森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

2008年02月03日 | 月見草の咲く街

 暗闇の底に、人々はいた。
 息を殺し、目を閉じて、まるで闇に溶け込もうとしているかのように。
 シャリィィィ……ン……。
 光のない世界に、澄んだ金属音が響く。人々の気配が、静寂から沈黙へと変わる。
 やがて余韻が失われ、辺りに静けさが戻ったかに思えた頃。初め微かに、やがて大きく力強く響き始める靴音と共に、闇の中に血のように赤い炎が次々と灯った。
 二列に並ぶ炎の道を歩んでいるのは、豪華絢爛な衣装に身を包んだ初老の男だ。手にしている錫杖も美しい意匠の施されたもので、暗闇に沈むおぼろげな光の中で金銀に輝いている。炎の灯る燭台を持って立ち並ぶ男達の服装は、初老の男のものに比べれば少々見劣りするものの、それでも充分にきらびやかだ。対照的に、周囲にうずくまる人々の服装は、どれも簡素なものばかり。
 初老の男の行く手には壇があった。備えつけられた階を一つ一つ昇り、壇の上へと達すると、男は人々のほうに向き直り、錫杖を振りかざし、振り降ろした。
 シャリィィィ……ン……。
 錫杖の先端の輪が擦れ合い、澄んだ音色を響かせる。途端、壇上の中央に立つ男の姿が明るく照らし出された。壇の奥の壁、かなり高い位置にあるステンドグラスを被っていたカーテンが開かれたのだ。
 辺りの様子もかろうじて見ることができるようになった。壇上の男の背後には、とてつもなく巨大なパイプオルガンが備えてある。周囲はぐるりと壁に囲まれており、天井は半球体。先端を丸くした円柱のような空間だ。
「皆、よくぞ集まってくれた」
 初老の男は朗々と響く声で言った。
「本日こうして集まってもらったのは他でもない。皆も知っていることとは思うが……近頃、この街に吸血鬼の噂が広まっている」
 誰もが心の中で、やはり、と呟いた。人々の表情が緊張に引き締まる。
「実際に目撃した者は未だいないそうだが、吸血鬼と思われる者の手によって、既に三人もの尊い命が失われている。我々は吸血鬼倒伐のため、日夜厳重な警戒体制を敷いているが……皆には、ここで今一度考えて欲しい。人は神に何を求めるのか。生活の保証、将来の保証、繁栄の保証……そして死後の保証。そう、人は心の平安を求めるのだ」
 誰一人として反論する者がないことを確認して、男は続けた。
「人とは弱く儚い存在だ。人は本来、大いなる神の加護の下でのみ心の安らぎを、平穏な暮らしを得ることができるのだ。それが今の者たちときたらどうだ」
 男は芝居がかった動作で両腕を広げた。
「神の御子たる誇りを失い、神を敬う心すらも忘れている。自分から生きるための努力をせず、神に祈ることもせず……それでいて彼等は、自分だけは生き残れる、自分に被害が及ぶ前に誰かが解決してくれるなどと思い上がっているのだ!
 ……私は、今回の事件は、堕落した人に対する神の罰ではないかと考えている。一刻も早く神の教えを広め、神の怒りを鎮めなければならない。この街が信仰で満たされれば、吸血鬼は自ずと去るであろう……皆には、その手助けをしてもらいたいのだ」
 人々の反応は様々だった。やる気に満ちた顔を上げる者、不安の呟きをもらす者、じっとりと汗ばんだ拳を握り締める者。男は静かに片手を挙げ、ざわめきを鎮めた。
「恐れることはない。皆は既に、神を敬う心を取り戻しているのだから。神は、神を愛する者に罰を下されることは決してない」
 男は勢いよく錫杖を前に突き出した。光の加減か、その先端が薄ぼんやりと赤く染まる。
「神を敬わぬ者に罰を! そして神を愛する者に祝福を!」
『神を敬わぬ者に罰を! 神を愛する者に祝福を!』
 燭台を持った男たちが繰り返し、幾重にも反響する声と共に人々が立ち上がる。我先に出口に向かう敬虔な信者たちの姿に、男は満足気な笑みを浮かべた。


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1 コメント

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すごいですよね (nao)
2008-02-04 05:05:42
すごいですよね。
1箇所も突っかからずに読み終えた。流れが途切れない。
あえて、ここで読んでいこうと思います。
まとめて読まないということが、作品を与える影響を知りたい。
一話ずつの連載、私、実は読むのが苦手。まとめて読むんだけど、今度は、毎回読んでみようと思います。
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