「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌相互評16 盛田志保子から北村早紀「クエリー」へ

2018-01-05 10:20:10 | 短歌相互評


クエリーというのはコンピューター用語で、「データベースの検索で、指定された条件を満たす情報を取り出すために行われる処理の要求。問い合わせ。」(大辞林)のことだという。つまり「質問」のようなものだろうか。パソコンでなにか情報を検索するときなど、いくつかの単語をスベースをあけながら入力することがあるが、あの文字列もクエリーというらしい。短歌が十首並んでいる形は、そのイメージとも重なる。一首一首は一見、いちいち意味を解説する必要がないような読みやすさ、意味のとりやすさである。口語短歌の素敵さ、おもしろさ、どうかすると揺れ動くあやうさ、可能性など。思いながら読んだ。

バン一羽すすめば水面をゆく跡の果てなく広がっていく二直線

「バン」という黒い水鳥の名前から始まる一首目。水の上を一羽のバンが泳いでいくという場面。二直線というのは、鳥のうしろを二方向に伸びていく水の波紋のことだろう。丁寧に情景を追っていく言葉の連なりが、「果てなく広がっていく」で少し軌道を外れる感じがして、それは結句の「二直線」の字余りで決定的になる。きれいにまとめるというよりは、「水面をゆく跡」にひっぱられてどこまでもいってしまう感じ。静かな時の流れを感じさせる一首である。

脱獄というより自転車漕いでたら急に琵琶湖に出たような自由


 「脱獄というより」という否定の出だしは、逆に「脱獄」という前提を思わせる。この強い言葉は最後まで頭から離れない。脱獄という非日常から、「自転車漕いでたら」という口語全開の日常(自分なら最初はこう書いてもあとで「自転車を漕いでいたら」に直しそう。しかしそうするとただの文章になってしまう。)、そして「琵琶湖に出たような」という非日常なのか日常なのか、よくわからないゆえに印象的な下の句へ。前の一首にバンが出てくるので、もしかしたら湖は突飛な情景ではなく日常と地続きの描写なのかもしれない。そのほうがおもしろいと思った。結句の「自由」に行きつく前に、もう自由を感じる。
あと、「脱獄というより」がどこにかかっているのか、よくわからない作りだが、わたしはすぐ下の「自転車漕いでたら」につながると読んだ。少し不安定だがおもしろさもある。そこで切れて、「急に琵琶湖に出たような自由」となるのではないかなと。ただ、「脱獄」という言葉は「自由」という言葉と対になっていて、そういう初句と結句のとりあわせがあるので、全体がなだらかにつながり、まとまって見える。読み方は人によって違うこともありそうだ。

バス代を浮かせるためにかっとばすペダル 気がついたらここにいた

 最初は「バス代を浮かせる」という目的があったはずの行動が、思いもよらない場所へ自分を連れていく。「ここ」がどこなのか、たどり着いた一点なのか、今ここという現状のことなのか、読みながら少し宙ぶらりんになり、そのあやうさがいいと思う。一字空けと全体のリズムが内容にあっている。

部屋干しがこんなに楽しいことだとはひとりの暮らしに万国旗めく

文字通り楽しい歌。「こんなに楽しいことだとは」を言ってしまっていいのか、が、短歌的には焦点かもしれないが、わたしは個人的にこういう歌い方ができるときはどんどんしたほうがいいと思う。「ひとりの暮らしに」としたところがおもしろい。「ひとり暮らしに」だと音数は合うのだが、型にはまりすぎて流れてしまう。この、ひっかかりのような言葉遣いには、手縫いのような味わいがある。ささやかな、そして大きな、よろこびの歌。

ぬばたまの君の職場の先輩が君に幹事を押し付けている

 ぬばたまの…とあるので、なににかかっているんだろう、とまずは思う。職場?職場が黒い?ブラック企業?というとことへたどり着き、あ~、と唸った。(違っていたら申し訳ないです。)しかしそう考えると、そのあとの内容の背後にある色合いも決まり、すんなりと読めるからおもしろいものだ。そんなに重い感じはなく、「君」という言葉が二度使われているがリズムがよく、「押し付けている」と軽めに流すことで、逆に臨場感のようなものがリアルに伝わって、やはり内容に合っている表現だと思った。

君の暮らし私の暮らしが交わってそのとき讃え合えたらいいな

 これも素朴な感覚をそのまま歌にしたような形の一首。ポイントは「そのとき」だと思う。「いつかは」とか「いつでも」ではない。「そのとき」なのだ。これは意外に、のんきな話ではない。「君の暮らし」と「私の暮らし」が交わる「そのとき」とは、一瞬の、もうそのあと二人の関係が続くとか終わるとか、そういうのは置いといて、まさにその瞬間のことで、やはり思うのは友情や愛情、恋愛でもいいのだけど、そういう青春の輝きのことだろう。それがこの歌では非常にまるいかたちで示されているので、青春といっても若いときの鋭いイメージだけでなく、人生の終わりくらいに訪れてもおかしくない青春の一瞬を歌っているようにも読める。二人の人間の暮らしが、どちらかのものに同化してしまうのではなく、向かい合って讃え合って立ちたい、という、誇らしい、さわやかな心が印象に残った。

「ここにある大きいつづらと小さいつづらどっちもあなたのもの」って笑う


 字余りなのがちょっともったいないような気がしたのだが、変えようがない。これでいいというような気がしてくる。つづら。あの、昔話に出てくる、例のやつである。どちらかを選ばなくてはならないと身構えているところへ、「どっちもあなたのもの」、という宣言は、あまりに想定外なのでびっくりしてしまう。しかも相手は笑っている。どっちも持って帰って~と言っているのだ。この歌の主人公は、言っているほうなのだろうか、言われているほうなのだろうか。そこがあいまいなところもおもしろい。そして実は、どっちも持ち帰らなきゃならないのが、わりと普通の人生だろうなと思う。

咎められずに工夫を重ねていけることが私の水であるのを知った

 「私の水」である。たぶん、作者には百も承知のあの「水」なのである。読む側は、まず「水?」となる。それで、ああ、「あなたの」水ね、と納得しようとする。そしてまた、「水??」となる。でも、わかる、のである。「水であるのを」というところが、ちょっと舌足らずというか、言葉尻が惜しい感じがして、かといって、「水であること」ではものすごくダメだし、やっぱりこれでいいのだろうな、と思う。

目玉焼きくずれたこともファルファッレ(ルビ・ちょうちょのパスタ)ゆですぎたことも全部うれしい

 生活のワンシーン。こういうなんでもない、ちょっとしたところをとらえた歌が素敵だと思う。人生は完璧ではない。くずれた目玉焼き、ゆですぎたファルファッレはせっかくちょうちょの形なのに。やぶれて出てきた卵の黄身のあざやかな黄色、ファルファッレの語感、ちょうちょのルビ、かたち、目に舌に踊る、やはり生きていること「全部うれしい」、そんな本音が静かに伝わる。大好きな歌。

嫌いより好きを力にすることを身につけられる予感がしてる


 その通り。明るい力。ただ、「してる」を「している」にしなくていいのかな、などと思ってしまう。でも読むと、「してる」のほうがいい。だめだろうか…。だめですかね…。と、作者でもないのにおろおろする。わたしのほうが少しだけ長く短歌とつきあっているために、足枷が増えてしまったのだろうか。けれども、どうなんだろう。「文体」という言葉を思い出す。言葉は体から出てくるものだから、「本当に歌いたいことを歌う」ことがその人の「文体」になっていくのではないだろうか。とりあえず、自由に、いろいろ言われていくなかで試行錯誤しながら、最後は自分でゆずれないものを見い出していけばいいと思う。

短歌相互評15 北村早紀から盛田志保子「短歌」へ 

2018-01-05 10:17:29 | 短歌相互評


よろこんで評を引き受けたはいいけれど、盛田さんの連作のタイトルが「短歌」と知ったとき、正直なところどうしようと思った。「短歌とはかくあるべき」といった連作だったらどうしよう。格式高い感じの……私には難しすぎる連作かもしれない……でも心配したようなことはなかった。「短歌」がどのように「わたし(わたくし)」の暮らしに寄り添い、また「わたし(わたくし)」がどのように「短歌」に寄り添いながら生きているか、という連作だと読んだ。
 タイトルが「短歌」なので、どの歌も短歌と結び付けて読んでしまったが、それが適当だったかわからない。毎日短歌のことを考えているだけに自分の短歌への思いにひきつけて読んでしまいがちで、最後まで適切な距離を取れなかったように思う。


1. 少し気が楽になるから山奥の水場の如し歌を詠むこと

主体にとっては歌を詠むことが「山奥の水場」のようで、「少し気が楽になる」という。山道を奥まで進んでいったときに水場に出会って少しだけほっとするような感じなのだろうか。短歌自体ではなく、「歌を詠むこと」がそのような存在である、というのがポイントなのではないだろうかと思う。短歌をつくるという行為を通して「少し気が楽になる」というのは、実感を通してわかる。
「山奥の水場」で「少し気が楽になる」のは、なぜだろう。山奥まで来てようやく給水できるから?しかし、それならば、水を飲む(自分の中に取り込む方向性)と「短歌を詠む(自分の外に短歌が出ていく方向性)」は方向性として重ならないような気もする。自分で言っておいて何だけれど、そんな細かいことを掘り返すのがこの歌のおもしろさではない気がしてきた。

2. 唯一のなぐさめとして焦点のつねに正しい縦書きの歌

「唯一のなぐさめ」というのは何に関してだろうか。自分の暮らしにおいての唯一のなぐさめ? それとも、短歌というものに関して、「焦点がつねに正しい」ということが唯一のなぐさめなのだろうか。
なんにせよ主体は「焦点のつねに正しい縦書きの歌」の存在になぐさめられている。しかも唯一の、というほどのなぐさめである。

3. 大らかに生きたいという願望を持つわたくしに捺される印

 「わたくしに捺される印」は私の願望を縛るものなのか、それとも願望に許しを与えるものなのだろうか。どっちと言い切れないようなフラットな描写がおもしろい。「大らかに生きたい」と言っているので、現段階ではあまり大らかに生きられているとは言い難い状況なのかもしれない。

4. 咳に疲れ言葉に疲れやわらかい子供の頬に触れている夜

 連作を通して、主体は短歌や言葉を間に挟んで他者と交流してきたが、この歌では身体的な交流をしている。酷い咳は呼吸を滞らせるし、呼吸がままならないと思考もうまくいかなくなってくる。言葉にもそういう面があると思う。それに疲れて主体はやわらかい子供の頬に触れる。子供の頬は主体を疲れさせるものの対照に置かれている。
短歌のことを「唯一のなぐさめ」と表現した筆者が、子供の頬に触れることにはそのような表現を使わなかったことがおもしろい。疲れすぎているからか、安易に意味づけられないからか。「唯一のなぐさめ」が安易であるとは全く思わないが、子供の頬の存在に意味づけがされなかったことで、逆に特別感が際立っているように感じた。

