goo blog サービス終了のお知らせ 

Forth!

旧ブログ跡地★移転しました(2014/1/1)

剛能断柔2 広瀬武夫と柔道

2011-01-30 | ヒストリ:広瀬武夫

■■■ 広瀬武夫の講道館入門時期 2 

前回は広瀬武夫の講道館入門が

1)軍神広瀬中佐詳伝 明治16年末ごろ 
2)講道館入門者名簿 明治20年11月13日

と資料によってバラツキがあるという所まででした。
広瀬武夫ということではやはり詳伝の方に重点が置かれますので、講道館の資料からのアプローチが今まで無かったようです。
名簿は原典史料ですので、物語風の詳伝(伝聞)と名簿ではやはり名簿の方にウェイトが置かれます。
というかもうこちらの方が正しいなと。講道館入門は明治20年だろうと。



詳伝が間違うと後が全部間違う(^^; しかも『全集』(バイブル)に書かれてしまうと修正不可能orz 

ただ問題なのは、これは入門の時期と言うだけで、広瀬が柔道を始めた時期ではないということ。
入門は明治20年だけれども、始めたのは16年だったかもしれない。

次はその辺りを見てみましょう。


■■■ 広瀬武夫が柔道を始めた時期。

入門は20年という事ですが、一体広瀬は何時ぐらいから柔道を始めていたんでしょうか。

広瀬側から見た柔道関連の事項を上げてみますと

明治16年秋~冬 上京 攻玉社入社
明治20年初夏頃 海兵の庭で友人達と乱取りをしているところを海兵校長が目撃(★)
   20年11月  講道館入門

確実なラインは明治20年11月ですが、
これを見ると、少なくとも明治20年初夏には柔道を始めていたことが分かる。

また一方講道館側の資料を見ると、「広瀬が顔を出し始めたのは富士見町時代」。
即ち講道館が富士見町にあった頃から通ってきているとある。
講道館は明治15年に設立されましたが、そこから明治中盤までは門人増加に併せて、短いスパンで移転を繰り返しています。
 


その富士見町時代というのは、明治19年3月~22年4月のことになる。
イコール広瀬の柔道開始時期となる訳です。
ここで入門時期を勘案すると 明治19年3月~20年11月の間
更に(★)を勘案すると 明治19年3月~20年初夏の間
という風に絞り込めます。なるほど。

そして、ここで広瀬の柔道開始時期には以下の2説があることが分かる。

 1)明治16年(詳伝)
 2)明治19年3月~20年初夏(講道館)
 
 3年から4年です。結構間があいている…


で、ここでもういっちょ資料。 『嘉納先生伝』(横山健堂/講道館/1941)より。
 
(※註海軍兵学校の) 
芝生で柔道の練習をしてゐたといふ海軍柔道の草分の人々は、
財部彪、広瀬武夫、本田親民、吉田範策、有馬純位、田代愛次郎、町田清、
田中彦四郎、伊集院仙(改名兼誠)、加藤寛治、小川水路、丸橋彦二郎、
笹岡千代松、浅尾重光、森弘長一、高原鉄太郎、松村純一等で、
其後、概ね天下に名声を上げた人々である。   <略>

是等の草分の人々の中、かねて武道の素養のある者は、
広瀬、町田二氏が攻玉社在学中に、既に起倒流を学んでゐたのと、
財部氏が薩摩特有の剣道示現流の一派、薬丸流にいそしんでゐた等であつた。

(※名前間違多 ×→○:吉田→吉岡、彦二郎→彦三郎、笹岡→笹尾、重光→重行)


広瀬、町田二氏が攻玉社在学中に、既に起倒流を学んでゐた

あら。思わぬ証言が。


起倒流というのは、江戸時代から続く柔術の一流派です。
そして嘉納治五郎はこの起倒流と天神真楊流を中心とした諸流の柔術を研究して長所を採り、理論的に体系化・集大成したものを講道館柔道とした。
嘉納が起倒流を習い始めたのは明治14年で、16年10月に起倒流の免許を皆伝されています。
そうですので、もしかしたら広瀬と嘉納はその繋がりで面識があったのでは?とも思ったのですが
 
起倒流を習っていた時期 / 習っていた可能性がある時期 
  嘉納 … 明治14年  ~ 明治16年10月
  広瀬 … 明治16年末~ 明治18年9月 (攻玉社入社~卒業)

重ならない…
まあ重なっていても起倒流にも流派があったようですので、嘉納と広瀬の派が重なるかは分からない。
嘉納は政府高官や上流階級との付き合いが多く、教育関連では随分手広い活動をしていましたので知る人ぞ知る人物だったと思います(嘉納は元々教育者です)。
だからと言って、広瀬が嘉納を知っていたとしてもそれが柔道迄に繋がるかと言うと、まあそれはこじつけになるかな…
理由としては無理がある。


前回とここまでの情報を一旦纏めてみます。
 
*************************************************

1) 『軍神広瀬中佐詳伝』 より
   ・講道館で柔道を始めたのは明治16年末
   ・恩師山縣小太郎の勧めによる。山縣は嘉納の姉婿と知り合い

2) 『嘉納治五郎』 他 講道館関係資料 より
   ・広瀬が講道館に通い始めたのは富士見町時代 即ち 明治19年3月~20年夏頃
   ・講道館入門は明治20年11月13日

3) 『嘉納先生伝』 より
   ・広瀬は攻玉社時代に起倒流を習っていた  明治16年末~ 明治18年9月
 
*************************************************
 
**
 
サイトに柔道話を載せた時は、広瀬と起倒流の話はこの講道館関係の本でしか見たことが無かったのですが、その後竹下勇の話を発見しました。

中佐と私とは兵学校に入る前から攻玉社に一緒に居りまして <中略> 
(※広瀬は)武術が大層好きで、私共が当時出入りして居りました
起倒流の道場、其所などへも私が案内したことがあります

竹下ー!お前かー!(笑)
竹下も武道マニアなんですよね(笑)その話は機会があったらまたいずれ。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 更新 | TOP | 剛能断柔3 広瀬武夫と柔道 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | ヒストリ:広瀬武夫