古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

資本主義の終焉と歴史の危機

2014-04-07 | 読書
『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著、集英社新書、2014年3月刊)。
 かねてから現代の経済について疑問に思っていることがありました。
「資本主義というものは、利子の高いプロジェクトに優先して資金を投入することで、効率的に経済を運用するシステムだ。だから利率が長期的にゼロになったら、資本を効率的に運用することができなくなって、資本主義は成り立たないのでは?日本では20年近く金利ゼロが続く。もはや、日本の資本主義は成り立たなくなっているのでは?」という疑問です。
 たまたま先月の31日、「今日買うと明日より3%安く本が買えるかな、と丸善をぶらついたら、表記の本を見つけました。
 手に取ってパラパラ見ていたら、どうも「利子率がゼロになると、資本主義は終焉を迎える」と書いてあるらしい。早速購入して読んでみました。
 筆者の言わんとするところは『資本主義というものは、「中心」と「周辺」があって、高利率は、「周辺」が存在するときに、「中心」で得られる。しかし、「周辺」が存在しなくなれば、「中心」は高利率を得られなくなって、資本主義が終り、次の社会システム(それがなんであるのか現時点ではわからないが)が始まる』ということらしい。
 以下、筆者の論述を追ってみます。
 日本の10年国債の利回りは1997年に2.0%を下回り、2014年1月時点では0.62%です。さらにアメリカ、イギリス、ドイツの10年国債も金融危機後に2%を下回りその後多少の上昇はあっても、短期金利の世界では事実上ゼロ金利が実現しています。
 1997年までの世界歴史の中で、もっとも国債利回りが低かったのは、17世紀初頭のイタリヤ・ジェノバで、金利2%を下回る期間が11年間続いた。日本の10年国債の利回りは、400年ぶりにジェノバの記録を更新し、2.0%以下が20年近く続いている。
 利潤率の低下は、裏を返せば、設備投資をしても充分な利潤を生みださない設備、つまり「過剰」な設備になってしまうことを意味しています。
 この異常なまでの利潤率の低下はいつごろからはじまったか。1974年です。この年、イギリスと日本の10年もの国債利回りがピークになった。1981年にはアメリカがピークをつけ、それ以降、先進国の利子率は趨勢的に下落していく。資本主義はこの時、「地理的・地理的空間」を拡大できなくなっていた。また、先進国がエネルギーや資源をやすく買いたたくこともできなくなっていた。換言すると、これまで先進国という「中心」と資源を安く買える「周辺」という存在があった。しかし、その「周辺」がなくなってきたという。
 次に「交易条件」という概念で利潤率の低下を見てみよう。
「交易条件」とは、輸出物価指数を輸入物価指数で割った比率です。資源を安く仕入れ、生産した工業製品を高く売ることができれば高い利潤を得ることができる。
 原油価格の高騰により、1970年代半ば以降、先進国では投入コストが上昇し、粗利益が圧迫されました。つまり、先進国の「利潤率=利子率」の趨勢的な下落がはじまったのです。
 ここで水野さんは面白い仮説を提起します。
「地理的・物的空間(=実物経済)で先進国は高い利潤を得ることができなくなると、資本主義に代わる新しいシステムを模索すべきだったが、別の「空間」を生み出すことで資本主義の延命を図った。ITと金融自由化が結合した「金融空間」です。
(「先進国」と言うところを「アメリカ」と置き換えればその通りと私は思います。アメリカが金融帝国化したことで、新興国に資本が流れ、それまで資本を蓄積しないと、工業化ができなかった新興国の工業化が急速に進み、先進国の利潤低下現象を招きます。)・・(続く)