古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

単純な脳・複雑な私

2013-09-29 | 読書
『単純な脳・複雑な私』(池谷裕二著、13年9月)という本が講談社ブルーバックスから出ました。面白い本です。間違いなく「今年の私の10冊」に入ります。
 脳科学者の池谷裕二さんが、母校の藤枝東高校の生徒に講演した内容をまとめた本ですが、満載の面白い話題から一つ紹介します。

 「直感」と「ひらめきは」はことなるものだ。・・・「ひらめき」は思いついた後に理由がいえる。「これこうなって、ああなって、だからこうなんだ」というふうに理由が本人にわかるんです。
 一方、「直感」は自分でも理由がわからない。「ただなんとなくこう思うんだよね」という漠然とした感覚、それが直感です。そんなあいまいな感覚なのですが、直感は結構正しいんですよね。そこが直感の面白さです。
 脳の部位でいうと、理由がわかる「ひらめき」は、理屈や論理に基づく判断ですから、おそらく大脳皮質がメインで担当しているのでしょう。一方の「直観」は基底核です。
 脳の教科書を読むと、「基底核は手続き記憶の座である」と書かれています。
 「手続き記憶」とは簡単に言えば「方法」の記憶のことです。つまり、ものごとの「やり方」です。テニスラケットのスイングの仕方、ピアノの弾き方、自転車の乗り方、歩き方、コップのつかみ方――にかく何かの「やり方」の記憶のことです。基底核は、少なくとも「体」を動かすことに関連したプログラムを保存している脳部位なのです。
 方法記憶には重要な特徴が二つあります。
 一つ目のポイントは、無意識かつ自動的、そしてそれが正確だということ。
 二つ目の特徴は、1回やっただけでは覚えない、つまり、繰り返しの訓練によってようやく身につくということです。
 以上の二つの特徴・・・「直観も同じだ!」と気づいた
 まず直感は無意識ですね。「こうに違いない」と気づいても、その理由が本人にはわからない・・・無意識の脳が厳密に計算を行っていて、その結果として「こうだ」という最終的な答えだけがわかる状態なんです。
 直感は訓練によって身につく。

 この話のどこがおもしろいのか、というと。
 私たちは日常いろいろな決断に迫られます。その際、ほとんど直感で判断しているのではないか?上述の大脳皮質の論理に基づく判断をしているのでなく、基底核を使う直感に頼って意思決定をしている。私たちの日常生活における意思決定はそれで差支えないのですが、組織のリーダーが組織の問題を意思決定する場合も、もしかしたら大脳皮質の論理でなく、基底核の直感にたよっているのではないか?基底核の直感は、繰り返しの訓練によって鍛えられるのだが、リーダーはその訓練を経ているだろうか。組織にはあらゆる問題が起きえます。リーダーがあらゆる問題に訓練を重ねることは不可能です。リーダーという個人の能力(脳力?)には限界があります。
 したがって、時にリーダーの判断は誤ることがある。誤りがあっても小さな問題ならたいしたことでないのですが、組織全体に大きな影響を及ぼすことがある問題での誤りは困る。どうするか?権限を分割してあまりに大きい権限は個人に持たせない!権限が大きくなければ、リーダーに誤りがあっても、悪影響は少なくて済む。
 「リーダーは誤ることがある」ことを前提に、組織を考えないといけない。
 こんなことを思い起こさせた記述でした。