「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 短歌を見ました4 鈴木 一平

2017-02-26 22:03:18 | 短歌時評

『穀物 第3号』の続きです。

  フライパンの中に油を敷くけれど言ってくれ間違っているなら

 進上達也「すぐにこすれて燃えてなくなる」から。上句の提示を下句で引き受けつつ、文節を通して後者の論旨をフライパンでも油でもない場所に向ける流れは、詩でいえば改行に近い論理が働いているとおもいました。上下の構造的な分割を経由することで逆接の内容を漂白させ、残存する前行の提示を弱く脱臼することで、作中の基本的なトーンとなる生活感に迫真性を搭載させつつ、脈絡のズレが持つ切れ味を読ませます。「定期券区間の外でこれからのお金の減り方を覚悟する」や「ヌードルの麺を伸ばしてお湯をぬるくしてから本当に思い出す」などにも見られるこの構成は、いわく言いがたい生の感覚を作中に結晶化させているような印象を受けます。

   以前、名をつけたことのある嗅覚が見つかる一昨年のマフラーに

 「匂い」ではなく「嗅覚」と呼ぶニュアンスがいいとおもいます。「匂い」であれば一昨年のマフラーに残る一昨年のだれかの(私の?)匂いとして、今の私がそれを嗅ぐという意味に留まりますが、「嗅覚」として差し出されると話は変わってきます。「嗅覚」は嗅ぐ対象ではなく嗅ぐことに伴う匂いをもたらす感覚そのものであり、その意味でいまの私の嗅覚とは決定的に一致することはありえず、いまの私ではない別の何かになることの契機をもたらすからです。そのため、修辞としては想起というより過去の現前として現在の私の変更をもたらす強さがここにはあり、翻って一昨年のマフラーがもつ過去の匂いの鮮烈さを感じます。

  襟首が伸びていつかはこの部屋を出る新しい可燃ごみとして

 連作では先ほどのマフラーの後に「年末のもうすぐ捨てるセーターの行く先々で挨拶をする」が置かれ、その次に上記の作品があり、衣服を一要素に詠み込んだものが連続しますが、これらに共通して見られるのは、衣服を着古していく時間の流れに過去や未来の方向性を添えつつ、どこか諦念を含んだクリアで余韻のある叙情です。さて、この作品では衣服の劣化に「襟足の伸び」を重ね合わせて、身体に流れる時間が描かれています。これまでレイアウトの一部として対象化されていた衣服が作品の基底として、あるいはレイアウト全体の共働の結果として描かれています。つまり、衣服は作品の中で経由される要素というより、パタパタと展開していく作品の運動と分かちがたくあるわけです。身体の重ね合わせは「襟首」としての表出と同時に、こうして作品を読み解いていく過程のなかで動的に形成されるものでもあるといえるでしょう。そして、これまで着古されたものとしての衣服が詠まれていたなかで、この作品は古着にごみとしての新しさが付帯されている点も無視できません。

 濱松哲朗「〈富める人とラザロ〉の五つの異版ーーRalph Vaughan Williamsに倣つて」では、冒頭にルカ伝の引用が置かれ、その後に5つのセクション([Variant1~5]、以下番号のみ表記)に分かれた連作によって編まれていますが、分量的に他の同人よりも多く、構造的にも少々込み入ったかたちでつくりこまれているように感じます。ネガティブな生を生き続けることを余儀なくされた私と友人の死についての意識を主題とした作品が目立ち、なかでも特徴的なのは、ルカ伝で生前のラザロの生活スペースとして描かれていた「門」が、異なるセクションのなかで繰り返し詠まれている点です。個々の作品の配置から読み取れる連鎖的なイメージと、随所に挟まれる「門」のモチーフを通して、そこから立ち上げられる読みを考えてみます。