5. 使っても傷まぬものを使うから続くのだろう歌を詠むこと

 歌を詠むときにみなさんが使うのは何ですか。言葉、心、思い、願い。物ではないから使っても傷まないといえばそうなのかもしれないけど、擦り切れたり傷んだりするものの代表のような気もして、この歌を最初に読んだときはすこし考え込んでしまった。主体にとってはそうだ、ということで、そこに異議を唱えるというのもおかしいのだけど。
 主体は一首前で「言葉に疲れ」ている。でもその言葉が「使っても傷まない」ものであるとしたら。私が「疲れ」ていてもお構いなしで、使っても使っても傷まないものを相手にするのはしんどかろうなあと思う。

6. 吹き荒れるうつつの風を聞きながらコップに凪ぐは歌という水

 この一首では歌は水に例えられる。しかも、「吹き荒れるうつつの風」と対照的なものとしての凪いだ水である。コップの中という小さな水面に、凪ぐという比較的大きな水面を連想させるような表現が使われているのが特徴的だと感じる。
 短歌をやっているというと「雅なご趣味ですね」といわれることがよくある。そのたびに微妙な気持ちになるけれど、「吹き荒れるうつつの風」とすこし距離をとっていられる手段があるというのは、確かに雅なことかもしれない。趣味かどうかは人による。
 私は指摘されるまで「コップの中の嵐」という慣用句を知らなかったのだが、この歌の背景にはそれが意識されているのだろうか。辞書によると、仲間うちだけの、外部には大した影響を及ぼさないもめごとのことだという(類義語として、蝸牛角上の争いが挙げられていた)。そうなれば、コップの中の凪ぎが外部のうつつの風吹き荒れる世界には大した影響を及ぼせない、という読み方ができる。

7. 死にたいといえば軽いと諭されて書き直している三十一文字

 歌に対して評をもらったのだと読んだ。歌に「死にたい」という表現を使ったが、その表現を軽いと諭されて書き直しているのではないか。死にたいと言わずに死にたいと言え(死にたいという言葉を使わずに死にたさを言え)、ということなのだろうと思う。
「諭され」るというのがいいなと思った。その諭しには、もっとよい表現が選べるはずだという、主体の作歌の力への信頼が感じられる。

8. 「探して」と「見て」が悲鳴のようにくる秋陽の中の戸棚をしめる

 秋の穏やかな陽ざしのなかに、主体は悲鳴のような「探して」と「見て」を聞いている。そしてその中で戸棚をしめるのは、その声たちを締め出す行為なのだろうか。
 秋陽の中「で」ではなく、秋陽のなか「の」であることが興味深い。「の」が選択されていることによって、戸棚をしめる行為をする主体よりも、戸棚が秋陽の中にあることの方にスポットが当たっているように感じた。また、「しまる」ではなく「しめる」なので、その行為には主体の明確な意識がある。
「探して」と「見て」という悲鳴のようなものは、きっと探したり見てもらえることはなくて、そのうえ戸棚もしめられてしまう。なんらかの救いになりそうだった戸棚が歌の最後にしまり、ドラマチックな印象の一首である。

9. 音楽にのせてあなたに届けたいそれはわたしの言葉ではない

 ほかの歌では「わたしの言葉」についての歌が続いていた(と私は読んでいた)が、ここで語られるのは「わたしの言葉ではない」言葉についてである。短歌が私の言葉であるから、短歌以外の、たとえば歌詞(音楽にのせる言葉)などは私の言葉ではない、ということだと読んだ。
 音楽にのせて届けたいのは「わたしの言葉」ではなくて、それでも特にその言葉を届けたい。あなたに捧げたい曲(歌詞)があって、それを聞かせたい、ということだろうか。

10. どのような雨風さえも吹き込まぬための蓋つき三十一文字

 この「蓋」というのが何を意味することなのかが難しい。「定型」のことだろうか、と考えたが、この解釈は無理やりかもしれない。
 短歌にするということは対象を短歌という形のなかに閉じ込めることであるという側面をもつ。一度短歌にしてしまったものは、外からの干渉を受けない。そういう意味では蓋つきというとらえ方ができるのかもしれない。
 六首目では短歌の外の世界は「吹き荒れるうつつの風」とされていたが、ここでも雨風のある場所として表現されている。主体にとっては短歌とは、ちっぽけではあっても安全な場所だということなのだろう。



短歌時評第131回 批評にとって短歌とはなにか /後編  吉岡太朗

2018-01-05 10:16:07 | 短歌時評
三章:「作者」の逃走


 1
 ところで『誰にもわからない短歌入門』には以下のような記述がある。

 短歌の「うまさ」というのは、時として短歌を損なう。短歌において技術やレトリックというのはあくまでうたの核心を支えるものであるべきで、それ自体が読者にとってのうたの眼目になってはいけないのだ。そういう短歌は単に作者の「うまさ」を読者にひけらかすための手段へと成り下がってしまう。 鈴木ちはね

同書は「一首評」集のような形式をとっているが、「入門書」でもある。だからこのような文章も時々出てくる。「うまさ」というのは通常は肯定的にとらえられるものだと思う。けれど鈴木はその全肯定に対し、保留をさしはさんでいる。けして「うまさ」の否定そのものではないが、「うまければ、うまいほどよい」という価値観を仮想敵として攻撃している。

短歌の韻律を考えるときに、表面に現れてくるものより深部でからみあう母音と子音や拍感を大切にした方がいいんじゃないかなというのが僕のスタンス。単純な頭韻や脚韻をふんだんに使った歌は、容易にそれを指摘することができるけれど、それに気づいてしまうと、その韻を組み立てるために言葉が選ばれているのではないか、というところまで見切られてしまうことがある。(略)そういう韻を、すまし顔なお利口な感じの歌で踏まれてしまうともうキツい。「この歌、韻を踏んでてリズムが綺麗でしょう?」とアピールされてるように思えてしまうから。 
阿波野巧也

今度は個人誌『毎日の環境学』の「十月のこと(日記)」から引いた。短歌の韻律についての自説を書いているが、ここに書かれている「深部」と三上における「うたの核心」、阿波野の言う「アピール」と鈴木の「読者にひけらかすための手段」は、ほとんどパラレルに捉えることができるのではないか。阿波野はテクニカルなものは好きだ。でも、テクニカルであることにドヤ顔をしているのはきらいだとも書いている。これは今村夏子の小説の感想の言葉だが、その後で短歌の話とも結びつく。テクニックはどこまでも内面化しないと、ただの表層的なものになるということ。これがわかってないで短歌つくったり歌会の批評をやってる歌人もいると挑発的なことを言い始める。

この歌は菜の花から始まってとてもイメージ喚起力の強い歌となっている。それも短歌に親しんでいる読者に向けては「ここテクですよ」と囁くようなうまさが光っている。そのうまさは、普段なら鼻につくものなのだけどこの歌ではあまりにも無邪気にエヘヘといってるように感じられ邪険にできない。
 谷川由里子
 
 同人誌『SHE LOVES THE ROUTER』の「感覚の逆襲」から。その中の「菜の花を食べて胸から花の咲くようにすなおな身体だったら」(山階基)という歌への「一首評」から引いた。ここでの「鼻につくもの」も、阿波野の「ドヤ顔」のパラレルとして読むことができるだろう。
けれど「無邪気にエヘヘといってるように感じられ邪険にできない」という谷川の発言は、阿波野とは少し違うことを言っているように思える。この「邪険にできない」顔はどこにあるのか。鈴木が、阿波野が言うように「うたの核心を支える」ものになっているのか、「内面化」されているものなのか。恐らくそうではない。阿波野の言う「表層的な」ところにこの顔はあるのではないか。
技術を駆使しても負けないのは、作者が主体よりも強くその無邪気さに焦がれているからではないだろうかと言葉でこの「一首評」は結ばれるのだが、ここでは「作者」と「主体」が並置されて語られている。「主体」はいわゆる「作中主体」のことだろう。いつの間にこの二つの概念は向かい合うようになったのか。



 そもそも「作者」とは何か、「作中主体」とは何か。この問題を考える上で分かりやすいのは大辻隆弘の「三つの「私」」の概念である。以下、『近代短歌の範型』より大辻の議論を参照する。
 レベル①「私」…一首の背後に感じられる「私」(=「視点の定点」「作中主体」)
 レベル②「私」…連作・歌集の背後に感じられる「私」(=「私像」)
 レベル③「私」…現実の生を生きる生身の「私」(=「作者」)

