不知火電機な出来事

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最初に造った1台

2019-05-10 08:03:11 | 日記

最初に造った1台が、これとはすごい。

以下抜粋

激動の時代を生き抜いたエンツォ・フェラーリが最初に造った1台
ご覧になっているこの車は、紛れもなく最初のフェラーリである。
ただし、名前はアウト・アビオ815 で、ロゴも異なり、フェラーリ社創業以前に造られた。
エンツォ・フェラーリはアルファロメオを去ったとき、スクーデリア・フェラーリを畳んで、
「4年間はフェラーリの名を冠したロードカーとレーシングカーを製造しない」
という取り決めに署名しなければならなかった。
しかし、1940 年春、エンツォにはレーシングカーを造る用意が調っていた。
そこで、スクーデリア時代と同じモデナのトレント・エ・トリエステ通りに新会社を設立する。
取り決めをかいくぐるため、社名はアウト・アビオ・コストルツィオーニとし、
念のためにロゴにも手を加えて、跳ね馬の前にレーシングカーを配した。
モデル名の815は、8気筒の1.5リッターエンジンを搭載していたに因む。
車は、コストパフォーマンスと先進的なアイデアを絶妙に組み合わせて、
その年のミッレミリアに参戦できるものに仕上がった。
シャシーはフィアット508 Cをモディファイし、
排気量を下げたフィアット1100の4気筒エンジンを2基組み合わせたような直列8気筒を完成した。
面白いことに、アルファロメオのパーツはネジ1本たりとも使っていない。
エンジンブロック、サンプ、バルブカバーは新たにアルミニウムで鋳造。
5ベアリングのクランクシャフトと16のカムを備えたカムシャフトも特注した。
プロジェクトを率いたのは、アルベルト・マッシミーノ(1938年からフェラーリと組んできたエンジニア)
とヴィットーリオ・ベレンターニだった。
まるで風が成形したかのようなボディをデザイン、製造したのは、
ミラノのカロッツェリア・トゥーリングだ。
材質は、高価だが非常に軽量なイタルマグ35と呼ばれるマグネシム合金だった。
2台が製造され、シャシーナンバー815/020はロタリオ・ランゴーニ・マキャヴェリに、
よりベーシックな815/021はアルベルト・アスカリに与えら
れて、1940 年のミッレミリアに参戦した。いずれも完走はならなかったものの、高い潜在能力を示した。
数カ月後にイタリアは第二次世界大戦に突入し、その後6 年間というもの、
レーシングカーは夢のまた夢となった。
ようやく平和が戻った1947年8月11日に、
815/021はエンリコ・ベルトラキーニのドライブでペスカーラでのレースに出走する。
その際、スタートですぐ前のグリッドについた車こそ、
フランコ・コルテーゼの駆るフェラーリ125 S、フェラーリが初めて自分の名前を冠したレーシングカーだった。
815/020はクラッシュし、1950年代初頭に姿を消した。
一方、アスカリの815/021(写真)は激動の時代を生き抜き、
現在は個人のコレクションとしてモデナ近郊に保管されている。

 


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