★パントマイム伝道師・シスターひろみ(細川紘未)のパントマイム伝道活動もりもり奮闘記♪

パントマイムの可能性と必要性を伝えるシスターの奮闘記録!パントマイム動画・パントマイム教室・パントマイムのやり方のご紹介

◆チャップリン映画に見られる無言であることの意味。

2008-05-09 13:51:47 | ■師・並木孝雄氏語録♪

今日は私の師であった、並木孝雄先生の言葉のご紹介。

28日のオープニングイベントで「チャップリンパントマイム」の
映像が流れますし、一度読んで頂ければと思います。

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■パントマイム愚考 
                              並木孝雄


チャップリンの映画を見て、
私は、セリフがあったら良いのに、とは決して思いません。

セリフをしゃべるライムライトや殺人狂時代よりも、
モダンタイムスや街の灯の方が好きですし、
チャップリンの映画は他の無声映画に比べると
極端に字幕が少ないのですが、
それでも字幕が目ざわりになってしまいます。

私達は普段、生活の中でずいぶん言葉をしゃべらない時間を
持っています。
そして、そのしゃべらない時間の中で
いろいろな事が起こっていますが、
その中で私達は激しい感情に支配されているよりも、
しみじみした感情に浸っている方が多い様です。

又、言葉をしゃべらない時というのは一人の時が多いのですが、
二人でいてもしゃべらない時というのはあります。

たとえば恋人同士の場合、
二人は恋の始めでは多いに語り合うでしょうが、
恋がつのれば、語ることをやめてみつめ合うだけになります。
恋が終わりに近づくと二人はののしり合いますが、
別れの時は又、無言になってしまいます。

チャップリンの映画は、相手が女性であったり、子供であったり、
犬であったりしますが、いずれにしても親しい二人の存在があり、
その話は、やさしくしみじみと展開してゆきます。

もともとパントマイム俳優であったチャップリンは、
人間が無言でいる状態、
無言で創りあげられる世界を十分知っていたのだと思います。

ですから、彼の映画は、無言であることに無理がなく、
今でも十分鑑賞に耐えられるのだと思います。

今回のロングディスタンスは、チャップリンの手法に多いに似ていて、
二人の人間がずいぶんセンチメンタルな世界を演じます。

ザ・ランナーについては、もう一方の無声映画の英雄、
(バスター)キートン 
の作品を引き合いに出してみたいと思います。

キートンの映画の特徴は実に良く動くということと、
たくさんの人間が出るということです。

それも花嫁数百人とか、
警官数百人とか牛百頭とかがひとかたまりになって
道路いっぱいになって全速力で走っているシーンが
必ずでてくることです。

キートンの映画も字幕の必要性を感じさせません。
動きのダイナミズムで映画を見る人を魅きつけてしまいます。
ザ・ランナーは、そういったキートンの作品に似ています。

パントマイムの特色のもう一つに
何もない物をある様に演じる、ということがあります。

そのことは、舞台の上の場所・時間を自由にすることができ、
なんの変哲もない日常の行為を、
リリックに硝化させることができるので、
ザ・ランナーでは、キートンの映画の機動性というものを
舞台の上に持ち込みたいと思いますし、
ロングディスタンスでは、
チャップリンの映画の叙情性というものを
舞台の上にただよわせたいと思っています。


1979年8月9日(木)~14日(火)
シアターグリーン・サマーフェスティバル'79参加作品
マイムトループ気球座公演NO.9
『ザ・ランナー/ロングディスタンス』公演プログラムより♪


◆6月20日は並木孝雄先生のご命日。

2008-05-03 07:50:54 | ■師・並木孝雄氏語録♪

                       


パントマイムは、無言で、無対象で動く、
そのことによって一つの世界を作り出そうとする。
 
無言であるだけならば、ダンスもそうだし、
無対象というだけならば、演劇にそういう作品がある。

パントマイムは、無言で無対象で動かなければならない。
 
パントマイムがもしリリックでファンタジックであるならば、
それは、無言で無対象で語られる話がリリックで
ファンタジックであるのではなく、

無言で無対象で動く、そのこと自体が、
リリックでファンタジックでなければならないし、

パントマイムが、もし滑稽であるのなら、
それは、話の転回、変化が滑稽なのではなく、

無言で無対象で動く、
そのこと自体が滑稽でなければならない。

 そしてもし、パントマイムが見る人の感動をさそうとすれば、
それは、話の内容が感動的なものではなく、
  無言で無対象で動くことによって、作り上げた空間そのものが、
人々を感動させなければならない。
 
パントマイムはただ一人でできる。
それが大きな魅力であると思ってきた。
しかし冷静に考えてみれば、演劇だって一人で出来るし、
ダンスだってもちろんそうだ。

なぜことさら、それをパントマイムの魅力と思ったのか。
今になってみれば、一人で稽古場にこもり、
 客観という目にふれず、自己の中で、
じくじくとした情念を培養し、それを放出するのに、
無言という状態が適していたからだと思う。
 
