■サイト更新 FRWL 「広瀬武夫と森山慶三郎(+α)」
サイト更新です。まともな話は久しぶりじゃない?^^;
去年の1月に書いていたものなので、程よく御忘れの方も多いかと思われます。
既にUPしている「君はともだち」(財部彪、竹下勇)、「Another Side」(川島令次郎、佐藤鉄太郎)と一緒に更新する積りだったのですが、その時に正真正銘のおまけ(ひどい)安保清種の話をどうしようかと思って早1年。
結局省く事も別項を作ることもせずそのまま載せました。
ページ自体は半年以上前からできていたのでこんなことならもっと早くに更新しときゃよかった。
御時間がありましたらどうぞ遊びに来て下さい。
森山慶三郎はサイトで触るのは「連合艦隊司令長官着任の一幕」以来かな?
秋山真之と海軍兵学校では同期の人物ですが毒舌というか、皮肉屋というか、そういう印象の強い人です。
個人的には笑ってしまう事が多くて結構好き。
小笠原長生についてはサイトやブログでもよく触れてきました。
全集が出るほど著作・著述が多く、中でも東郷平八郎の伝記がよく知られますが、生前から元帥の腰巾着とか私設秘書等と言われてとよく揶揄されていた。
昭和の行きすぎた東郷崇拝の空気を作りだしたのが小笠原になります。
昭和10年、将星が集まる日露戦争回顧の対談会で、事もあろうにその小笠原に向かって森山はこう言った。
小笠原君は、戦争前、東郷さんをどう思つた?
無能とは思わなかつたか(笑声)
はいこれ原文のまま。これを読んだ時は大爆笑でした。
『井上成美』だったか、阿川弘之さんの小説に、
東郷ハガネをもじって海軍では東郷バカネというのだよ、とか、
東郷元帥の若い頃の事績を調べさせてどうも特に見るべき点がないと言う事を若い海軍さんに教えたりとか、
そういう記述がありましたが、海軍では人物を神格化したり崇拝したり、そういう事が一種タブー視される風潮があったようです。
広瀬も神社創建の時はそうなんですよね…
財部彪をはじめとする同期の連中が広瀬を神様にして神社を創ることについてはずっと反対していて、何度か出てきた神社創建の話もその都度潰していた。
神社創建はこの森山の談話と同じ年の話になりますが、この森山の小笠原に対する言葉を見ていると東郷元帥を持ち上げまくっていた小笠原に対する痛烈な当てこすりだと思えるというか、笑っているのに随分冷やかな視線を感じると言うか…
他の人がどう小笠原の行為を見ていたかを代弁しているような気がするんですよねえ。
そんなに知っている人でもないんですが、色んな思いが浮かぶ人ではありますな。
今回更新ページで出した森山の写真は恐らく日露戦争出征直前だと思われます。
陸軍の田中義一に贈られた写真で、出征待ちくたびれた…って書いてある。
田中義一のロシア駐在時期は広瀬のそれと大体重なります。
一緒にダンスを習ったなんて話も残っているのですが、広瀬から田中に宛てた絵葉書も1通残っている。
これなんだけどね、私のアリアズナのイメージはこの女性だったわ…
少なくともこちらではなかった^^;
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東郷といえば、学生時代のボンボンの知り合いが、『うちのひいばあちゃんが、東郷さんはしゃべれないと思ってた。』というくらい無口だったそうで…
東郷は元々饒舌だったそうです。
イギリス留学を大久保利通に依頼した際、いい返事がもらえなかった。
理由は東郷はおしゃべりだからだったといいます。
口数の多さのため英国留学ができなくなる(!)所を西郷隆盛の口添えで行けるようになったという経緯がありますので、東郷の無口はそういった事もあったかもしれません。
若い頃はおしゃべりってのは知ってましたが、そんなきっかけがあったんですね…
この町内組合は、本当に…
これは薩摩にだけ通用する理由でしょうねー
恐らく口数が多いのは信用できないとか、そういう事かと思いますが…
それなら議論してなんぼの長州人どうなるん、という(笑)