 ①一首の歌の叙述の背後に想定され、視点の定点となる人物。②連作のようなひとまとまりの短歌を読んでいく時に想定する人物。③歌集を編集する個人であり現実社会の生活者でもある人物、大辻は「私」を三つに分解して考える。
 近代短歌では「私①=私②=私③」が成り立っていたと大辻は言う。一首の歌の背後に「作者」や「私像」を感じ取り、その人物イメージに裏付けられた形で一首の歌を読み直す。そういう往復運動のなかで、一首の歌のなかの「作中主体」には複雑な陰影が加わって来る。
「わが道暗し」は、作者の行く夜半の道であるが、おのずから人間的な感慨が参加しているだろう
と佐藤佐太郎が書く時、その「作者」とは一首の歌の「作中主体」でもあるし、「悲報来」という連作の背後にある「私像」でもあると同時に、斎藤茂吉という「作者」でもある。すべての意味をこの「作者」は含んでいる。
大辻は、前衛短歌運動についてこれを、「作者」から、「作中主体」や「私像」を切り離す「私①=私②≠私③」の試みだった、という認識を提示する。切り離すことで、切り離したものを表す言葉が必要になった。「作中主体」という語が多用されるようになったのは一九八〇年頃からだと大辻は指摘するから、戦後に始まった前衛短歌運動とは若干のタイムラグはあるようだが、「新しい出来事」として起こったことが「当たり前のこと」として踏まえられるようにはそれだけ時間がかかるということだろう。
それはさておき、ここで問題にしたいのは、「作者が主体よりも強くその無邪気さに焦がれているからではないだろうか」と谷川が言う時の「作者」は果たして大辻の言う「私③」のことだろうか、ということだ。
大辻は直接こんなことは書いていないけれど、「私①」「私②」「私③」という図式は、前者が後者より深い次元にあるという印象を評論の読者にもたらさないだろうか。先の引用の「一首の歌の背後に「作者」や「私像」を感じ取り」という部分を読む時、評論の読者は「作中主体」のさらに背後に「私像」があり、そのまた背後に「作者」がいる、という図式を想像するのではないか。「作者」のいる位置、それはまさしく鈴木が「うたの核心」と書く位置ではなかろうか。けれど谷川の「作者」の顔は、阿波野の言う「ドヤ顔」とパラレルな位置にあって、「表層的」なものだと読めるのである。それは本来なら「鼻につく」存在なのだけれど、その様があまりに「無邪気」で許せてしまうだけであって。
 レベル③の「私」とは、一般的には「作者」という名称で呼ばれる個人のことを指す。一首を作り、歌集を編集する個人のことである。一首を作り、歌集を編集する個人のことである。また、その個人は、現実社会の生活者として日々の社会生活を営んでいる社会的存在であるというのが大辻の「私③」についての記述だが、「一首を作り、歌集を編集する個人」と「生活者として日々の社会生活を営んでいる社会的存在」というのは、実は別々の概念なのではないだろうか。
 読者は、一首の背後にいる「私」を読み取るよりも先に、一首の表面にいる「私」の存在を把握するのではないか。その「私」とは(意味やイメージではなく)言葉としての短歌において、その言葉を現に配列したと考えられる人物のことであり、「作者の手つきが見える」というような評がなされる時のその「手つき」そのものである。「この歌、韻を踏んでてリズムが綺麗でしょう?」とアピールしてくるのは、この「私⓪」(制作者)とでも言うべき人物と考えるべきだろう。
 鈴木の言う「単に作者の「うまさ」を読者にひけらかすための手段へと成り下がっ」た短歌とは、「私⓪=私①」が成り立っていない「私⓪≠私①」の短歌のことであり、そこでは制作者の顔が悪目立ちする。だから本来なら避けられるべきことなのだけれど、谷川は山階歌を「私⓪≠私①」とみなしたまま、その歌を特別に肯定している。
谷川の読みはつまり、「私⓪」という存在を、「私①」とはけして同化しない存在として並列に扱い、それぞれ別個に「私③」とつなげて読んでいるのだろう。そして最後に一文で「作者が主体よりも強くその無邪気さに焦がれている」と言って、別々に「私③」と結び付けられた「私⓪」と「私③」を引き合わせている。
第一段階:「私⓪≠私①」
第二段階:「私⓪=私③」&「私①=私③」
第三段階「私⓪>私①」
という読みだ。おそらくこれまでにない歌の読み方だろう。ここから谷川由里子という評者の個性に迫ってみたい気もするが、しかし今はそれよりも先に考えないといけないことがある。



上述の議論が必然に生む問いがある。「私③」からの「私⓪」の切り離しは、「私③」という概念自体の変質をも意味するのでないか。「私⓪」と区別した「私③」とは果たして何か。「私⓪」と「私③」はどのような関係に位置づけられるのか、という問いだ。
 
画像は、絵の具や画布といった現実的な支持体と、非現実的な絵の中の世界すなわち、像世界、という二つの層とが一つになったものであり、そのことによって、例えばわれわれのいる部屋という現実世界に、非現実の世界が開かれる。 森田亜紀

森田亜紀は『芸術の中動態』において、ドイツの哲学者オイゲン・フィンクの論文を参照しながら、このように語る。ここでの「画像」という語は、絵画のようなものが想定されていると思われるが、森田の著作は「芸術」のジャンルを限定していない。だからここでの「画像」もある程度広く捉えてよいだろう。短歌も「現実的な支持体」(言葉そのもの)と、そこから読者によって感じ取られる「像世界」(内容、つまり景や意味やイメージ)によって成り立っていることは間違いないのだから。
この理解において「私⓪」(制作者)はどの位置にいるだろう。制作者は「像世界」つまり内容に直接働きかけることはできない。それは「現実的な支持体」つまり言葉を介することによってしか不可能なことだ。一首の短歌に悲しみの印象をもたらしたければ、悲しみを呼び起こすような語を一首の中で用いるしかない。では「私③」はどこにいるのか。

表現したい内容であれ、つくるべき作品の構想であれ、作者の意図であれ、あらかじめ何かがあったわけではない。しかし作品は、そういう何かの実現(reslisation)として成立している。精神的意味的なものが物質的感覚的形象に表されている。つくり手はそこから遡り、そこに見て取られる意味内容や構想や意図などを、日付を遡らせて自分のものとする。     つくり手には、それがもともと自分のもっていたものだったと思える。 同

 森田は、今度はフランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティをもとに語る。作品を作るということは、あらかじめ「伝えたいこと」があって、それを現に伝えるということではない。作品が完成された時に結果としてその作品が有している「伝えたいこと」を、「これが自分の伝えたかったことなのだ」と思い、それを自分のものとして引き受けるのである。この時に制作者は作者となる。そのようなメカニズムが作品作りには存在するのだと森田は言う。これを便宜上メカニズムAとする。
メカニズムAは短歌においても生じる。一首や連作は、「あらかじめこうしよう」と思って、その思い通りに設計されるものではない。もしそんなものだとしたら、当初の思いの強さだけが勝負になってしまう。そんな単なる思い合戦が千年以上も残るはずがない。本論の一章で引いた「客観視できるやうな悲歎なら始めから高の知れたものだし、主観の高揚をそのまま感動には変へ得ぬ」という塚本の言葉をもう一度引用してもよい。
また短歌においてはある原則がある。今ではどれだけ守られているかわからないが、けれどそれがあること自体はいまだ忘れ去られずにいる「書かれたことは実体験である」という原則である。その原則の次元においても、同様のメカニズムは恐らく働くことであろう。そちらはメカニズムBと呼ぼう。
メカニズムBの例を挙げる。原則に全く忠実な人間が、たとえばある体験をもとに、十首の連作を作るとする。完全に体験そのままということはまずあるまい。体験を言葉に落とし込み、それを定型にあてはめる際に、体験はおのずと変容する。言葉にするとは、短歌にするとはそういうことだ。どれだけ似せて作ろうが、似せきれない部分を詞書で補おうが、生の現実をそのまま短歌にすることは原理的に不可能である。そもそも「似ている」ことは「異なること」を意味する(これは評においての、塚本邦雄の「不安」とも同じ構造をしている)。だからできあがった十首の連作は、自身の体験ではありえない。その「私」のものではない体験を「「私」の体験である」と判断するのが、原則に忠実な人間にとっては「短歌の作者になること」なのである(だから短歌には原理的に虚構が内包されている)。これがメカニズムBである。
ここには二人、いや三人の「私」がいる。
一:「現実の体験の中の「私」」
二:「作品の体験の中の「私」」
三:「「現実の体験の中の「私」」を「作品の体験の中の「私」」であると判断する私」
 この内の三の「私」が「私⓪」である。そして二の「私」こそが「私③」である。一の私は「語りえぬもの」である。大辻の議論は読者から見た「私」についてのものである。現在のこの議論はそれを制作者から見た「私」の側から検討しているから、一は大辻の議論の範疇を超えている。このことは大辻自身もはっきりと書いている。生身の「作者」は読者には分からない。したがって、レベル③の「私」は、正確には「読者が想像しているところの『作者』と思しい人物」としか、言い得ないものである。
「私⓪」は制作を行い、その完成に立ち会う。完成された時、「私⓪」は作品の最初の読者となる。そしてその作品の背後にいる「私」のさらに背後にいる作者の「私」を、「「私」である」と判断するのだ。



もちろんそれはメカニズムBの原則に忠実な人間に限った話である。そうでない人間は「三において一と二を結びつける」ということをしない。これが前衛短歌のケースである。大辻はこのケースを「私①=私②≠私③」と表したが、これは「私⓪≠私③」(※)で表されるべきケースなのである。
けれど前衛短歌においてこの切断は完全なものではない。なぜなら前衛短歌の作者が、作品の作者であることを放棄していないからだ。そう、前衛短歌の作者はメカニズムBこそ否定するかも知れないが、メカニズムAはしっかりと受け入れているのだ。

歌:園丁は薔薇の沐浴のすむまでを蝶につきまとはれつつ待てり 塚本邦雄

評:園丁とは、すなわち塚本邦雄その人にほかなりません。 菱川善夫

歌:少しでもきつくないように鶏のあし括りやるすすんで妹は 平井弘

評:この「妹」は、もちろん作品のなかで創られた妹ですが、妹を通して、女は戦争に対する良心の代名詞だ、という通念に対して、平井弘は、はっきりと異議と唱えております。 菱川善夫

菱川善夫の「塚本邦雄『水葬物語』全講義」と「遅れ方の課題――平井弘と大江健三郎」からそれぞれ歌と評を引いた。どちらにおいても菱川は作品に対し、「隠喩を読み取る」というかたちで、作品から作者を読み取っている。
ここから言えるのは、近代短歌から前衛短歌への転換とは、読者論的に見るならば、実はメトニミー(換喩)からメタファー(隠喩)への転換なのではないだろうか、ということだ。近代短歌の読みとは大辻的に見るならば、部分と全体の関係である。一首の「作中主体」(「私①」)を、連作や歌集中の「私像」(「私②」)の断片であるとみなし、その「私像」もまた「生身の作者」(「私③」)の一面であるとみなすものである。
それに対し前衛短歌においては、作中の人物や作中に登場するモチーフは「作者」の何らかの思想や心情その他のメタファーである、とみなされる。それは「私⓪≠私③」の壁を、作品を手掛かりに(「私①」や「私②」を参照しながら)直接乗り越えようとするものだ。
作者の次元において、確かに前衛短歌は作品から「私」を除外したものかも知れない。けれど読者の次元においては、むしろ「私」は濃厚になってしまうことがある。なぜなら作品の中の「私」ではないものも、読者の読みのよって「私」にされてしまいかねないからだ。
「作者」がどれだけ「私」を隠そうとしても、読者はそれを執拗に暴き立ててしまう。もちろん「ここには「私」がいない」と容易に諦める読者もいるが、菱川善夫のように優れた追跡者もいる。そしてこのような追跡者は、自らの狩猟の成果を「評論」のかたちで他の読者に発信してしまう。だからこれは「作者」の問題ではなく、読者の読みの側の問題なのだ。
読者が変わらない限り、「作者」はこの逃走からは逃げ切れない。


