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移転しました(2014/1/1)

坂龍飛騰

2006-11-16 | ヒストリ:オール
昨日書く積りだったんですが、ジムで頑張りすぎてアウト。
なので今日アップです。

坂龍飛騰、という事で、この言葉を聞いてピンと来る方は幕末好きな方かしらと。
坂龍というのは幕末の風雲児、坂本龍馬の事。
坂本龍馬飛騰する、ということで同時代か明治期の人が坂本龍馬を評した言葉です。
坂崎紫燗だったかしら。
スイマセン。不確かです…(坂崎は初めて坂本龍馬の伝記を纏めた人)

慶応年間というと幕末も相当差し迫り明治目前。
幕末でも一番面白いのがこの時期ではないかと。
慶応三年の12月には15代将軍徳川慶喜が大政を奉還しますが、それを斡旋したのが土佐藩。
…ですが、それを動かしたのが坂本龍馬です。
その坂本龍馬が暗殺されたのが慶応3年11月15日。
昨日は…138回忌ですか。

龍馬は蛸薬師の辺りにある酢屋を宿としていたのですが、この時は目と鼻の先にある近江屋を宿としていました。
夜には同郷の岡本健三郎や中岡慎太郎が訪ねてきていて何やら話し合いをしていたといいます。
午後8時半頃、龍馬が可愛がっていた近江屋の峰吉少年に軍鶏を買いに行かせ、その時に岡本も退席。
近江屋の2階で、坂本と中岡とふたりで話しをしていた時に刺客に襲われ、龍馬はその日に絶命。
慎太は17日に絶命しています。

日本史の謎、という本やテーマが出されるとき必ず出てくるのがこの龍馬暗殺。

誰が坂本龍馬を暗殺したか。

結論から言うと未だに分からない。
…というか、永遠の謎となっています。
昔から色んな説があるのですが…

1)新選組説
  殺害現場に残されていたのが隊士の下駄と刀の鞘という証言あり。
  証言は有れど、疑わしい点が多い。
2)見廻組
  佐々木只三郎説。かなり信憑性高し。
3)薩摩陰謀説
  武力倒幕に傾いていた薩摩にとって、土壇場で幕府に寛容になった龍馬は邪魔。
  小説としてなら面白いがあくまで想像と推理の世界。

まあ乱暴な言い方ですが私にとっては、龍馬が誰に殺されたのかというテーマはどうでもいいです。
龍馬と慎太が幕末の土壇場で姿を消したという事実は変わらないから。
ただやはり思うのは、このふたりには明治を迎えて欲しかった、という事です。
このふたりがいたら、その後の歴史は結構変わったものになってたんじゃないかと。
薩長土のパワーバランスも変わってくるし。
実際に薩摩長州から信頼を得ていた二人がいなくなると、土佐は他藩に顔の効く指導者がいなくてどうしようも無かったですから。


ところで、龍馬と慎太のお墓は京都東山の霊山にあります。
昨日は例祭だったと思いますが…
好きな方には「今更」な感じですが、あのあたり幕末関係の史跡がかなり多く残っています。
木屋町のあたりとか。百歩歩けば石碑に当る(笑)
龍馬関係で言えば

・霊山…お墓。幕末志士のお墓多数。町並みが一望できます。
・円山公園…龍馬と慎太の銅像。カッコいい。
・酢屋…現在も酢屋(笑)
   1階インテリアショップ、2階坂本龍馬のちょっとした展示室
・遭難地(近江屋) … 京阪旅行社前。 石碑のみ。
・土佐4傑銅像 … 
  立誠小学校(土佐藩邸跡)の傍にあったのですが、撤去された模様。
  行き先知っている人教えてください。
  坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、武市半平太 の四人の揃った銅像です。       
あと四条河原町上ル辺りにある象屋(脂取紙屋)は慎太の寓居があったところ。





あー自己満足(笑)


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