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癒さぬ傷口が 栄光への入口

【きょうろぐ】私的・岩隈久志

2005-03-01 | ※旧企画記事
この記事は「きょうろぐ」の選手名鑑へ投稿します。
尚、この記事はこちらの記事の一部を抜粋し、追記したものです。

■岩隈久志(いわくま・ひさし)■(楽天)

1981年4月12日生まれ、東京都出身。投手。
堀越高校とはいっても芸能人ではない。

野球が好きで好きで。
ドラフト5位で、ファンだったライオンズではない、実家のある東京から遠く離れた大阪の球団に高校を卒業したばかりの10代の男の子が飛び込んだ。
二年目の2001年。初めて一軍で完投勝利したとき、「二軍ででも完投なんてしたことなかった」 とはにかんでヒーローインタビューに答えていた、背は高いけどものすごく細い折れそうな身体のスタミナもない20歳の男の子。
頑張って頑張って、2003年には11完投。
あの細い体のどこにそんなスタミナが宿ったのか。
たった四年で、ドラフト5位の痩せた男の子は猛牛軍団のエースと呼ばれるようになった。

多くの高卒選手がそうであるようにもともと好きで来たチームじゃなかったはずだ。

しかし2004年そのチームが消滅しそうになった時、
「自分が頑張って、もっとチームが勝てば合併が撤回してもらえるかもしれない」
そう思って投げ続けた。
真夏の直射日光の中、汗を流しながら署名活動もした。
本当に調子が良かったのは合併が発表された6月くらいまでで、その後は綱渡りのような調子の中勝ち続けた。
ライオンズファンの東京っ子がいつのまにかこの大阪のバファローズというチームを
自分のふるさとだと思うようになっていたのだ。

この6カ月間野球をやってきてつらかった───

好きでやっている筈の野球。
それなのに、その野球をやっていてつらかったと。
初めて皆の前でそう言った。

思い出す。
開幕からの連勝を続けた時、ヒーローインタビューで言ったことを。
「これからも投げる試合は全部勝ち続けたい。勝ちつづけるつもりで投げます」
負けるつもりで投げる投手などいない。
それでも彼の言葉の裏には、
「勝ち続ければチームが残る道がひらけるかもしれないから、勝ち続けなければいけない」
という悲壮な決意が見える。

その結果、彼は開幕からの12連勝を含む15勝2敗で最多勝・最高勝率を勝ち取った。
最優秀投手賞、ベストナインにも輝いた。
一番勝ち取りたかった筈のものは、勝ち取ることはできなかったけれど───。

彼はその後も「合併球団」への入団を拒み、戦いつづけた。
我侭と言われたことも、いいかげんに折れろと言われたこともあるだろう。
それでも、柔和な物腰の下に隠された強い意志を貫いた。
「約束」を守ってもらわなければ彼の2004年は終わらない。

2005年、晴れやかな笑顔でマウンドに登る彼の姿がある。
真新しい臙脂のユニフォーム。
違和感のあったその姿も遠からず目に馴染んでいくだろう。

あのひょろひょろと痩せた男の子は、
仙台の地で本物の「エース」になろうとしている。
胸に、猛牛軍団の最後のエースと呼ばれた誇りを抱いて。



元記事が元記事だけに、思い切り情緒に走ったものになってしまいました(汗)。
「合併問題」や所謂「岩隈プロテクト拒否問題」について記事中で初心者の方にわかりやすく簡潔に説明することが非常に難しいので割愛させて頂きました…。でもこのへんに触れずに岩隈は説明できないし。ごめんなさいまし。

尚、まるで本人から聞いてきたような書き方をしていますが、様々なインタビューの彼の発言などから私が勝手に愛情をこめて再構築したものです。事実と違う事があったら大変申し訳ありません。と謝りはしますが責任はとりかねます。予めご了承下さい。

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