終の棲家でのんびり暮らす田舎暮らし

リタイア後山中に終の棲家を建て、夫婦二人で自然すぎる環境での田舎暮らしは、どこまで続けられるか。

早すぎる薪ストーブ全開の生活

2017年10月20日 | 薪ストーブの暮らし

急な冬の到来でいっきに薪ストーブ全開

前日に焚いた灰をはけ箒で均し、火箸でグレートの溝を空けて灰受け皿からの空気取り出しの道をつくる。3分の1に切った固形燃料を中央に置き、焚きつけを並べて火を点火する。薪を投入してフロントドアを閉め、灰受け扉にレンガを掛けて燃焼調整し、ダンパーを閉めるタイミングを待つ。

千葉といえば温暖なイメージかもしれないが、それは館山・鴨川外房地区の話だ。

我が家のような山の上は別で「千葉の軽井沢」といわれている。(勝手にそう思っている)14日からは急に冷え込み薪ストーブを焚かないと体がかたくなる。

今日の外気温度は10℃を切り、朝からずう~っと焚いて建物全体の室内温度は23℃になった。

何より心強いことは、薪ならいくら焚いてもシーズン中の心配が要らないほどストックしてあることだ。

本来ならば、シーズン前に煙突掃除・ストーブの掃除を行なうのが薪ストーブ愛好家として常識だろう。

しかし、まだやっていません。サボりました。 昨年、煙突は当たり前のことストーブ本体のメンテナンスなど徹底的にやったこともあり。

まあ~、行けるところまでいって考えましょう。



毎日雨が続きドリームを観る

2017年10月20日 | 遊びにいくこと

寒い雨降りがつづくが毎日映画とはいかない

今年のお天気が夏も秋も異常に感じているのは、わたしだけではないでしょう。報道では世界的な異常気象が報じられているが、天変地異(てんぺんちい)の前兆現象なのか「何十年ぶり」とかが最近は多いですね。

先日、新聞紙面に映画「 ドリーム 」の全面広告が載っていた。

米国NASAで働く実在した女性達をモデルにした作品で、さっそく上映会場を探し観てきました。とてもよかったですよ。

わたしが子供の頃の時代背景なのだが、これほど人種差別が凄かったのかと改めて感じた。

1960年代に白人至上主義がこれほど凄かったということは、黄色アジア人としてやはり差別されたんだろうな。黒人というだけで、能力がないと教育や昇進のチャンスを与えない白人社会。自分自身だって少なからず差別する心を持ち合わせている。

最先端の宇宙開発研究施設で働く知的(ちてき)な人々でさえ、「白人専用」の美しいトイレはオフィスの各所に設置されているが、「白人以外」の使える汚いトイレが施設に一箇所しか設けられていないなど。

だれもが観れば、荒唐無稽(こうとうむけい)な差別と共感すると思うが、黒人大統領が生まれた米国でも、今現在も人々の意識が変わらないというのは根が深いことだ。

日本だって色々な意味で差別はありますよね。。。。。



これって人生ストリップですか

2017年10月04日 | 終わった人

最後まで自分の生き方を見失うなかれ

お店の書籍コーナーで、PHPベストセレクション  『 生きるのがうまい人、へたな人 』 というタイトルの小冊子が目に留まった。

だれも『 うまい、へた 』 などと考えて生きている人などいないだろうと思いつつ。

まてよ、今のわたしには深刻な悩みはないが、心が揺れる迷いはある。何か一つでもヒントが得られるかなと思い一冊を手にした。

「ヨイトマケ」の歌で知られている『 美輪明宏 』 さんの「自慢しない、羨ましがる必要もない」という記事が先頭に掲載されていた。

記事のなかに 『 落差のない人生は幸せである 』 という見出しの一節に。

SNSが一気に広まったことで、皆が"人生ストリップ"状態。どこへいっただの、何を買っただの、いずれ排泄物になる自分が食べたものを、どうして自慢げに曝け出すのか、私にはわかりません。

PHP 『 生きるのがうまい人、へたな人 』 美輪明宏著10ページより引用

引用文にある「"人生ストリップ"状態」の文字列に、私の思考は混沌(カオス)状態に陥った。

自分としては、
「日記」、「政治評論」を避けて 「田舎暮らし」、「自然観察」、「好きに遊ぶ」、「体験記」的な(くく)りで自身のブログをまとめようと心がけてきたんですが。

「皆が"人生ストリップ"状態」 この言葉から思考が抜け出せない。

いつもの事ですが、
ブログ記事を書くとき、気恥ずかしさと迷いを抱えながらも、つたないブログを書いて世に曝し続けてしまっていることに戸惑いと常に葛藤しているのも事実。しかし、

 「ブログネタを考える、記事を編集する」が頭の活性にもなっている。

他の方のブログを拝読して、「勇気をもらったり」、「知恵をもらったり」、「心が和んだり」、ブログが『 情報の宝庫 』 であるといっても過言ではないと考える。

SNSの世の中には偽ニュースを流す輩もおり、SNSに接したり関わる我々は情報にいちいち惑わされることなく、書く者、見る者は、そのへんをきちんとわかって利用する。
そんなことを述べているのではと自分のなかに落とした。

この文章の締めくくりに 『 人生に落差がないことは幸せ 』 につづき。

人はそれぞれ。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。何かを得れば何かを失う。だから、自慢してもいけないし、羨ましがる必要もない。

PHP 『 生きるのがうまい人、へたな人 』 美輪明宏著10ページより引用

『 美輪明宏 』 さんに始まり、他の著者の方々のステキな記事が数珠球(じゅずだま)のようにつづき、秋の空を見るような気持ちにさせてくれるでしょう。


自然の植物だって環境と手入れが必要だ

ホトトギス属(杜鵑草属)日陰のやや湿った 斜面や崖、岩場に見られるとある。ヤマユリ同様に生育環境が合っているのか、今年はたくさん増えました。拡大写真あり

我が家の斜面にある植物たち、
一見して半日陰で中高木が覆い被さり お日様サンサンとはいかない。

色とりどりのお花の庭を見ると羨ましく思いますが、派手ではないが落ち着いた色彩の山野草も魅力的で癒される。

これから秋冬に向かって、
ホトトギス・ヤブラン・キチジョウソウなどの小さな花が目を癒してくれることは幸せだ。

妻とふたりで腰をかがんで草取りするのも大変だが、そんな時を楽しめられるのも幸せなことなんだ。 写真のようなステキなご褒美が待っている。

我が家の入り口にある杉の大木、
初めは普通の杉の木だったが、17年経つた現在は御神木(ごしんぼく)のように太り、しめ縄を巻きたくなるほど威風堂々(いふうどうどう)に立っている。( 胸高直径68cm・胸周り215cm・根周り295cm )

通路のコンクリートを10cmほど電動削岩機で丸く壊していくとメッシュ筋が出てきた。番線切りで切断後に土で埋め戻した。
GIF画像の裏に木の静止写真あり

通路のコンクリートを打つ時に隙間を空けて造ったのだったが、八年前に塞がって一度コンクリートを壊した。

またもや根元がコンクリートにあたり、亀裂が出だした。10cmある通路のコンクリートを根元から10cm空けたところで壊すことにした。

わたしが健康で生きていることが前提の話だが、七~八年後には同じ作業が待っている。
なにやら三回目の作業が楽しみになってきた。

木はどこまで生長し太くなるのだろうか、わたしはだんだん老いていくのに。

こんな楽しみも幸せなことだ。