※:この「私⓪≠私③」の「≠」と、谷川の「一首評」への言及で見た「私⓪≠私①」の「≠」は、言うまでもなく同じ意味ではない。そもそも元になった大辻の議論に登場する「物語読み」(詳しくは大辻の著作を参照のこと)における「=」も、他の読みにおける「=」と同じ意味ではないだろう。「私」と「私」の関係は「=」と「≠」だけで表すことが可能なほど単純なものではない。けれどその複雑さをすべて記述することも、場合によっては無用な混乱を招くことになりかねない。当の大辻自身、「三つの私①~③」(『近代短歌の範型』)という私の読者論の論理モデルは、汎用性がある便利な論理モデルなのだろう。が、汎用性がある、ということは精緻さに欠けるということでもある。まあ、「たたき台」程度のものとして、読者論の論考にお使いいただければ、と思いますとツイッター上で発言している。大辻の「三つの「私」」は、大辻の問題を考える上でさしあたり用意された便利なものさしなのだ。だから私の「四つの「私」」も大辻の概念について異議を唱えたり、その更新をはかったりするものではない。単にそのものさしを自分の問題にあわせてカスタマイズしたというだけのことである。




四章:「読み」以前



短歌における<私性>というものは、作品の背後に一人の人の――そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです。岡井隆
『現代短歌入門』から引いた非常に高名な文章である。近代短歌の読みも前衛短歌の読みも、どちらも「一人の人物」に向かうことには変わりないというのだ。けれどこの岡井のテーゼは本当に絶対的な真理だろうか。岡井の言う「一人の人物」抜きで「表現として自立」することは本当に不可能なのか。
この文章は『現代短歌入門』の第十一章「私文学としての短歌」AとBという二人の人物の(恐らくは架空の)対談の中で、Aという人物の発話として現れる。もちろんAは岡井の分身であろうし、岡井の意見であることは前後の文脈から考えても間違いないわけだが、岡井自身の言葉ではないのである。岡井自身このテーゼが相対化される可能性は、頭のどこかにあったのではないだろうか。そんなことを想像してしまうのは、ある若い歌人が書いたこんな文章があるからである。

「言葉はそれだけで存在する」ということを、私は馬鹿の一つ覚えのように本気で信じている。歌はできた瞬間に私を離れ、言葉として自ら思考し意味をなす。作者としての私は、その営みにまるで関係がないし、入り込む余地がない。 望月裕二郎

歌集『あそこ』の「あとがき」から。望月の言っていることはつまり「私はメカニズムAを受け入れない」ということだ。もちろん完全に受け入れていないわけではない。そうであれば歌集に自分の名前を記すことすら耐え難いだろう。だから付け入る隙がないわけではない。けれど、私と作品は別なのだから、そこに「私」を読み取っても無駄だ、というメッセージ自体を発信していることには変わりない。
もしかしたら、一首の短歌に命を吹き込むのは、作品の背後に見える「一人の人物」(「私」ないし「私」を反映した人物)ではない。言葉自身が命を持っているのだ、ということも言っているのかも知れない。そうだとしたらすごいことだ。「一人の人」なしで「表現として自立」することができると言っていることになるからである。
もちろん彼がそのように主張するだけではだめなのだ。それは「作者」の側の主張にすぎないのだから。それは読者の読みを変化させる決定打とはなりえない。けれど、あるのだ。濱田友郎というさらに若い歌人が書く「「それだけで存在する」こと」という評論が。本論では評論中の濱田の「一首評」を取り上げたい。



ひがしからひがしにながれる風に沿い右目をあずけたのは鳥だった 望月裕二郎

あらゆるポイントで従来の読みが通用しない、すなわち「実際に見た鳥なのか、象徴的な鳥なのか」云々の読みを受け付けずとあり、この抽象度の高さにもかかわらず、「風」「鳥」の持つ詩的な美しさを損なわず、かつ「ひがし」「右」といった方向や位置の指定には、なにか新しいタイプの事実がそこにあるような説得力がありと続く。具体的な状況はつかめないまでも、一般的なことばのままでストーリーのようなものがうっすら暗示され、結果的に読者の読みはしらべや言葉の手触りにもっとも集中する。ことばそのものにフォーカスがあたるというのが読みの結論だ。
驚くほど何も解明されない評である。むしろ不用意な解明を拒んでいる評である。「ことばそのものにフォーカスがあたる
」という一文はこう言っているようにも見える。「ことばを見よ」と。それは佐藤佐太郎の「歌を見よ」にも近いかも知れないが、そちらが「敢えて語らない」だったのに対し、こちらは「語ろうにも語れない」だ。濱田はそのような読みの八方ふさがりの状況を提示することで、読みが成立せずとも短歌を味わうことが可能であることを証明しようとしている。
思えば、歌人は歌を「読む」ということに慣れ過ぎているのかも知れない。ここでの「読む」とは文字通り、上から下に読み下すことではなく、そこに解釈を施すことだ。すなわち「私①」を作中の背後にいる人物を読み取り、一首の歌を「その人物の認識する景やイメージである」として捉えなおす行為だ。確かにそのような捉えなおしを経ることで、深みや旨みが増幅する歌は多くあるだろう。けれどそればかりをしていると、それが通用しない歌を、ただ「分からない」と一蹴することになるのではないか。
「ひがしからにしに」ではなく、「ひがしからひがしに」と一つの方向にのみフォーカスしている。「右目をあずける」、これは風にあずけるのではなく、あくまで風に沿って、あずけるのだ。「右目をあずける」というフレーズの象徴性がひたすら高まる。全体としては何も解明しない濱田の「一首評」は、作中の視点のことや語の象徴性については細かく触れている。
けれどそのことを何とも結びつけようとしない。つまり「私①」に還元することもないし、「私⓪」の制作者の手つきをそこに見ようともしない。普通なら作中主体の○○のような状況や心情を反映していると言ったり、作者の○○と思わせたいという意図が隠れているなどと言ったりするのではないか。「だからどうなのか」を濱田は言っていない。「ただそうなのだ」と言っている。彼は「ことばそのもの」を見ているのだ。そして「ことば」自身の持つ(けして背後の作中主体に由来するのではない)強度について語っている。
 この歌の主体を確定しようと議論をしても大して成果は得られないだろうというのは、他の望月歌への評だが、この何気なく使われている「成果」という一語は注目に値する。批評とは何らかの「成果」を目的とするのだ、という価値観がそこに透けて見える。


 3
 書評とは書物を対象にして公正な作品を作ることだ、といってよさそうな気がする。もうすこし注釈を付けくわえれば、公正なということが作品を作ることであるような作品をつくることだ。吉本隆明

 書評と批評は同じではない。けれど以下の文があるためにこれを引いた。書評はときとして批評がやる懺悔(ざんげ)のようなものではないかということだ。/書評にこころが動くのは、殺傷したり、切り裂いたりせずに批評をやってみたい、という無償の均衡の願望のような気がする。
 ここから批評について分かることは、①吉本の言う「書評」は批評の一形態であること。②その「書評」とは「殺傷したり、切り裂いたり」しない批評であること③つまり批評とは基本的に「殺傷したり、切り裂いたり」する行為であること。そして恐らく➃批評とは、対象に必ずしも公正とはいえない作品を作ることであること。
 批評とは「作品」なのだ。そしてそれは対象を傷つけることによって作られるものである。傷つけるというのは批判するということではなさそうだ。ところで実際にわたし自身がやっている書評は、公正なということが作品を作るところまでいくまえに、努力や労力を惜しんで途中で目をつぶったままの裁断を繰りこんでおわってしまっているという文章は感覚的で真意がつかみづらいが、おそらくこの「目をつぶったままの裁断」というのは、「書評」の書き手の独自解釈による断定ということを言っているのではないかと思う。そしてこの「裁断」と「殺傷したり、切り裂いたり」はおそらく同様のことを言っている。
 短歌の批評において、独自解釈を含まないことはほぼ不可能に近い。背後に作中主体がいる、ということさえ独自解釈と言える。それは共同体によってしばしば「公式」な「読み」とされているものかも知れないが、もとをたどればそれも誰かの「読み」である。
独自解釈は元の短歌を傷つける。壁に一度大きな傷をつけてしまえばその傷を見ずに壁を見ることができなくなるように、ある歌に対して非常に有効な「読み」を示した場合、その「読み」を知ったものは「読み」を意識せずにその歌を読むことは不可能に近くなる。一章の穂村弘の部分で書いた「その評の存在なしに私がこういう風に歌を読めたかどうかは非常にあやしい」はその裏返しだ。
それに何よりもその「読み」を成した者自身が、その「読み」に囚われる。一人の人間の「読み」は、いつどこで読んでも同じというわけではないだろう。読むたびに印象は変わるはずである。けれど「読み」を言葉にした時点で、それはある程度固着する。新しく読む際もたいていの状況では、過去の自分自身の言葉がどうしようにもなく頭をよぎってしまうからだ。そのような意味で批評は短歌に対して不可逆な効力をもたらすものである。
 ならばなぜ人はそのような不可逆な殺傷をもたらすのか。それが元の短歌に対して有効に働くと思うからか。それもあるだろう。けれど別の考えもできる。これはほとんど仮説とも言えない邪推のようなものに過ぎないが、先に引いた岡井の文章、「そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです」は以下のように読み替えられるのではないか。
「そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、短歌の「読み」(あるいは批評)は、表現として自立できないのです」と(※)。
 つまり作品の背後に「私①」を想定し、さらに背後に「私②」「私③」を見出していくことは、短歌の「読み」や批評にとって都合がよいのだ。そのような人物を想定することによって、歌は読み解きやすく、語りやすいものになる。そうなれば歌を取り巻く言説が作られやすくなる。いわゆる「歌壇」のような短歌の共同体の存在は、このような言説の流通が生み出すものだろう。


※:岡井のテーゼには別の相対化の方法も考えられる。「一人の人物を予想」することは、短歌をそれ自体より大きなものとしてみなすことである。大辻の『近代短歌の範型』にも岡井隆の「一人の人物の顔」も、直接的には、このレベル②の「私」=「私像」のことを指していると思われるという言葉があるから、少なくとも連作レベルの大きさがないと短歌が自立できないことが示されている(ただし岡井は「一首が連作に従属する」ということは述べていない)。岡井のテーゼには大きさへの志向があるように思える。その志向には多分に時代的なものが含まれているような気がする(たとえば、いわゆる第二芸術論への反駁のような)。
けれど短歌の魅力をその短さ、三十一音で完結していることに見出すこともできる。大辻は「刹那読み」という「読み」を提示している。この「読み」をする読者は「作中主体」の奇矯な発言や特異な行動に心奪われる。彼らにとっては、一首の歌を読んだ刹那に感じる衝撃力だけが重要であり、「私像」や「作者」には興味を持たないとのことだが、大辻のこの「読み」は、厳密には真に「刹那」とは言えない。「作中主体」の存在を前提としている時点で、「刹那」ではないからだ。私が短歌を始めるきっかけとなった短歌の内の一首である世界樹の繁りゆく見ゆ さんさんと太陽風吹く死後の地球に(井辻朱美『水族』)には、ただヴィジョンだけがある。ヴィジョンを見ている人物を想定する読みもできなくはないがそのような「読み」は、「ヴィジョンだけがある」という「読み」に強度の点で敵わない。ここには宇宙的な規模の景がわずか三十一音に凝縮されているという感動がある。大辻のものを「刹那読み」とするならこれは、それよりも小さい時の単位「六徳読み」や「虚空読み」とでも呼びうるだろう、もっと単純に「ヴィジョン読み」でもよいと思う。だから「三十一音が見せるヴィジョンそのものによって短歌は自立することができる」というテーゼを、岡井のテーゼに対立させることもできるのだ。誤解がないように述べておくが、私は岡井のテーゼを批判しているのではない。それは絶対的なものではなく、ある程度は相対的なものである、ということを言いたいだけである。


