今日は私の師であった、並木孝雄先生の言葉のご紹介。
28日のオープニングイベントで「チャップリンとパントマイム」の
映像が流れますし、一度読んで頂ければと思います。
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■パントマイム愚考
並木孝雄
チャップリンの映画を見て、
私は、セリフがあったら良いのに、とは決して思いません。
セリフをしゃべるライムライトや殺人狂時代よりも、
モダンタイムスや街の灯の方が好きですし、
チャップリンの映画は他の無声映画に比べると
極端に字幕が少ないのですが、
それでも字幕が目ざわりになってしまいます。
私達は普段、生活の中でずいぶん言葉をしゃべらない時間を
持っています。
そして、そのしゃべらない時間の中で
いろいろな事が起こっていますが、
その中で私達は激しい感情に支配されているよりも、
しみじみした感情に浸っている方が多い様です。又、言葉をしゃべらない時というのは一人の時が多いのですが、
二人でいてもしゃべらない時というのはあります。
たとえば恋人同士の場合、
二人は恋の始めでは多いに語り合うでしょうが、
恋がつのれば、語ることをやめてみつめ合うだけになります。
恋が終わりに近づくと二人はののしり合いますが、
別れの時は又、無言になってしまいます。チャップリンの映画は、相手が女性であったり、子供であったり、
犬であったりしますが、いずれにしても親しい二人の存在があり、
その話は、やさしくしみじみと展開してゆきます。
もともとパントマイム俳優であったチャップリンは、
人間が無言でいる状態、
無言で創りあげられる世界を十分知っていたのだと思います。
ですから、彼の映画は、無言であることに無理がなく、
今でも十分鑑賞に耐えられるのだと思います。今回のロングディスタンスは、チャップリンの手法に多いに似ていて、
二人の人間がずいぶんセンチメンタルな世界を演じます。
ザ・ランナーについては、もう一方の無声映画の英雄、
(バスター)キートン の作品を引き合いに出してみたいと思います。キートンの映画の特徴は実に良く動くということと、
たくさんの人間が出るということです。
それも花嫁数百人とか、
警官数百人とか牛百頭とかがひとかたまりになって
道路いっぱいになって全速力で走っているシーンが
必ずでてくることです。キートンの映画も字幕の必要性を感じさせません。
動きのダイナミズムで映画を見る人を魅きつけてしまいます。
ザ・ランナーは、そういったキートンの作品に似ています。パントマイムの特色のもう一つに
何もない物をある様に演じる、ということがあります。
そのことは、舞台の上の場所・時間を自由にすることができ、
なんの変哲もない日常の行為を、
リリックに硝化させることができるので、
ザ・ランナーでは、キートンの映画の機動性というものを
舞台の上に持ち込みたいと思いますし、
ロングディスタンスでは、
チャップリンの映画の叙情性というものを
舞台の上にただよわせたいと思っています。
1979年8月9日(木)~14日(火)
シアターグリーン・サマーフェスティバル'79参加作品
マイムトループ気球座公演NO.9
『ザ・ランナー/ロングディスタンス』公演プログラムより♪
パントマイムは、無言で、無対象で動く、
そのことによって一つの世界を作り出そうとする。
無言であるだけならば、ダンスもそうだし、
無対象というだけならば、演劇にそういう作品がある。
パントマイムは、無言で無対象で動かなければならない。
パントマイムがもしリリックでファンタジックであるならば、
それは、無言で無対象で語られる話がリリックで
ファンタジックであるのではなく、
無言で無対象で動く、そのこと自体が、
リリックでファンタジックでなければならないし、
パントマイムが、もし滑稽であるのなら、
それは、話の転回、変化が滑稽なのではなく、
無言で無対象で動く、
そのこと自体が滑稽でなければならない。
そしてもし、パントマイムが見る人の感動をさそうとすれば、
それは、話の内容が感動的なものではなく、
無言で無対象で動くことによって、作り上げた空間そのものが、
人々を感動させなければならない。
パントマイムはただ一人でできる。
それが大きな魅力であると思ってきた。
しかし冷静に考えてみれば、演劇だって一人で出来るし、
ダンスだってもちろんそうだ。
なぜことさら、それをパントマイムの魅力と思ったのか。
今になってみれば、一人で稽古場にこもり、
客観という目にふれず、自己の中で、
じくじくとした情念を培養し、それを放出するのに、
無言という状態が適していたからだと思う。
それならダンスという方法も良いはずだが、
それはめぐりあわせの妙というやつで、
僕はパントマイムに出会った。
並木孝雄
1978年7月19日、「マイムマイン」公演パンフレットより(抄)
