古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

原発のコスト

2012-02-18 | 経済と世相
 日本の原発はどうなるのか、どうすべきなのか、『原発のコスト』(大島堅一著、11年11月刊、岩波新書)を読んで考えてみました。以下『 』内は同署からの引用です。
 原発については、人により賛否両論があると思いますが、現実問題として、もはや、日本では原発は運転できないと考えます。それは
『東日本に原発オプシヨンがないのはもはや明白であるが、他の地域ではどうであろうか。・・原発は一定の期間を経ると定期検査を実施しなければならない。定期検査終了後、再稼動させる「ためには、地元の合意をとる必要がある。』からです。
 であるとすると、原発なしで、必要とする電力を確保できるかを考えなくてはならない・
 第一の検討事項は「電力の消費量を減らすことができるか?」
『全ての発電量に占める(原子力の)割合は、2000年代に入ると、30%ほどになっている。発電量が2010年度より30%少ないのは、だいたい1986,7年ごろと同じである。したがって原子力発電がなくなり、何の対策を採らないとしても、当時と同じレベルの生活は十分に出来る。』
 第二に、発電のピーク量を調べて、それに対応できる設備容量にすることを考える。
『供給量の基礎となる発電設備容量についてみてみよう。全国の発電設備要領は、2010年3月時点で2億3715万キロワットある。内、原子力は4885万キロワットである。したがって仮に原子力を全てなくしたとしても、発電設備容量は1億8830万キロワットである。2010年のピーク時の電力は8月7日の1億5913万キロワット(過去最高は2007年8月7日の1億7928万キロワット)であったから、これを十分に満たすことができる。』
『(原子力の多い)関西電力の場合、中部電力や中国電力などの発電事業者から融通してもらえば、ピーク時の電力不足はおこらない。』
 原子力を停めても、原子力以外の発電設備で、なんとか対応できるということですが
『ところが、現実はこれほど単純でない。日本は9つの電力会社が、それぞれの域内の電力を独占的につくり、販売するという地域独占体制のもとで、電力が供給され、電力会社間の電力の融通がほとんど行われていない。そのため、電力供給のための設備を各電力会社がフルに持つ必要が出てくる。』
 各地域で電力を融通できるためには、発電と送電を別会社として、送電会社が日本中どこにでも送電できる体制にする必要があります。このことは次に述べる再生可能エネルギーの導入にも必要だと考えます。
 第三に、新エネルギー(再生可能エネルギー)の導入を考える。
『世界の再生可能エネルギー資源量(兆キロワット時・年)を調べてみると、
太陽光 最大3000
太陽熱 1.05~7.8
風力  410
地熱  0.57~1.21
水力  最大16.5
波力  4.4
潮力  0.18
再生可能電力を大幅に導入するときの障害は、従来の電力会社の地域独占体制にある。
既存の電力会社から系統を分離する発送電分離は、他国では普遍的にみられることである。技術的・経営的に大きな問題はないし、電力供給が途絶えるという社会的影響もない。
地域独占体制は、日本の電力会社の巨大な利益の源泉になっているから、元経産省官僚の古賀茂明が述べているように、これを切り崩す発送電分離に対する電力会社の抵抗は非常に大きい。』
第四に、化石エネルギーの新規調達
愛知県沖でメタンハイドレードの試掘も始まりましたから、可能性はあります。

以上、原子力がなくても、日本は、電気供給になんの問題なく対応することは可能。ただ、九電力地域独占体制を改めることと、新しいエネルギー開発に努力すれば良いだけと考えます。

 それにしても、原発のコストを、原発立地への交付金やバックエンド事業(使用済み燃料の処理廃棄)の費用、事故が生じた場合の補償費用(損害額×発生確率)を加えて考えると、絶対に採算にのらない。その原子力発電が、何故国策として推進されたのか?
 その国策決定過程には民主的手続きはあったのか?そもそも、民主主義とは何であったろうか、まで考えさせられました。この本(「原子力のコスト」:岩波新書)は好著です。