古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

伊達判決

2013-04-09 | 経済と世相
『日米地位協定入門』(前泊博盛編著、創元社2013年3月刊)という本を読みました。びっくりするような話がたくさん載っていましたが、一番「えっ」と思ったのは「伊達判決」についての記述です。
 「伊達判決」ってご記憶でしょうか。1957年7月、米軍立川基地の拡張工事をめぐって、反対派のデモ隊が米軍基地の敷地内に数メートル入ったことを理由に、刑事特別法違反で7人が逮捕されました。この事件の一審で、東京地裁・伊達秋雄裁判長は、在日米軍は憲法9条2項で持たないことを定めた「戦力」に該当するため、その駐留を認めることは違憲である。従って刑事特別法の適用は不合理として、被告全員を無罪としました。
 ところが、その後、アメリカ側の工作によってこの判決は最高裁でくつがえされてしまいます。その工作の実態があきらかになったのは、2008年のことでした。国際問題研究科の新原昭治氏がアメリカの膨大な公文書の中から関連文書を発見したのです。
 伊達判決が出されたのは、1959年3月30日。判決が出た翌日、マッカーサー駐日大使(マッカーサー元帥の甥)が朝の8時に日本の外務大臣と会談し、9時から行われる閣議について具体的な指示を与えていた。(アメリカ国立公文書館所蔵資料)
(マッカーサー大使からハーター国務長官へ・極秘電報)
「今朝8時に藤山[外相]と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話あった。私は、日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。
 私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接、最高裁に上告することが非常に重要だと個人的に感じていると述べた。・・・藤山は全面的に同意するとのべた。」
 大使が外相にすすめているのは、東京高裁をとばして直接最高裁に上告する、いわゆる「跳躍上告」です。
 この指示を9時からの閣議にはかった藤山外相は、翌日さっそくアメリカ大使に報告にきている。さらに、びっくりすることがあります。
 1959年4月24日、(マッカーサー大使からハーター国務長官への秘密電報)
「外務省当局がわれわれに知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審議はおそらく7月半ばに開始されるだろう。・・・内密の話し合いで担当裁判長の田中[耕太郎・最高裁長官]は[マッカーサー大使に対して]本件には優先権が与えられているが、・・決定に到達するまでに数か月かかると語った」
 ここまでは、新原さんの発見で、米国大使から藤山外相への働きかけは立証され疑問の余地はない。だが、田中最高裁長官と裁判そのものへのアメリカの関与はよくわからない。この点について、ジャーンリストの末浪靖司さんが昨年発表の『9条「解釈改憲」から密約まで対米従属の正体』(公文研)で、米国の公文書を使って解明している。すなわち、
 裁判官たちの一審判決破棄のロジックが
① 地方裁判所には米軍駐留の合理性について裁定する権限はない。
② 米軍駐留は合憲である。
③ 安保条約は日本国憲法より優位にある。
の三つに分かれているとマッカーサー大使が語っている(最終判決は②と③のミックス。③は大問題だと私は考えます)。
 まだあります。
 この裁判で、弁護側は、1958年にアメリカ第7艦隊が現実に紛争が起きている台湾海峡に日本の基地から出動したと主張し、そのことが米軍の駐留が憲法に違反している証拠だと主張。
 その主張を最高検察庁から聞いた外務省が、まずマッカーサー大使に相談し、大使はアメリカ国務省に対して日本の検察庁がどのように反論すべきかを問い合わせていた。ハーター国務長官は、台湾海峡危機に際し「日本の基地が実際に使われた」ことを認めたうえで、つぎのようにごまかし陳述をするように回答した。
(1959年9月14日、ハーター国務長官からマッカーサー駐日大使へ・秘密電報)
『検察官は次のように述べてもよい。第7艦隊は安保条約のもとで日本に出入りしている部隊ではない。台湾海峡でのこの作戦を支援して、第7艦隊は西太平洋中のさまざまの同艦隊が利用できる基地を利用した』
 つまり、日本の裁判官だけでなく検察官も、アメリカとつうつうだった。

 このほか唖然とする内容のアメリカ公文書が公開されているのですが、今回は、伊達判決のみについて。実は、昨夜9時からのNHKニュースウオッチで、砂川裁判に関して最高裁が米国国務省と連絡を取っていたことがアメリカの公開公文書から分かったと報道していました。おこで、その関係のみを報告しました。思ったことは二つ・
 それにしてもアメリカの公文書公開制度のすごさです。日本だったら、こんな文書は破棄してしまい、絶対にわからない。
 それとNHKは何故今頃こんな報道をしたのでしょう。文書の公開は2008年です。個人のジャーナリストが分析して本を刊行したのが昨年です。
 日米関係に関する報道は、わざと時期を遅らせ、ほとぼりが冷めてから報道するのでしょうか。