 4
 いま村をだれも走っていないことそれだけのおそろしく確かな 平井弘

 初読から何年も経つがいまだに怖い。怖さを産み出している機構を言いあてられないからだ。個人誌『ZAORIKU』VOL.4に収録された安田直彦の「平井弘作品 的 私 読解」は、平井弘作品二五首に対する「一首評」集である。こちらはその五つ目の「一首評」である。この評の特徴は、作中主体や背後の「私」のようなものを前提とせずに語っていることだ。七つ目の評には「主体」の語が登場するから安田自身がそのような語を用いないわけではない。この歌が安田に用いることを避けさせたのだろう。
 私はこれを、誰も走っていないと確信できるほどの静けさとして読んだとあるが、誰が「確信」しているのだろう。作中主体ではないのか。けれどそこには言及しない。
 くわえて「それだけの」と「確かな」がある。これらふたつは状況を限定し、固定させる語である。ゆえに、ここはうまく言葉にできないのだが、どちらも歌を制動しているようなのだ。震えを止め、歌は静まるとある本当に「うまく言葉にできない」のだろうか。たとえばここに作中主体の心理を読み取ることができないだろうか。この韻律には作中主体の「怖い」という心理が反映されているのではないだろうか。けれど安田はそうは読まない。
この、歌そのものが死体になっていくような恐怖がいまも拭えないと書く安田が表現しようとしているのは、「作中主体の恐怖」ではなく、安田自身の「読み手自身の恐怖」なのだ。この二つを読み換えることはたやすい。「読み手自身の恐怖」を「作中主体の恐怖」に転移させてしまえば、そこからいくらでも論を展開できる。この歌は読み解こうと思えば、いくらでも読み解けるはずなのだ。読み解けば、その過程で「恐怖」は解体されて解消される。けれどそれをすることは本位ではないのだ。
安田は、自らの恐怖をやすやすと手放さないために、作中主体を想定しないことを、作品を読み解かないことを選んだ。どこか歯切れの悪いこの「一首評」は、そのような選択のもとに成り立っているように思える。



つまり「評論」とは平たく言えば、「読む事」である。短歌の世界で「読み」を軽視する人はいないだろう。三宅勇介

再び「短歌評論の意義について」から。確かにそうかも知れない。けれどその「読み」よりも以前に読む行為があるだろう。作品の文字列と読者のまなざしとが交差する瞬間が。「読み」以前の読む行為においては、読者と作品だけがある。その二者関係は、次の段階である「読み」において背後の「私」が出現することにより、三者関係に組み直される(「読み」を言葉にすれば、評の読者が生じて四者関係になるだろうか)。私と作品とのかかわりは作中主体という第三者を通した間接的なものとなる。
短歌の「読み」とは、「批評」とは、「評論」とは、そのような不可逆性を伴う、作品を傷つける編集行為なのだ。だからといって「読み」を「批評」を「評論」を糾弾するわけでも否定するわけでもないが、それらにそのような性質が含まれていることは忘れずにいたいと思う。




おわりに


 三章において私は「「読み」以前の読む行為においては、読者と作品だけがある」と書いた。けれどこれは厳密な認識ではないかも知れない。

 まず表情が見えてくる――表情には「私がものを見る」という図式、私とものとの二項から知覚を捉える図式にした場合の、(見られる)事物や世界を、その実在性や意味を含めて成り立たせる成分と、(見る)私が私としてあること、こういうかたちや構えであることを成り立たせる成分とが融合しているのではないか。表情の知覚、表情の体験の中から、(見られる)事物や世界と(それを見る)私とが分離してくるのではないか。森田亜紀
 
 再び『芸術の中動態』から。ここではドイツのユダヤ系哲学者エルンスト・カッシーラの論をもとに、表情体験の根源性が述べられている。まず表情がある。そこからその表情を持った対象と、その表情を認識する私が分離し、そこで初めて「私が対象を見る」が成立するという議論である。表情とは何か。
「青々とした」空「蒼さめて冷ややか」な影、「あわたゞしく起き上が」る落ち葉、「ざわざわざわつ」く林……。(略)表情は、われわれが日常出会うすべてのものの表情にまで広げて考えることが可能であろう。(略)視覚にとどまらず、聴覚や触角なども含んだ知覚一般の領域にわたっていると思われる。それは印象という語に近いかも知れない。けれど「私の印象」という風に私に所有されるものではない。それは私に先立ってある印象であり、そこから「印象を持つ私」が生まれてくるような、そんな印象である。それは私以前であり、、私を超えている。
短歌の「読み」は読者が創造するものかも知れないが、短歌を読んだ時の印象は読者のそんな賢しらな能動性の支配下にはない。かといって純粋に受動的な体験でもない(※)。Aという短歌に感動するということは、「感動」という現象であると同時に、「Aという短歌に感動した私」を生成する力のはたらきそのものでもあるのである。

われの生まれる前のひかりが雪に差す七つの冬が君にはありき 大森静佳

短歌を読んでいる時。
その文字列が発するメッセージを読み取ろうと、目を凝らしている時。
その時にだけ見えるひかりがある。
あのひかりは何だったのだろう。
歌をまだ読めていない時に感じたあの雪の照り返しの美しさ。
今この時に見る「ひかり」も確かに美しいが、あの時のひかりと比べればすでに精彩を欠いている。

これは私の文章だ。大森のこの歌にはひかりの表情があった。それが失われて「ひかりを見た私」と「ひかりを宿していた短歌」が残った。その喪失体験についてこの文章は書いている。
君はわたしの知らない冬を七つも知っている。その冬にもまた雪は降り、ひかりによって照り輝いていたのだろう。わたしにはそれが見える。わたしには君が遠い。君はわたしのそばにいるのに、七つの冬を隔てた場所にいて、わたしは永遠に君まで辿り着けない。でも、その隔たりが、その暗がりがなぜか不思議にひかっている。ああそうか、それは雪に差すひかりなんだ。
ああ、これはどうしようもなく解釈なのだ。
あるいは美しい解釈なのかも知れない。
けれど、解釈の意味性に着地してしまった今、その解釈をベースとしてしか、イメージを感受することができなくなっている。
ひかりはもはや意味に飼い馴らされてしまった。
良い歌ではあると思う。
けれどもう良い歌でしかないものにされてしまっている。

ある歌を「良い歌だ」と言うとする。そう口にするものの内に、その「良さ」は残存しているだろうか。その「良さ」は、「良い歌だと認識する私」と「良い歌だと認識される歌」に分化してしまったのではないだろうか。
批評の始まりとは、ある意味で短歌の終わりだ。すべての批評は失われたものに向けて書かれる。だからすべての批評にはどこか弔いの性質があるように思う。塚本邦雄の「不安」とは、喪われたものをこの手で取り戻そうとする執念が、けれどあと一歩のところで届かないことによって生じるものではないだろうか。
また菱川善夫の「ひかりになること」への志向は、もはや取り返せないという諦めのもとに始まるものではないだろうか。月を指すには指が必要である。だが、その指を月と思う者はわざわいなるかな(鈴木大拙)。月になれないことを自覚した上で、指であることに徹する(引用した禅の話とは「月」の意味が異なるが)。それぞれにそれぞれのスタンスがあり、それぞれのスタイルがある。それはそれぞれに肯定されてよいだろう。
そして、それならば何も語らないという立場もあっていいだろう、と思うのである。
 私は、歌会が好きである。
 歌会は、作者が目の前にいるところがいい。そしてその目の前にいる作者たちの最新作を、自分の最新作一首と引き換えに読むことができるのが素晴らしい。私の渾身の一首が彼らの短歌が紙のなかで互いに、こう、立ち向かう。
谷川由里子
 再び三章で引用した「感覚の逆襲」より。短歌をはじめた頃は歌会が楽しくて歌会にばかり行っていた(それこそ多い時は三日に一回ほど)私は歌会で育ったようなものだから、この意見にとても共感するのだけれど、時々、歌会がとても嫌になることがある。その嫌さは多く「他人の歌に批評をしたくない」というかたちを取る。なぜしたくないかと言えば、評の言葉が嘘くさく思えてしまうからだ。
歌会での言葉は他の参加者に向けて語るものだから、語りはどうしても聞き手を意識したものとなる。できるだけ体感にそった評をしたいと思っていても、本当に体感そのままは語りえないし、何とか語ろうとすれば意味不明の言葉になる。それにいわゆる「よい評」をしてよく思われたいというような不純な気持ちもおのずと混じる。そんな上っ面の「よい評」を切実な口調に乗せて、あたかも本心であるかのように語れたりすると気持ちがよいが、それは体感を裏切る行為であり、同時に自分の中に毒がたまっていくような気がしてしまう。またコンディションによっては他人の評がすべてそんな薄っぺらなパフォーマンスにしか聞こえないこともある。
それでも歌会はしたいから、時にはそんな風に毒がたまることのない歌会、ただ黙して歌を読み合うだけの会もあっていいと思う。みなで「読んだ」という体験だけを分かち合う会。今考えているのはそういうことだ。
 語ることは体験や認識や印象を一つの方向へ導き、一つのかたちに結晶化させる。沈黙のままにとどめておけば、それらは結晶化することなくたゆたいつづけるのではないか。そのような沈黙の可能性を今私は追及してみたいと思っている。
 

※だから森田は中動態という語を用いるわけである。といっても中動態は能動態と受動態の中間という意味ではない。中動態についての説明は本論の範疇を超えているので、ここでは省略する。なお森田の著作は中動態という概念を、あくまで芸術の受容/制作体験を説明するための道具として用いているようなところがあり、中動態そのものの理解としては國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』をすすめる。
 