  開かるる門のかたちに漏れ出づる饗宴の灯をしばし見留む

 [1]における門ははじめ、「饗宴の灯」が漏れ出す形態として視覚に与えられています。前述したルカ伝のすぐ後にこの作品が置かれているので、おそらく「饗宴」は「富める人」の室内で行われているものであり、それを門のかたちに漏れ出る光として認識する表現主体は、門前のラザロの姿を引き写していると読むことができます。以後、このセクションは「われを捨てし母の血われに流るるを疎まれながら育てられけり」や「しぶとくも生くる命よ 貧しきは血の穢れとふ声、零されぬ」、「次々に諦め慣れてゆく頃の落葉、生まれさせられし者」など、自己の出自を巡る作品が中心に置かれることで、「貧しき人」のモチーフが個々の作品から独立したかたちで、見開き内の主題として抽出されることになります。そして、

  身の程を知れと言はれつ 門前に屈み込むつつわれの崩えなむ

 同セクション内最後の作品である「身の程」へと接続されることで、だめ押しのようにルカ伝におけるラザロと門前に屈み込む「われ」が類似するように重ねられます。つまり、[1]において形成されるのは、ルカ伝におけるラザロの具体的な肉付けの過程であると読むことができます。個々の作品において成立する認識があり、それらの認識を横切る目のなかでさらに抽象的な認識が形成されていく、といえばいいのでしょうか。この見開きにおいては、そうした認識の積み重ねがラザロと「われ」の類似において結晶化され、その土台に設置された「」が冒頭の「」と呼応することで、印象が強められています。
 しかし、[2]は「われ」ではなく知人の死についての作品から始まります。

  早朝のスマートフォンをふるはせてわれにも届く声なき報せ

  ともだちの死をともだちが告げてゐる連絡網のごときLINEは

 私たちは[1]において「われ」とラザロのあいだに見いだされる類似を元に作品を意味づけでいくことができましたが、ここでラザロが死んだように死ぬのは「われ」ではなく「ともだち」であり、「われ」は「貧しさ」を宿したままラザロと分離します。もちろん、[1]における「われ」と[2]における「われ」が同一の存在であるとは確定的ではありません。[1]の「われ」が[2]における「ともだち」である可能性さえあるわけですが、むしろ、語としては同一でありながら作品としては別のものである両者の「われ」を読むことで、両者とは分離されたかたちで「われ」と指示される存在が立ち上がると考えたほうがいいのかもしれません。「われ」は表現主体の可能なバリエーションの一つであり、一連の短歌作品の語り手でも、ましてや「書く私」として不動の地位を占める書き手でもないということです。

  閉ざされし門の手前に風絶えて(何故だ?)こんなに晩夏が似合ふ

 こうした分離の印象をそのまま引き受けるように、「閉ざされし門」はラザロと「われ」の類似ではなくそれらの分離としての側面を示す指示として現れ、同セクションは「生き残る者はラザロにあらばれば蝉の骸を避けて歩めり」「心音の耳に充つれば凡庸にいまだ死なざる身体重たし」と、生者である私を倦むような作品で閉じられます。ここで「」は私にラザロとの類似をつくりだすために用いられるのではなく、ラザロと私が異なることを示すために用いられているわけです。続く[3]で「」は一度も登場せず、[4]の末尾を待つことになりますが、[3]で繰り返し用いられるモチーフと「門」の登場の遅延を通して、前述した「分離」の機能をさらに複雑化したかたちで、[4]の「」は使用されます。[3]において描かれるのは、これまであった苦悩のうちで生き続けることへのそこはかとない執着に加えて、死への希望や死後の自分に対する意識です。「夏にふる雪にあらずも 初めから見え透いてゐし終の姿は」「死ののちを清らに残る感情のわれに暗渠のごとくありなむ」といった連鎖的な構図も無視できないものの、「せめて鏡を伏せてから死ぬ まなじりに前世のなごり浮きいづる頃」「繰り返さるる生の途上に焼かれゆくわが身よ 無理をさせてすまない」「信じてゐた(ーーそれが私の心からの抵抗であると、)伝へてください」など、死への近似は現行の生をやや超えたかたちで展開されていて、これらの作品を、生き続ける「」と死んでしまった「」の組み合わせによって生じた、「この生」に対するゆらぎや相対化の認識として読むことができます。また、このセクションで目立つ語彙としては「」(前述の「夏にふる雪にあらずも」に加えて、「ウェブ上にふりしきる雪 更新の滞りたるページかがよふ」)も挙げておく必要があるかとおもいます。