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病に倒れ、45歳、志半ばでこの世を去った、並木孝雄先生、
32歳の時の言葉だ。
何かに迷った時、私はいつもこの言葉を読み返す。
動かない写真をまじまじといつまでも眺める。
当時、病床にあり、余命を知りながらも、
その飄々としたスタンスを変えず、
見舞い客を深刻にさせない気遣いをなさっていた先生に、
冗談混じりに私は言った。
「パントマイム界発展のためにも、
どうか、私に乗り移ってくださいね!」
冗談混じりで言ったけど、内心、私は本気だった。
そうでもしなければ、
私がこの先パントマイムを続けられないと思ったから。
1992年の事。。
あれから、もう16年。。
信じられない時間の流れ。。。
私の歩みはずいぶん遅いけど、
今、確実な一歩一歩を進んでいる事を、
先生が喜んでくれているのが良くわかる。
何しろ、先生はパントマイムが大好きだったから。
何しろ、先生はパントマイムをする人も大好きだったから。
ご命日は、1992年6月20日。
湿気が身体にまとわりつく、薄曇りの朝だった。
間もなく、雨が降り出したのを良く覚えている。
世界中が悲しんでいるのだと、勝手に思ったのを良く覚えている。
5月、鯉のぼりが舞う季節になり、
湿気を感じ、少し汗ばむ季節になると、あの時の事を思い出す。
今年の6月20日は、第6回さくパンの日!
「銀座9Ave.」を無事、大成功の上で終えている頃だ♪^^
6月20日、公演後の交流会で、
パントマイムを大好きな人たちと一緒に、
献杯を捧げられたらいいなあと思っている。
並木孝雄先生の存在を後世に伝えていくことも、
シスターひろみの大切なミッション!
今でも思う。
今でも願う。
どうぞ、私の身体に乗り移って、私の身体を使って、
やり残した事をどんどんなさってください!
やりたかった事、やりきれなかった事、
たっくさん、たっくさんあったと思うから。
「ひろみでは器が小さ過ぎ!」な~んて事おっしゃらずに、
どうか、シスターを使ってやってくださいね!^^)
パントマイムは身体表現。
もちろん訓練してスキルの習得が必要だ。
でも一番重要なのは、
演者の中にどれだけ多くのイメージ、想いを持てるかということだ。
パントマイムスキル習得は、
「いかに動けるか?コントロールできるか?」ということに
重点を置くような気になるけど、
本当は、どれだけ、その場所、その物のイメージを持てるか、
ということが勝負なのだ。
つまり、カベを触る手が平たくない場合があろうが、
カベを触る手が固定されていなかろうが、
本人がかべを触ってるイメージ、想いが強ければ、
そこにカベがあるのを、観客は感じることができるのだ!
そして、その想いの強さが技術に発展するのだ♪
まずは、”想い”ありき。
そして、反復練習ありき。
よくさあ、パントマイムのスキルをちっとも学んでないのに、
パントマイム(無対象)がとっても上手な人っているよね。
そういう人ってなんでパントマイムできちゃうんだろう?って思うんだけど、
そういう人はイメージがとっても強いんだよね。
ま、多分天才的な所があるんだろうけど、
なんかその表現したい物の感触をはっきり持ってたり、
見た目のイメージをしっかりと思ってるんだよね!
本人の中でそれがしっかりできてるから、
すっごくはっきりお客さんにそれが伝わる。
全くの素人の方が、クラッシックバレエを観ただけで、
即できるて事はありえないよね。
でもパントマイムは、
素人でもイメージがはっきりくっきりある人にはそれができちゃう。
そこが楽しいところでもあり、怖いところでもある。パントマイムが上手くならないと思って嘆くなら、
イメージをくっきり持てるようにすると、
技術はすんなり後からついてきたりするってこと。
”想い”がなくて、上手く”動く”だけのパントマイムって、
全く見ていられない。。
(私もほっとくと堕ち入りやすい。。)
上手く動かれてもちっとも心に響かない。
動きは下手でも、想いの届く表現に心は動かされる。
「想い」を届けられるパントマイム、
作品表現をしたいよね。
そうすればたぶん、カラヤンみたいに、
ほとんど動かなくたって、人差し指だけで、カベがお客さんに
伝わったりするようになるんだろうね♪
そうなれば、私が目指す寿命の128歳になっても、
パントマイム表現ができるってことだよね。
ありがたいことです♪
、、、、、、、、。
がぁぁぁぁぁぁぁ~~~。
う~~~ん、ごめん。。。(>.<)
このテーマについては上手く語りきれてないね。
なんか、歯痒い。。
ってかまた話が逸れたし。。^^;
このテーマについて、
もっと上手に語れる日が追々来ると思うので、
その時はまた語らせて頂きたく存じます。
じゃあ、語れるようになってから掲載してよって思うかもしれないけど、
現時点でここまで書けたので、せっかくだから載せちゃいます♪
ま、シスターの成長ぶり(色んな意味での)を、
暖かく見守ろうではないか!