それならダンスという方法も良いはずだが、
それはめぐりあわせの妙というやつで、
僕はパントマイムに出会った。

 
                              並木孝雄
 
     1978年7月19日、「マイムマイン」公演パンフレットより(抄)


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病に倒れ、45歳、志半ばでこの世を去った、並木孝雄先生
32歳の時の言葉だ。

何かに迷った時、私はいつもこの言葉を読み返す。
動かない写真をまじまじといつまでも眺める。

当時、病床にあり、余命を知りながらも、
その飄々としたスタンスを変えず、
見舞い客を深刻にさせない気遣いをなさっていた先生に、
冗談混じりに私は言った。

「パントマイム界発展のためにも、
どうか、私に乗り移ってくださいね!」

冗談混じりで言ったけど、内心、私は本気だった。

そうでもしなければ、
私がこの先パントマイムを続けられないと思ったから。

1992年の事。。
あれから、もう16年。。
信じられない時間の流れ。。。

私の歩みはずいぶん遅いけど、
今、確実な一歩一歩を進んでいる事を、
先生が喜んでくれているのが良くわかる。

何しろ、先生はパントマイムが大好きだったから。
何しろ、先生はパントマイムをする人も大好きだったから。

ご命日は、1992年6月20日。
湿気が身体にまとわりつく、薄曇りの朝だった。

間もなく、雨が降り出したのを良く覚えている。
世界中が悲しんでいるのだと、勝手に思ったのを良く覚えている。

5月、鯉のぼりが舞う季節になり、
湿気を感じ、少し汗ばむ季節になると、あの時の事を思い出す。

今年の6月20日は、第6回さくパンの日!
「銀座9Ave.」を無事、大成功の上で終えている頃だ♪^^

6月20日、公演後の交流会で、
パントマイムを大好きな人たちと一緒に、
献杯を捧げられたらいいなあと思っている。

並木孝雄先生の存在を後世に伝えていくことも、
シスターひろみの大切なミッション!

今でも思う。
今でも願う。

どうぞ、私の身体に乗り移って、私の身体を使って、
やり残した事をどんどんなさってください!

やりたかった事、やりきれなかった事、
たっくさん、たっくさんあったと思うから。

「ひろみでは器が小さ過ぎ!」な~んて事おっしゃらずに、
どうか、シスターを使ってやってくださいね!^^)


”想いは技術を創る”

2008-03-27 19:33:53 | ■師・並木孝雄氏語録♪

パントマイムは身体表現。
もちろん訓練してスキルの習得が必要だ。

でも一番重要なのは、
演者の中にどれだけ多くのイメージ、想いを持てるかということだ。

パントマイムスキル習得は、
「いかに動けるか?コントロールできるか?」ということに
重点を置くような気になるけど、
本当は、どれだけ、その場所、その物のイメージを持てるか、
ということが勝負なのだ。

つまり、カベを触る手が平たくない場合があろうが、
カベを触る手が固定されていなかろうが、
本人がかべを触ってるイメージ、想いが強ければ、
そこにカベがあるのを、観客は感じることができるのだ!

そして、その想いの強さが技術に発展するのだ♪

まずは、”想い”ありき。
そして、反復練習ありき。

よくさあ、パントマイムのスキルをちっとも学んでないのに、
パントマイム(無対象)がとっても上手な人っているよね。

そういう人ってなんでパントマイムできちゃうんだろう?って思うんだけど、
そういう人はイメージがとっても強いんだよね。

ま、多分天才的な所があるんだろうけど、
なんかその表現したい物の感触をはっきり持ってたり、
見た目のイメージをしっかりと思ってるんだよね!

本人の中でそれがしっかりできてるから、
すっごくはっきりお客さんにそれが伝わる。

全くの素人の方が、クラッシックバレエを観ただけで、
即できるて事はありえないよね。

でもパントマイムは、
素人でもイメージがはっきりくっきりある人にはそれができちゃう。

そこが楽しいところでもあり、怖いところでもある。

パントマイムが上手くならないと思って嘆くなら、
イメージをくっきり持てるようにすると、
技術はすんなり後からついてきたりするってこと。

”想い”がなくて、上手く”動く”だけのパントマイムって、
全く見ていられない。。
(私もほっとくと堕ち入りやすい。。)

上手く動かれてもちっとも心に響かない。
動きは下手でも、想いの届く表現に心は動かされる。

「想い」を届けられるパントマイム、
作品表現をしたいよね。

そうすればたぶん、カラヤンみたいに、
ほとんど動かなくたって、人差し指だけで、カベがお客さんに
伝わったりするようになるんだろうね♪

そうなれば、私が目指す寿命の128歳になっても、
パントマイム表現ができるってことだよね。
ありがたいことです♪

、、、、、、、、。

がぁぁぁぁぁぁぁ~~~。
う~~~ん、ごめん。。。(>.<)

