありがたいことだ」
これを読んで、司馬遼太郎さんが、似たようなこと言っていたっけと書棚から「アメリカ素描」(新潮文庫)を持ってきました。
「いまはエネルギーに飼いならされてしまい、いまや人類の生命そのものを託してしまっている。
「エネルギーがなくなったら、人類は死滅するでしょうね」と、10余年前対談の時そういわれたのは向坊隆博士だが、その後、私は人類のはしくれとしてそのことがずっときがかりだった。
考えるよりも、カリフォルニアに来て典型をみたほうがてっとり早かった。ここでは大地に人間が載っているのではなく、エネルギーの上に載っているのである。さらに奇妙なことに、ここの人間たちは、一方でエネルギーを使いつつも、一方ではエネルギーをくみ上げてもいる。高速道路わきににさえ油井があり、米つきバッタのようなくみ上げ機が動いているのである。
みようによっては現代文明の頼もしい象徴だが、見方を変えれば地球を食うことによって全世界に食糧をくばれるだけの農業を成立させている。(司馬遼太郎アメリカ素描)
化石燃料に頼る資本主義時代がもう終わり近づいている。化石燃料時代の終りの前に資本主義の終りが来る、その証左が近年の超低金利であると筆者は言いたいようだ。
何故金利が上がらないか。投資対象の消滅が資本主義の限界を示します。
例えば、コンビニで最も成功しているセブ・イレブンの場合、1日平均客数(店舗当たり)は1057人(2016年2月期)コンビニ1店舗当たりの世帯数は963ですから1世帯必ず1人がセブンイレブンに来店している。これ以上新規店舗を増やすと、隣接のコンビニ店の売り上げを減らす。実際、1日平均客数は2008年に1013人と1000人を超えたがその後は1000人台で横ばいです。
要するに利益の得られる投資対象が減ってきたからです。
資本主義は、資本が利益を生み出し増殖するから成立します。ところがゼロ金利が近代資本主義の限界を示しています。」
日本のゼロ金利は、5000年にわたる「金利の歴史」のなかでも特筆すべき異常な出来事です。17世紀以降、金利の急騰は4回あり、いずれも戦争の時期です。
5%以上の金利は「戦争」という例外状況の時実現し、2%以下となるときは、資本主義にとって投資先がないという「例外」なのです。
政府も日銀も「例外」であるゼロ金利の意味を考えようとせず、あくまで常態(たとえば消費者物価2%以上)に戻そうと躍起になっています。まさに、ゼロ金利が近代資本主義の限界を示しているのです。
日本の金利が常態の上限5%を下回ったのはバブル崩壊直後の1992年、下限の2%を下回ったのは1997年。この間わずか5年でした。この「平時」の時期日本は一人当たりGDP(ドルベース)世界三位を5年連続維持できました。
戦後の日本の歴史を見ると、第二次世界大戦後1992年まで日本の金利は「平時」の上限である5.0%を超えていました。アメリカで金利が5.0%を超えていたのは、ベトナム戦争がはげしくなった1967年から2001年までの間でした。つまり、日本は第二次世界大戦からソ連解体までの「冷戦時下」で高金利、高度成長を実現しました。米ソ冷戦が終わったとき金利は「平時」の水準に戻ったのです。(続く)