引用文献一覧
三宅勇介,「短歌評論の意義について」,『短歌研究』二〇一七年七月号,短歌研究社.
佐藤佐太郎,『茂吉秀歌(上)』,一九七八年,岩波書店.
塚本邦雄,『茂吉秀歌『赤光』百首』,一九九三年,講談社.
京極夏彦,『底本 百鬼夜行 陽』二〇一三年,文藝春秋.
ベルクソン,真方敬道・訳,『創造的進化』,一九七九年,岩波書店.
穂村弘,「歌の翼に」,(80年代の歌第4回),『短歌ヴァーサス』No.004,二〇〇四年,風媒社.
瀬戸夏子,「穂村弘という短歌史」,『町』2号,二〇〇九年,個人発行.
菱川善夫「歌の海」,『歌の海――現代秀歌抄』(菱川善夫著作集1),二〇〇五年,沖積舎.
    「物のある歌」,同書.
    「塚本邦雄の生誕」(「塚本邦雄『水葬物語』全講義」)『塚本邦雄の生誕――水葬物語全講義』(菱川善夫著作集2),二〇〇六年,沖積舎.
    「遅れ方の課題――平井弘と大江健三郎」,『千年の射程――現代文学論』(菱川善夫著作集9),二〇一一年,沖積舎.
三上春海・鈴木ちはね・寺井龍哉・石井僚一,『誰にもわからない短歌入門』,二〇一五年,稀風社.
阿波野巧也,「十月のこと(日記)」,『毎日の環境学』,二〇一七年,個人発行.
谷川由里子,「感覚の逆襲」『SHE LOVES THE ROUTER』,二〇一七年,個人発行.
大辻隆弘,『近代短歌の範型』,二〇一五年,六花書林.
森田亜紀,『芸術の中動態』,二〇一三年,萌書房.
岡井隆,『現代短歌入門』,一九九七年,講談社.
望月裕二郎,『あそこ』,二〇一三年,書肆侃侃房.
濱田友郎,「「それだけで存在する」こと」,『京大短歌』22号,二〇一五年,京大短歌会.
吉本隆明,『読書の方法 なにを、どう読むか』,二〇〇一年,光文社.
井辻朱美,『水族』(井辻朱美,『井辻朱美歌集』,二〇〇一年、沖積舎.)
安田直彦,「平井弘作品 的 私 読解」,『ZAORIKU』VOL.4,二〇一七年,個人発行.
 鈴木大拙,工藤澄子・訳,『禅』,一九八七年,筑摩書房.

引用URL一覧
otsuji28(大辻隆弘),「Twiiteer」内,二〇一七年七月二十九日二三時五九分の投稿.
https://twitter.com/otsuji28
(最終閲覧二〇一七年十二月二十四日)

吉岡太朗,「一首評の記録」,(「京大短歌」サイト内) .
http://www.kyoudai-tanka.com/cgi-bin/review_show.rb?index=99
(最終閲覧二〇一七年十二月二十四日)
 
※なお引用した文中には、今日の観点からは差別的とみなされうる表現が含まれているが、論旨の都合上省くことのできない部分であり、原文のまま引用した。



第131回 批評にとって短歌とはなにか /前編  吉岡太朗

2018-01-05 10:06:47 | 短歌時評
 はじめに
 一章:塚本邦雄の「不安」
 二章:菱川善夫と「ひかりになること」
 三章:「作者」の逃走
 四章:「読み」以前
 おわりに

 はじめに
 三宅勇介は、二〇一七年七月の『短歌研究』誌の特集「わが評論賞のころ、あるいは短歌評論の意義について」の「短歌評論の意義について」という小論において、ある短歌を読んで、心の中で「この歌は好きだなあ。なぜなら……」と思ったとする。それがもうすでに評論なのである。いわゆる少し長めの「評論」というものはその延長にあるにすぎないと書いている。
 しかし私にとって、その「評論」のようなものはそんな風に生まれては来なかった。まず「なぜなら」を考え、そこから自然に「評論」の言葉が芽生えてくるなどという状況は存在しなかった。それよりも先に「批評をせよ」と要求する場があったのだ。たとえば「歌会」のような場が私にそれを行わせるような強制力を働かせた。「批評をしたい」という思いよりも、目の前の歌に対して「批評をする」ことの方が先だった。当然「なぜ批評をするのか」とか「批評とはそもそも何か」という問いも後回しにされた。
 ここに書かれようとしているのは、批評についての文章である。具体的には一首の短歌に向けられたそれ、現代において一般的に「一首評」と呼ばれるものについて書くつもりだ。たとえば佐藤佐太郎や塚本邦雄、菱川善夫などの書き手が書いたその文章を眺め、時に比較しながら、「一首評」というものについての考察を行っていく。それは、批評は短歌をどのようなものとみなすか、「批評にとって短歌とはなにか」という問いだが、その問いは大きなところでは、「なぜ」や「そもそも」に向けられている。「なぜ」「そもそも」、それは「短歌にとって批評とは何か」という問いである。
はじめて歌会というものに参加し、「評をする」ということに出会ったのは、二〇〇六年の五月のことである。それから十年を超える月日が流れた。私はずっと後回しにしてきた問いに立ち向かおうとしている。




 一章:塚本邦雄の「不安」


 1
 佐藤佐太郎はふつう「佐太郎」と呼ばれることが多いが、ここでは「佐藤」と書く。あの佐藤佐太郎ではなく、一人の「一首評」の書き手としてみなしたいからである(「ここで書く佐藤佐太郎は、短歌史に登場するあの佐藤佐太郎ではない」というつもりで私はこの文章を書くつもりである)。一方の塚本邦雄は「塚本」と呼ぶのが一般的なのでそのまま「塚本」と書く。ちなみに二人は揃って斎藤茂吉のことを「茂吉」と呼んでいるが、ここでは「斎藤茂吉」と書いた。あまり作者に出てきてもらう機会はないから、それでもよいと思ったのである。
 この章では佐藤と塚本がそれぞれ書く二つ『茂吉秀歌』の中から、一首を選んでその書かれ方の違いを検討する。
 
 ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)えかねたるわが道くらし 斎藤茂吉『赤光』

 『茂吉秀歌(上巻)』において、佐藤はまず大正二年「悲報来」の一首と出典を記している。そのあとに歌の背景を以下のように説明する。(略)伊藤左千夫が歿し(略)知らせを受けた作者が(略)島木赤彦宅へ行く時の歌である。
 続いて焦燥の気持ち、ひたむきな強烈さと歌の特徴を抽出し、それを「赤光」の歌境のひとつと歌集中に位置づけている。
 「わが道暗し」は、作者の行く夜半の道であるが、おのずから人間的な感慨が参加しているだろうは上句への言及。「人間的な感慨」はあまり聞き慣れない言い方だが、おおよそは「主観的」くらいの意味で取ればよいだろう。言うまでもなく「明るい/暗い」は主観的表現だし、「し」には書き手がそう判断したのだというニュアンスが含まれている。
 歌は、単にせっぱつまったという気持ち以上の混乱をふくんでいる。続く文章で「歌は」とあるのは上句への言及からいったん全体視へ戻るということだろう。ただし「人間的な感慨」に焦点は当たったままで、「せっぱつまったという気持ち以上の混乱」は「人間的な感慨」のより具体例と取れる。ただそのように言われると具体的にどの部分にそのような「混乱」が表れているのかが知りたくなる。当然読む方としては次のセンテンスでその根拠が示されていると思うわけだが、当のセンテンスがそうなっているかは微妙なところである。
 特に「怺(こら)えかねたる」から「わが道くらし」とつづけた下句は切実でよい。「特に」と言っておきながら、ここでは話が「混乱」から「切実」にすり替わっている。しかもなぜ「切実」なのかについても語っていない。けれど、おのずと納得させられるものがある。
歌に目を戻すと、「わが道暗し」と「わが道くらし」のリフレインがあるからである。確かに混乱して同じ言葉や動作を繰り返すようなことはある気がする。そう考えると確かに「混乱」だ。佐藤はそんなことは一言も言っていないけれど。
 一方の塚本はそのさだかならぬ道を(略)駈けねばならぬ心が「暗し」「くらし」と繰返させたという風にリフレインに言及している。塚本には「混乱」の語は用いられておらず、歌から読み取っている心理は両者微妙に異なるのだろうと思うが、塚本を読む限りではこの歌の核となるのは、このリフレインにあるのである。佐藤はそれに気づいていなかったのだろうか。当然そんなことはあるまい。
 ここで佐藤の方の『茂吉秀歌』の「序」を振り返ってみると大切な歌について註を加えていってという言葉がある。佐藤の認識では彼のこの「一首評」は「註」なのである。「註」であるなら歌の方が主体なのであって、歌がはっきりと示している部分については「註」の方でわざわざ何か言う必要はない。「歌を見よ」と一言言えばそれで済むのである。むしろ歌に余計なひと言を付け加えてしまうことや、歌を評の言葉で機械のように分解してしまうことを懸念しているようにも見える。とはいえ懸念に囚われて何も言えないような評ではないことは先に言っておく。
「ひた走る」の歌への言及に戻ろう。「下句は切実でよい。」の続きはこうなっている。「しんしんと」の用法も微妙で、「死に近き母に添寝の」の歌と同じように、一首に暈(うん)のようなものが添っている。
「ひた走る」への評は佐藤版『茂吉秀歌』の三四ページにある。ここで再びページをさかのぼって二六ページからの「死に近き」の歌についての評を見ると「しんしん」とは、作者慣用の語だが、この歌では上句にも下句にも連続するように受け取れると書いてある。だから佐藤が「微妙」をどういう意味で用いているのかは、一応示されていることになるが、「微妙」(文脈上おそらく肯定的なニュアンスに取れる)と書いたこの「用法」が、なぜよいのかまでは書いていない。そこまで書かなくても、「よいからよいのだ」と言っているように思える。そしてそのよさを「暈のようなもの」という卓抜した比喩によって言い表している。
佐藤の「死に近き」評には、詩の言葉はときに散文的合理性から逸脱する場合があるからそれでよいし、そこにかえって深みの出る場合もあるともある。「合理性から逸脱」することによる意味の広がりや「深み」を、より簡潔かつ美しく、「暈」つまり天体にかかる光の輪にたとえている。この喩を直接的に考えるなら、「一首の歌が意味の拡張によって通常の一首よりも大きく見える」という意味だろう(そう言ってしまうと喩の美しさが減退するような気もするが)。つまり「意味が広がる(深まる)」以上のことは何も言っていないのだ。言わないことにより、歌を損ねることなしに、歌を分解することなしに、歌に美しさの価値を付与している。
続くセンテンスは同連作中の他の歌を紹介するものなので省略して、話題を塚本に移す。



