古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

日本国の原則(2)

2011-07-28 | 読書
 続きを書こうとしていて、こんな章が目に留まりました。 
「組織の本音は人事に出る」という話。
軍隊という組織は、きわめて運営の難しいものである。死ぬ気で戦わねば戦争には勝てない。死ななかった軍人が出世して栄達を得る。
 軍人は戦争によって利益を得る。日清・日露の戦争において、現役の中将以上の将官はほぼすべて華族に列せられた。その数、日清戦争において73名、日露戦争において32名、合わせて105名である。たいして戦わなかった第一次世界大戦では9名、シベリヤ出兵で5名だけが華族になれた。その後の平和会議の成功で華族になった文官は12名だから、軍人が不満を持つのもわからないではない。
 当時、華族の体面を保つための一時金が天皇から下賜された。その金額は、男爵1万円、子爵2万円、伯爵3万5千円である。1人当たりGDPの倍率で考えると、1900年から2005年までで7万倍になっているので、現在価値、男爵7億、子爵14億、伯爵24億5千万円ということになる。男爵からすでに世襲である。現在の役人にできることはせいぜい一身の天下りだが、当時は子々孫々の天下りと言える。
 満州事変以来の日本の歴史は、派遣部隊が本国の許可を得ず、戦線を拡大することを繰り返す。派遣部隊にしてみれば、そこに利権があり、戦争が栄達への道だとすれば戦線を拡大しようとするのが当然である。
 満州事変時の関東軍司令官本庄繁大将は、満州国建国の功をもって男爵となる。さらに荒木貞夫陸軍大将も大角岑生海軍大将も、満州・上海両事変の功によって男爵となる。
 ピーター・ドラッカーは「会社の精神は、会社が上級の地位につけるために選び出した人々によってつくられるのである。まったくのところ、いかなる組織体においても、唯一のほんとうの『コントロール手段は』人事の決定、そしてとりわけ昇進の決定である。」と述べている。
 これら軍人が華族へ叙せられたことを見れば、戦線を拡大することが、日本(軍)の精神(本音)であった。

 組織のシステムがこうであれば、当時の軍人がひたすら“戦線拡大”に走ったことも理解できよう。昭和前期の日本人が特別特殊な日本人であったわけではない。
 将軍達の出世競争で、拡大された戦線に引き出された兵隊たちは哀れ!一将功なりて万骨枯る