神話でなかった古事記

日本の歴史を知るために、いろいろ考えてきました。古事記に残されていることから、思いついた事を書いてみようと思います。

日本書紀と古事記を比べます

2017-01-03 04:48:43 | 古事記
今回の記事は 
神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(2)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2017-01-03

 そのままを此処へ移します。
日本書紀を書いた人は、古事記を見て、日本書紀を作ったと考えています。

所が、古事記に書いてあったことの意味が分らなかったために、他の一書があると補足することにしたと思われます。
古事記の最初の部分----天地初めて發けし時
 ここで、「天」との字の使い方として、外の書物 5冊には、次のように書いてあると説明文を書きました。
 
日本書紀を書いた藤原氏は、「高天原」がどこにあるかが分らなかったと思います。
以下、私のブログで、藤原氏が、古事記を読んで、意味が分らなかった証拠として、古事記と比較しているところを証拠として書きました。


以下引用文です

 前回は如何でしたか、どうやら、太安万侶は、古事記では、「天」と言う字が大切なことを書こうとしたと言ってもいいのではないでしょうか。

①天と地----天の意味は分りました。
②高天原----この「天」は、高原の間に入っています。 地名の付け方としますと、地名はその地に住んでいる人が、必要があって発生するものですが。太安万侶は勝手に、「高天原」と名付けたことになります。

 高天原は何処の事でしょう。
「高原」これは、やはり高いところに有るのでしょう。仮に、これが六甲山と名付けたとしますと、天皇家の反対勢力の人とすれば、山そのものを削ってでも、六甲山を無くそうとする恐れが有ります。

日本書紀は、古事記をみて、日本書紀を作ったと考えています。

では、日本書紀では、この場所をどの様に書いたでしょうか。
古事記の「天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也」の部分は、意味が分らなかったようです。

 古事記のような書物は、他の一書と記して書いています。
全部で、六冊あったと記しています。----日本書紀を作った人は、この六通りの考えをした人が居たことになります。

 「高天原」が書かれているのは、第四書だけです。
ここでは、天と地がわかれる最中に、国常立尊、国狭槌尊のお二人の尊(みこと)がお生まれになりました。
 国が出来上がって、高天原と云う所に、やって来られたのが、
天御中主尊、高皇産靈尊、神皇産靈尊、皇産靈(みむすひ)の4人です。

 古事記と全く違うことが書いてありますから、古事記以外の他の一書が有ったことになります。
本当で有れば。第七冊目に、古事記と同じ事を書いておけば、次のような文章を書く必要はありませんでした。

六冊の書物の内、第四冊以外には、「高天原」は有りません。
第四冊の高天原はありますが、、
古事記に書いてある「天之御中主神」の「神」や「命」よりも位の高い、「尊」が使われています。
加えることに、「尊」よりも位が高いのでしょうか。皇産靈 という位をあらわす言葉が登場します。
 高皇産靈尊、神皇産靈尊の神さんには、「高」と「神」を付け加えて、前と後ろに神をあらわす神さんが生れたことを表していると考えられます。

後の五冊のことを検討しますと、複雑になりますので、皆さんのご健闘に期待します。
出来ましたら、次のアドレスに送ってください。

o-mino@nifty.com
出来るだけ手を加えないで、みなさんに紹介したく思いますので、その積りで、原稿を作って下さい。

以上が、日本書紀を書いた人が、くろうして記事を書いたと思われる部分を見ていただきました。