佐藤は「ひた走る」の評を『赤光』内での最後に扱っているが、逆に塚本は巻頭にこの歌を持ってきている。厳密なことを言うなら佐藤が『赤光』の改選版について語っているのに対し、塚本の評は初版についてのものである。初版では「怺へ」が「堪へ」であるほか、連作の構成が異なっている。この点について、語の話では「怺へ」の方が視覚的に厳しく映るだろうと初版と改選版の比較を行っているものの、構成のことでは詞書の違いこそ多少論じられてはいるものの、「詞書の伝へる次第や背後の事情を越えて」「なまじつかな詞書などなくても」とも書いており、塚本はあくまでも一首として読もうとしている。なのでここでも比較を分かりやすくするため、一首の話として受け取りたい。
評の書き出しの部分は佐藤のものと非常によく似ている。まず出典から入り、続けて歌の背景について説明する。ただ一首に費やしている文字量は塚本の評の方が三~四倍多いから、必然説明も事細かになる。特に伊藤左千夫との確執のことは、佐藤の評には全く書かれていない。ひややかな対立状態のさ中に、突如師の逝去の報を受けたとすれば、弟子たる茂吉の胸中は、単なる哀惜や悲歎のみではなかつたはずだ。「わが道くらし」の畳句(ルフラン)は、その心理を如実に反映してゐる。
そしてそれに続く言葉が興味深い。反映どころではない。(略)読者を一瞬立ちすくませるやうな気魄(きはく)、憤怒(ふんぬ)と苦痛を交へた激情が、否応(いやおう)なく迫ってくる。辛うじて評としての客観的な形式を保ってはいるが、これは明らかに塚本の体感であろう。佐藤の評は歌を示すためにあったが、塚本は自身の身体へと歌を通過させている。おそらく歌が塚本自身へ及ぼした作用をもとに評をしているのだ。
「道」さへ、地理的な、作者の今走りつつある「道路」を意味する以上に、彼の人生とその進路を指してゐるやうに思はれると読む塚本は、佐藤も言及した「しんしんと」について修飾されるのは勿論「暗し」なる形容詞であるが、「堪(こら)へ」にも微妙にかかると考へてよかろう。すなわち、道の二義性は「しんしんと」にも関わるのだと書く。「暗ししんしんと」では目の前の道の暗さが強調されるが、「しんしんと堪え」では内面がクローズアップされ、人生の道が現出する。「よいからよいのだ」とした佐藤と違い、塚本は「しんしんと」の二義性を、「道」の二義性と重ねることにより、言語表現の効果を歌の意味内容と結び付けている。先の引用と異なり、ロジカルな印象を受ける部分だが、この「二義性」はおそらく自身の体感を客観視した結果、導き出されたものだろう。あくまでも体感がベースなことに変わりはないと思われる。
正直に言うならこの読み自体はさほど驚くほどのものではないが、佐藤も触れていた死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほた)のかはづ天(てん)に聞(きこ)ゆる(※)の歌については、瞠目すべき読みがなされている。私は「添寝のしんしんと」にそのやうなにほひを嗅ぐとある。「そのやうなにほひ」とは「薬」と「患い」の匂いである。その悲しいにほひに、屍臭(ししう)の混ざる刻の、さほど遠からず到ることを、医師である作者は知つていたゐたことだらう。斉藤茂吉の歌に頻出する「しんしんと」という語について塚本は、深深、森森、駸駸、あるひは沈沈(しんしん)と多義性を読み取っているが、ここではその語に嗅覚的な要素を視ている。一見したところにおいの描写はなさそうなこの歌に鋭く嗅覚性を読み取ることで、歌はいちどきに深度を増す。これはおそらく塚本が嗅いだ匂いなのだろう。にほつて来ない読者は、たらちねの母に邂(あ)つたことのない鼻聾(はなつんぼ)であらうと塚本は挑発的に言い張るが、その言い張りこそがこの読みの主観性、個人性を浮き彫りにしている。
そのような読みに塚本は鮮明な描写を加えてくる。「ひた走る」では晩夏深夜の草いきれと、降りそめた夜露のにほひが漂ふ。いかなる月夜か星月夜か、はたまた曇天かは知らね(以下略)、「死に近き」では潤みを帯びた夜気は雑草(あらくさ)や早苗や木木の花の匂を含み、蒲団(ふとん)の洗ひ晒(ざら)しの木綿の肌触(はだざは)りも、さやさやと初夏のものながら、どこか微かに湿つてゐる。こんなことは歌には一切書かれていないが、塚本はこのように歌を体感したのだ。塚本にとって、体感を伴わぬ読みなど読みではないのだろう。
あくまでも「註」にとどまり、「歌を見よ」とする佐藤に対し、塚本は「私はこう読んだ」と読み手の身体を前面に押し出す。主観を連ねるだけでは説得力がなくなるのでロジックも用いるし、ロジックに傾きすぎれば、無味乾燥となるから潤いのある描写も加味する。
けれどたとえば暗澹(あんたん)として凄じく、しかもなほ茂吉のエラン・ヴィタールを浮彫にしてゐるというような賛辞は大げさなものにも思える。過大評価だという意味ではない。単に言葉が上滑りしている、というのとも違う。もちろん、そういう書き方なんだと言われてしまえばそれまでなのだが、何と言えばいいだろう、そのように書く塚本はどこか苛立っているように見えるのだ。そしてさらに言うならその苛立ちの裏には、そこまでの言葉を尽くさないと、語ろうとしているものが逃げてしまうというような不安が、どこかにあるのではないか。思えば、先の「にほつて来ない読者は」も言葉が強すぎる。傲慢なまでの自信にあふれているが同時に、手負いの獣が向ける敵意のようにも見えて、何かを強く恐れているようでもある。
不安や敵意は、一見外に向けられているように見える。先述の通り、塚本の評のベースは体感にある。評を評の読者に否定されることは、おのれの体感を否定されることになるのだから、当然不安はつきまとうだろう。けれどそのような対外的な不安だけだろうか。
これは勝手な深読みかも知れないが、不安の根本的なところは、内側にあるのではないかと思う。それは「この批評の言葉は、本当に私のこの歌に対する思いを十全に反映したものだろうか」というようなものである。思いはそのまま言葉のかたちには結実しない。言葉とは常に思いにとっては他者なのである。

言葉に置き換えた途端に、体験は物語に姿を変えます。書き記された記憶はもう本当の記憶ではありません。どれだけ客観的に、或いは事務的に書き記したとしても、それは事実ではない。現実は決して書き記すことができないのですよ
 京極夏彦

塚本の読むという現実上の体験は、書くことによって物語に変質する。「似ている」ということは突き詰めれば「異なる」ことを意味する。きわめて高い言語能力を持つからこそ、いかようにも書く力を有するからこそ、なおさらそのように感受するのだろう。また斉藤茂吉に極めて強い思い入れを持つからこそ、塚本邦雄はそのような「不安」を抱くのであろう。
客観視できるやうな悲歎なら始めから高の知れたものだし、主観の高揚をそのまま感動には変へ得ぬ(塚本の「死に近き」評より)。心がそのまま歌にならぬように、心がそのまま評になることもない。
おのれの体感が、書きつけたさきから「体感した」という物語に変質していく状況下(※※)で、それでも「これは物語ではない。まさしく俺の体感なのだ」と言い張ること。歌が匂うという言葉は、歌が匂わない読者に対してのみ向けたものではない。おのれの内にある疑念、「その体験は果たして「匂う」という言葉で十全に表すことのできることなのか」という疑念、「「匂う」という書いた言葉は実は、体感を言葉に置き換えることで生じたフィクション」ではないか」という疑念に対しても向けられていて、その疑念を一太刀に振り払うべく、塚本は語気を強めていく。そうではないのか。
おのれの評にきわめて強い自信を持つ一方で、いや持つからこそ誰よりも強い「不安」のようなものを塚本は抱えているのだ。そう考えてみると言葉を尽くさない佐藤の評の方が堂々としているようにも映る。
もちろんこれは単純な評の良し悪しの話ではない(※※※)。その「不安」が塚本の評の言葉を弱めているということはけしてないし(むしろ評の原動力になっているのではないか)、そのような「不安」を持たない(ように見える)佐藤の評がより劣っているということもない。そういう話をしたいのではなく、塚本のこの「不安」は、「批評とは何か」というものの本質的な部分にかかわってくるように思うのだ。


※:底本の関係だろう。この歌も「ひた走る」の歌も、佐藤は新字体、塚本は正字体で引用しているが、便宜上新字体に統一した。なお佐藤の方では「遠田」のルビが「とおだ」となっている。

※※:塚本が評の中で用いた「エラン・ヴィタール」という語はたとえば「生命の躍動」や「生命の飛躍」と訳されるフランスの哲学者アンリ・ベルクソンの用語だが、そのベルクソンの言葉にはこのようなものがある。画家は自分の制作する作品の感化そのものでその才能が形成されたり崩れたり、ともかくも変様する(『創造的進化』より)と。文章を書くのもおそらく同様であろう。私の書こうとするものは、私が今書いている文章自体の影響によって絶えず変容し続けるのだ。だからなおさら体感が、文章中にそのまま宿ることはありえない。

※※※:批評の良し悪しというのは考えれば考えるほど難しい。良し悪しの基準は、「一首評」に限っても①「作品をよく読めているか」②「評者自身の体感を十全に表しているか」③「評の読者にとって興味深いものになっているか」など複数考えられるからだ。それぞれ作者基準、評者基準、評の読者基準の良さである。良さを向ける方向が単純に三方向あるのだ。



これはほとんど余談だが、塚本の歌の読み方は、穂村弘という歌人にも一部受け継がれているように思う。

一千九百八十四年十二月二十四日のよゐのゆきかな 紀野恵

初読は十年以上前だろうか、『短歌ヴァーサス』誌に掲載されたこの一首に対するごく短い評が強く印象に残っている。「歌の翼に」において穂村はこのように書く。この地上に生きてあること、呼吸をしていること、その喜びが、韻律と結句の「かな」の翼によって祝福されているかのようだ。この評に強く私は共感する。共感するけれど、その評の存在なしに私がこういう風に歌を読めたかどうかは非常にあやしい。今の私ならばできるかも知れないが、今の私とは穂村弘の『短歌という爆弾』や『短歌の友人』を読むことで不可逆な影響を受け、穂村弘をインストールした私である。そうでない十年前の私にできただろうか(※※※※)。
塚本が「しんしんと」に嗅覚性を読み取ったように、穂村は「かな」に祝福性を見出す。これはおそらく穂村の身体を通過した言葉なのだ。けれど穂村は自身の身体を塚本のように前面には出さない。自分自身はあたかも透明人間であるかのように振る舞う。語る言葉を身体が引き受けることはなく、それをあくまでも歌自身の持っている力のせいにしようとする。手に触れるものをみな黄金に変えてしまうミダス王のように、読む歌をことごとくきらきらにしていくような存在が穂村弘である。
穂村弘に「不安」はあるだろうか。それを探ろうと思っても、彼によって光らされた歌の輝きに紛れてしまって、うまく探せない。