  快晴の朝の葬送耐へ切れずはじけてしまふ実柘榴の刻

 前述した「」と[2]における「蝉の骸」との時間的なギャップを与えるように、[4]において示唆されるのは、友人の死からの時間の経過です。冒頭となる上記の作品では葬送の場面が読まれ、続く作品でも「〈偲ぶ会〉と称して集ふ旧友の写真届きぬわがLINEにも」や「われの他に幾人かゐる不参加を引き算のごとく数へあげたり」、「懐かしい、と思はず打てる返信に永遠に揃はぬ〈既読〉あひなむ」など、経過の印象が強くあります。[2]で見られた「新聞のおくやみ欄の画像あり二十七とふ享年目立つ」と同じ位置に「音楽家でもないくせにこの歳でーー、つて、成りたかつたのかもしれないが」、「ああきつと空が笑つてゐたのだらう八月に死をえらびし君よ」の位置に「それぞれに語らぬ過去のあるならむ沈黙よりもおもき笑顔に」が置かれてあることからも、[2]と[4]は対の構造を強く意識してつくられています。

  陽炎の彼方に見ゆる門あれば守衛のごとく蝉の啼き立つ

 そして、[4]を結ぶ「」であるこの作品は、「手前」と指示されていた「」との対比的な遠さとして「陽炎」の彼方にあり、季節の回帰として骸ではなく鳴く「」を身にまとっています。ラザロではない「われ」から距離的に離れ、かつ時間的にも離れている「陽炎の彼方」における「」は、死者と生者のあいだの「分離」の経験それ自体との分離を描くように使用されている、と見ることができるのではないかといえます。この作品の前に配置される「富める人ならざるわれらお互ひの腫物を目守りつつ触れざりき」は、富める人ではないが、しかしラザロでもない「われ」の姿を、再度自身に搭載するかのようです(そして、「生き残る者は」とこの作品は、やはり同じ位置に置かれています)。

  閉ざされし門に凭れて夜明けとふ乏しき時をわれは恃めり

 [5]は[1]と同様に、「」を用いた作品から始められます。ここで門は[2]と同じ「閉ざされし」という修辞を受けており、そのため他の「」とは異なる類似性を二つの作品は帯び始めます。構成には知人の死に対して言及しない[1]および[3]の流れを汲みながら、[2]と[4]で展開された対の反響を「閉ざされし門」を用いて召喚し、連作の最終章を飾るかのようです。「亡失は生者の奢り 過去といふ過去を野焼にくべつつ往かむ」「運命と呼べば貧しき現実をわれは死ぬまで生き続けたし」「紅葉の季に到りてわが裡に君のいたみの色付きはじむ」など、後続する作品もどこか総括的な気配を帯びながら、次の作品に続きます。

  この門もぢきに崩れの日を迎へ境界線の分からなくなる

 ここで「」は[1]においてラザロを引き継いでいた「われ」と同様に「」の語を備えることにより、ルカ伝ではなく「われ」との類似を示し始めます。しかし、この類似は固定的な意味を引き継ぐというよりも、[1]において「貧しき人」としての性質を搭載することでラザロとの類似を示しながら、決定的にはラザロとして死ぬことのなかった分裂を跨がるように生起していた「われ」の組成のあり方を、崩れることによって引き寄せています。「」は語としての同一性を持ちながらも、その現れをそれぞれ異なるものとして現れていたので、近似の操作が行われていた「われ」を引き受け、かつ「境界線」を失うことで、「われ」と「」の重なりとして[1]から[5]までの運動をこの見開きの内側に呼び込みます。

  生き残るなら引き受けるより他なくて声なき声を身に響かしむ

 かつての得られた運動を模倣するように語を反復させ、そのつど特殊な意味を埋め込むことで、運動の媒介としての側面を語に搭載させること。かつまた、語ではなく語の使用法を反復させることで、複数の語が結晶化する地点をつくりだし、その使用法をも反復のたびに絶えず組み替えることで、以後も変容する生の内側に声なき声を反響させていく。そうした試みが、本連作にはあるのではないかとおもいます。

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