ね!^^)という事で、今日はここまで。
ご精読、ありがとうございました!(^-^)ノ
(ん~、、、。また強引に終わってるし。^^;)
P.S
どうぞ、お気軽にコメントお残しください♪
シスターがもっとしっかりと語れるようになるための、
励みになりますので♪(*^O^*)
シスターひろみは伝道師ですから、
語りも上手くならなくてはいかんのです。
今まではパントマイミストだったから、
そこん所の修行がまるっきりおざなりだったけど、
これからは、言葉でも伝えなくてはいかん!のです!
身体の表現も重要だけど、言葉の表現も重要なんだよね!
あ、なんか矛盾してるか。。
ま、とにかく、どっちもバランス良く重要ってことだね!^^)
あ、スパムが多いので、承認後にコメントが表示されます。
ご了承下さいませませ。。
”習うより慣れろ!”
並木孝雄語録♪・其の四
パントマイムは身体をコントロールして、動かすことで表現する。
身体を思い通りにコントロールするのは、
頭(知性)をコントロールすることより難しい。
目から鱗の出来事に出会ったことで、考え方が真逆になったりするように、
頭で考えることを、スパっと変えられることはよくある。
でも身体の場合は、目から鱗の出来事(表現とか動き方)に出会っても、
明日からスパッとそのように変わることはとても無理だ。
身体の場合は、何度も反復練習を重ね、身体に覚えこませなくてはいけない。
何度も繰り返し動かすことで、そこに意識が届き、神経が繋がり、
自分の思い通りに動かせるようになる。
「パントマイムスキルの習得に、どのくらいの期間が必要か?」
と聞かれる事がよくあるが、そりゃーもう、
「どのくらいの時間を意識しながら動かすことに使えるかに寄る。」
としか言いようがない。
週1回のレッスンであっても、その後の6日間を、
意識して動かせば、上達は早い。
週1回のレッスンに出て、他の日は全く気にしないのなら、
上達の速度はそれなりだ。。
つまり、習う(レッスンを受ける)回数よりも、
慣れる(繰り返す)方が早く、神経が届くことになる!
頭で理解できず、考えすぎてしまって、動きにくいなら、
真似しながら、何度も何度も動くことの方が身体に入りやすい。
何かを身体で習得するという行為に於いて、一番の基本だろう。
でも、それだけでなく、普段の生活でも、そのような事が多い。
何かを始めた時、最初はやりにくい。
でもそこでやめてしまうのではなく、
「習うより、慣れる」の精神で行くと、自然とコツを得てくるものだ。
すべては、時間の掛け方、反復練習、質より量!ということだね♪
"時間と空間を超える"
並木孝雄語録 ・ 其の三
パントマイムのステージでは基本的に、物を使わない。
演劇のようにセットが組んであると、
場面を変える場合、大掛かりな転換が必要になる。
お城のシーンから、湖のほとりのシーンへ
セット替えをしなくてはいけない。
あるいは、セット替えをしたくない場合は、
場面を変えずに、その場所のみでドラマを展開する。
でも、パントマイムの場合、物がなく、セットが組んでないので、
そこはどこでもなく、どこにでもなれるという事。
舞台の上をいろんな場所に変えるのは演者の仕事。
演者は観客をいろいろな場所に連れて行く。
観客の想像力を壊さないように動くことで、
その場を様々な場面に変え、
その場、そのシーンの感情を表現し、ストーリーを展開する。
セットを使うといっても、簡易なイスや小道具。
あまり限定しまうものを使うと
場面が固定され動きにくく(変化しにくく)なってしまうのだ。
だからいつも、演者もシンプルなお洋服になってしまう。
(私はこの反動で、私服が派手になる。^^;)
時間と空間を自在に操るためには
もちろん、スキルとイメージが大事!
なかなかコントロールできなかったりする。
それをすっと、こなしていたのが、並木先生だった。
彼は舞台で一人なのに、周りの風景がありありと
私の心のスクリーンに映し出された。
その衝撃は私の心を揺さぶった。
すっごく、びっくりしたのだ!!
そして、私は時間と空間を操る魔術師になるべく、
パントマイムの世界にはまっていったのだと思う。