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移転しました(2014/1/1)

伊藤博文の本!

2011-08-30 | ヒストリ:近代MTS

図書館に行ってきました。
平泉関連で「中尊寺と藤原四代」という古い本があるんですが、それが地元にあるらしい!
これは先日書いた中尊寺の御遺体調査の中間報告書なんです。
驚いた。2冊もあった。
探していたというか、ずっと見たかったんです。
それこそ平泉にはまった頃から思い出しては読みたいなぁの繰り返しだったんですが、まさか地元にあろうとは。笑。
というかおかしい。真っ先に調べた筈なのに。
調べたのは多分データベース導入されたかどうかとか、その辺りだったような気が…その時に引っかからなかったのか。
これがまた使い辛いデータベースなんだわ…。
自宅からでもネットで検索や予約は出来るんですが、予約と貸出を確認するのにいちいちカードナンバーとパスワード入れる必要がある。
予約見るために入力し、貸出を確認するために入力し…
7桁も8桁もあるのに本当にめんどくさい。手間過ぎる。
システム入れる時に誰も何も言わなかったのか。

平泉の方はさらっと捲って借りてはこなかった。
内容が見たいと言うより、どういった内容を扱っているかを知りたかったんです。うん。
驚いたのは各御遺体、つまり藤原清衡以降4代のミイラの写真が載っていた事。流石調査報告書…
まあ、興味がある方はぜひ図書館等で調べてみて下さい。
血液型なんかもわかります。

で、この他にも、うそ!あったの!?な本が幾つかありまして。
伊藤博文関係。 
 
 上が伊藤公直話、下が伊藤公と山縣公

「伊藤公直話」は去年か一昨年かに文庫で出版されていました。
こういう本が安価で再版されるのは嬉しいですね。とはいえ地元で新人物往来社の文庫を置いている所がないんだなコレが…
図書館に行ったついでにないかと探してみたら、元の方があった。笑。
昔読んだ覚えがあるんですが、内容あまり覚えてない。^^ゞ
ペラペラめくりながら、タイムリーなので高杉晋作の項目を見てみたら2行で片付けられていた。
島津久光でさえ4行あるのに。
特に関係なかっただろう島津久光でさえ。おいリリー(笑)ちょっとどういうこと(笑)
 
で、「伊藤公直話」なので伊藤公で蔵書検索したんですよ。
そしたら「伊藤公全集」と「伊藤公と山縣公」が出て来た………!!!!
う そ !
知らんかった!ちょ、もっと早く教えてよ………!!!
 
 (その時の心境)
 
私この本大阪とか神戸で見てたのに!!!
なんか良かったんか悪かったんかわからん…… ^^;
 
 
で、伊藤公全集の方に山縣有朋の祝辞の口絵があったのさ。
 
 

ちょっとコピってみた。
明治35年10月25日。
伊藤博文の還暦のお祝いパーティが滄浪閣(小田原)で開かれた時の祝辞。 
うーんと思ったんですが、豈図らんやすらすら読める!
おお!どうした自分!(自分が一番驚く)
つーか、結構丁寧に書いてあるからなんですが、もしかしたらこれ読めるんじゃ?と思って山縣の他の書簡を出してくる。
  
  
左)明治10年、伊藤博文宛 右)明治36年桂太郎宛

うん、気のせいだった。(知ってた…)orz
 
 
「伊藤公と山縣公」は結構面白いです。
伊藤が部下たちと酒を飲みながらよもやま話をしていた時、
「一番尊敬している人は誰ですか」
と聞かれた。伊藤曰く
「天皇陛下」 
うん。まあそらそうだわな。
その次が「韓帝」(伊藤は当時韓国統監)、まあそれもそうだわな。
でも部下たちはそれでは納得しない。
そーゆー次元の違うエラい人たちじゃなくてさ、臣下身分ではどうなのさ。 
そこで伊藤が考えてあげた人物は
「うちのかーちゃん」
おおう。梅子さんですか。
 
伊藤は元々入江九一の妹すみと結婚していました。
ところが芸者との遊びが本気になってしまい、すみを離縁している。
その芸者がお梅さん。
 
伊藤は下のスキャンダルというか、そういう方面の話が随分多いですが、奔放に遊べたのはお梅さんがいたから、と言う話もあります。
まあ色んな意味で頭も上がらなかっただろうな、と思う。それだけじゃないだろうけど。
 
ただ本当に伊藤がお梅さんのことを「おかか」と呼んでたのを知った時は笑った。
あれは豊田穣の創作かと思ってたら、資料にちゃんと載ってんのよね、「おかゝ」って。笑。 
部下に妻の事を話すのに「おかゝ」って。 



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