このテーマについては上手く語りきれてないね。
なんか、歯痒い。。
ってかまた話が逸れたし。。^^;

このテーマについて、
もっと上手に語れる日が追々来ると思うので、
その時はまた語らせて頂きたく存じます。

じゃあ、語れるようになってから掲載してよって思うかもしれないけど、
現時点でここまで書けたので、せっかくだから載せちゃいます♪

ま、シスターの成長ぶり(色んな意味での)を、
暖かく見守ろうではないか!
ね!^^)

という事で、今日はここまで。
ご精読、ありがとうございました!(^-^)ノ

(ん~、、、。また強引に終わってるし。^^;)


P.S

どうぞ、お気軽にコメントお残しください♪
シスターがもっとしっかりと語れるようになるための、
励みになりますので♪(*^O^*)

シスターひろみは伝道師ですから、
語りも上手くならなくてはいかんのです。

今まではパントマイミストだったから、
そこん所の修行がまるっきりおざなりだったけど、
これからは、言葉でも伝えなくてはいかん!のです!

身体の表現も重要だけど、言葉の表現も重要なんだよね!
あ、なんか矛盾してるか。。

ま、とにかく、どっちもバランス良く重要ってことだね!^^)

あ、スパムが多いので、承認後にコメントが表示されます。
ご了承下さいませませ。。


◆何事も「習うより慣れろ!」の精神で!

2008-03-13 23:00:53 | ■師・並木孝雄氏語録♪


   
”習うより慣れろ!”
 
                  
並木孝雄語録♪・其の四

パントマイムは身体をコントロールして、動かすことで表現する。
身体を思い通りにコントロールするのは、
頭(知性)をコントロールすることより難しい。

目から鱗の出来事に出会ったことで、考え方が真逆になったりするように、
頭で考えることを、スパっと変えられることはよくある。

でも身体の場合は、目から鱗の出来事(表現とか動き方)に出会っても、
明日からスパッとそのように変わることはとても無理だ。

身体の場合は、何度も反復練習を重ね、身体に覚えこませなくてはいけない。
何度も繰り返し動かすことで、そこに意識が届き、神経が繋がり、
自分の思い通りに動かせるようになる。

「パントマイムスキルの習得に、どのくらいの期間が必要か?」
と聞かれる事がよくあるが、そりゃーもう、
「どのくらいの時間を意識しながら動かすことに使えるかに寄る。」
としか言いようがない。

週1回のレッスンであっても、その後の6日間を、
意識して動かせば、上達は早い。

週1回のレッスンに出て、他の日は全く気にしないのなら、
上達の速度はそれなりだ。。

つまり、習う(レッスンを受ける)回数よりも、
慣れる(繰り返す)方が早く、神経が届くことになる!

頭で理解できず、考えすぎてしまって、動きにくいなら、
真似しながら、何度も何度も動くことの方が身体に入りやすい。

何かを身体で習得するという行為に於いて、一番の基本だろう。

でも、それだけでなく、普段の生活でも、そのような事が多い。

何かを始めた時、最初はやりにくい。
でもそこでやめてしまうのではなく、
「習うより、慣れる」の精神で行くと、自然とコツを得てくるものだ。

すべては、
時間の掛け方、反復練習、質より量!ということだね♪


◆パントマイムは「時間と空間を超える!」

2008-03-03 12:34:49 | ■師・並木孝雄氏語録♪

"時間と空間を超える"

         並木孝雄語録 ・ 其の三

パントマイムのステージでは基本的に、物を使わない。

演劇のようにセットが組んであると、
場面を変える場合、大掛かりな転換が必要になる。

お城のシーンから、湖のほとりのシーンへ
セット替えをしなくてはいけない。

あるいは、セット替えをしたくない場合は、
場面を変えずに、その場所のみでドラマを展開する。

でも、パントマイムの場合、物がなく、セットが組んでないので、
そこはどこでもなく、どこにでもなれるという事。

舞台の上をいろんな場所に変えるのは演者の仕事。
演者は観客をいろいろな場所に連れて行く。

観客の想像力を壊さないように動くことで、
その場を様々な場面に変え、
その場、そのシーンの感情を表現し、ストーリーを展開する。

セットを使うといっても、簡易なイスや小道具。

あまり限定しまうものを使うと
場面が固定され動きにくく(変化しにくく)なってしまうのだ。

だからいつも、演者もシンプルなお洋服になってしまう。
(私はこの反動で、私服が派手になる。^^;)

時間と空間を自在に操るためには
もちろん、スキルとイメージが大事!

なかなかコントロールできなかったりする。
それをすっと、こなしていたのが、並木先生だった。

彼は舞台で一人なのに、周りの風景がありありと
私の心のスクリーンに映し出された。

その衝撃は私の心を揺さぶった。
すっごく、びっくりしたのだ!!

そして、私は時間と空間を操る魔術師になるべく、
パントマイムの世界にはまっていったのだと思う。