 ※※※※:『短爆』(引用者注:穂村弘の著作『短歌という爆弾』)を読んだ私は、『短爆』に引用されているこの二首がいずれも非常にすぐれた歌であるように感じる。しかし私は『短爆』のナビゲートなしにこれらの歌の美しさに本当に気づくことができたかどうかについては自信がない。瀬戸夏子「穂村弘という短歌史」より。この評論において瀬戸は、穂村弘の批評についてきわめて詳細な検討を行っている。けれど『短爆』は塚本的ではないとする瀬戸の論を追うのは、穂村弘という歌人にあまりに深入りすることになるため、この場では穂村については素朴な理解にとどめておくことにする。




 二章:菱川善夫と「ひかりになること」


 1
 『菱川善夫著作集』には一巻の始まりに「歌の海」が収録されている。これは「愛」をテーマにした歌の「一首評」集である。「北海道新聞」の連載をまとめたもので、一首にあたりの文字数は三百字ほど。一般読者向けに短歌を紹介するという目的で書かれている。いくつか読んでみたい。

 薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ 岡井隆


 連載のはじめの一首。女が抱いて湯に沈むのを、「薔薇抱いて」と歌った。「薔薇」を喩であると、大胆に断定するところから始まる。そこから評は薔薇を抱く人の心の憂愁に言及し、人間の孤独を根源で慰藉するものは(略)官能ではないのかという問いを発見する。またこれは人生の傷痕をなめた壮年にのみ可能な発想だとも述べている。
 
 ひとの夫(つま)そのことわりを超えむとな 凝(こご)る真冬のむらさきの釉 菅野美知子

 人の夫だからといって、そんなことわりを恐れるなという心の声。「作者」の内面の葛藤を、菱川は「そのことわりを超えむとな」の、やや舌たらずの文体の中に見る。下句全体を作者の内部で凝結している深いとまどいの象徴と解釈し、何と魅惑的なとまどいであることかと「作者」の内面の事象に美を見出している。

 ある暁(あけ)に胸の玻璃戸のひびわれて少しよごれし塩こぼれきぬ 富小路禎子

 胸の中にあるガラス戸は、はりつめた孤独の意識をあらわすのだろうか。(略)「よごれ」に、かすかな欲情のなごりが漂う。「歌の海」は実は相聞歌をテーマにした連載である。相聞歌としてこの歌が挙げられたのは、菱川がこの「よごれ」の一言に性愛の色を帯びた感情を鋭く読み取ったためである。
 
 檸檬風呂に泛かべる母よ夢に子を刺し殺し乳あまれる母よ 塚本邦雄

 燦然と悪に輝く母のイメージを創りだすことで、そのような現代の生がおかれている危機感を訴えた。(略)歌は幻想の力によって、本質を一瞬のうちに把握するものでなくてはならない、とする作者の考えが端的に示されている。文明批判の文脈で塚本邦雄の歌を理解している。評の中でさりげなく用いている想像力の犯罪という表現が興味深い。

 失恋の<われ>をしばらく刑に処す アイスクリーム断(だ)ちという刑 村木道彦

 〈刑〉という言葉のもつ、ものものしい感覚にくらべて、内容は軽すぎる。だが悲しみを軽量化し、ピアニッシモで歌うのも技術である。(略)むなしさとやさしさの時代を生きる青年の感覚だといってよい。年代のことはあまり気にしてこなかったが、村木道彦は一九四二年生まれ。収録歌集『天唇』は七四年の刊行だから三十代の前半かそれ以前に制作された作ということになる。菱川の評は八二年のもので当時の菱川は五〇代さしかかったところである。確かに「青年の歌」という把握になるわけだ。


 2
以上、五首を縮約してみた。連載は一年と四カ月ほど続き、その間で取り上げた歌は一三三首。そのどれに対しても、簡潔かつ的確な評がなされているように思う。読んでいて伝わってくるのは「私にわからない歌はない」とでも言いたげなおのれの読みに対する自負だ。どんな歌がこようとたちまちにして短い言葉で本質をつかみ取ってしまうというような印象がある。菱川の「この歌はこうだ」、それは佐藤の「歌を見よ」とも塚本の「私はこう読んだ」とも違う評のスタイルだ(あるいは穂村に近いかも知れないが、穂村のミダスハンドがある種のスター性を有するのに対し、菱川のそれは熟練の職人技のように見える)。
そんな菱川の言葉は、同時に短歌が「わかる」とはどういうことか、ということを浮き彫りにしてもいる。
 まず何と魅惑的なとまどいであることかという菅野歌への評。これは歌に対する菱川自身の立ち位置を示している。言葉の背後には、その歌を眺める菱川自身の姿が見える。評者は自身が透明なふりをして語るが、真に透明になることはできない。短歌を読むというのは、自らの立ち位置から読むことであり、短歌が分かるというのは自らの立ち位置から分かることなのだ(だから「この歌はこうだ」も「私はこう読んだ」のヴァリエーションではあるのだ。「私」を強調するか捨象するのかの違いである。逆に塚本が「私」を強調しすぎているかも知れない)。
これは人生の傷痕をなめた壮年にのみ可能な発想だという岡井歌への言葉があるが、岡井は一九二八年生まれで菱川は二九年生まれ。歌に対し、「同世代だから分かる」というところからアプローチをしているように見える。単純に比較するなら、菅野歌を読む時より岡井歌を読む時の方が、菱川は歌のそばまで寄っている
肉感的作品の氾濫する時代の中で、この抽象化は貴重だと評する富小路歌も相対的に遠いように思うが、塚本歌はさらに遠いかも知れない。母のイメージと書き、作品全体を「イメージ」として扱っている。作品を真に受けたのでは読めないから、メタレベルに立って読むという読み方をしている。イメージに酔いながらもそのイメージを括弧にくくっている。夢を見ると同時に醒めてもいる。
この読み方は、一九九四年から始まる「塚本邦雄『水葬物語』全講義」(同歌集収録二四五首への全首評!) においても共通している。この歌を写実の目で解釈すると意味不明の歌になります。しかしこれを隠喩として読むなら(以下略)は、『水葬物語』九七首目への評に登場する言葉だが、「隠喩として読む」は、塚本を読む際の菱川の基本的な態度であると言っていい。
村木歌のむなしさとやさしさの時代を生きる青年の感覚は「もはや別時代の人だから分からない」という意味にも取れてしまう。理解を示して評価はしているが、その今の理解からは一歩も先に進むつもりはないという態度にも取れる(あくまでも文章が取らせている態度であって、菱川自身がそういう態度の人物だと考えたいわけではないが)。



「短歌が分かるとは自らの立ち位置から分かること」これを一つとするならもう一つは、
「一首の理解は人物への理解につながっている」ということだ。たとえば岡井歌を見ると、末尾に前衛短歌を導いた岡井隆は、九州へ逃亡ののち、これらの歌をひっさげて歌壇に復帰した。現在、国立豊橋病院内科医長とある。「一般読者が歌の作者の人物像と合わせて歌を読めるように便宜をはかった」という側面もあるのだろうが、そもそも歌を理解することと人物を理解することを合わせて考えてなければ、このような記述は出てこないだろう。
そう考えると短歌を読むというのは、一人の人間が自らの立ち位置から別の人間のことを理解しようとすることと深いかかわりがある。私がある短歌を読むことと、私が自分の職場に新しく入ってきたAという人物を理解しようとすることは、全く同じではないけれど、どこか通じるところがある。菱川の短歌の読み方からは、批評のそのような側面を見出すことができる。

紺の足袋はけば恋しき人の世にあとさきあらぬ雪は降りつぐ
 清田由井子

「歌の海」から十年後、菱川は「物のある歌」の連載を「北海道新聞」日曜版で始める。こちらは四年間続いた。一首あたりの紙幅は「歌の海」のおよそ二倍。
一首の背後には恋情が隠されている。それを暗示するのが「あとさきならぬ雪」である。前後の脈絡なく降る雪。人を恋しく思う気持も、筋道だってやってくるものではない。乱れた息づかいのように降る雪。その白一面の中に薫る紺の足袋。
「足袋」の「紺」についての洋装のストッキングに、新しい色彩感覚が求められたのと同じ心理だろうという認識は、上記の読みを展開する上での傍証となっている。このような作品レベルでの繊細な読みを菱川は作者は、阿蘇の麓、久木野村に住む。熊本から一時間。深い山棲みの生活が、清廉な感受性と勁(つよ)い意志を育てた。紺や黒を愛用するのは、その生き方と無縁ではないと作者レベルへの読みにつなげていく。読者への紹介という側面もあるだろうが、作品を通した人物理解への興味がなければこんなことは書かないだろう。
しかしこの一文は、歌の中の「紺」という一文字を作者の全人生に背負わせるような一文であって、非常に興味深い一方、ある意味レッテル貼り(※)ではないかとも思わせてしまう。分かろうとすることの傲岸さのようなものを読み取れなくもない。評が作品ではなく人物に向かっているからこそ、そのように感じられてしまうようだ。
以下の歌の読みはどうだろう。

「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」 穂村弘

「本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」と言わせたところは、着眼点が鋭い。たしかに、チューブの歯みがきをいっきに絞り切るには、相当の力がいる。怒りを笑いに転化させて表現したが、才智のひらめきがなくては、こうは言えない
は、塚本歌の時と同様にメタレベルに立って読んでいる。台詞を言うドラマの登場人物ではなく、登場人物を演じる女優にその台詞を言わせた脚本家・穂村弘に言及している。塚本や穂村のような作風を、人物理解のために読む場合、必然的にこのような読みになるのだろう。人物を探り当てる作業を遂行する以上、作中世界を真に受ける楽しみにはとどまれないのだ。
問題にしたいのはその次である。「猫投げるくらいがなによ」には、男さえ猫化してしまった時代への風刺もひそんでいる。ストレートな方法ではなく、こういう屈折した方法で、時代への異和を表明したところに、この作者の特質がある。これを読んだ私の素直な感想は「なるほど」だった。この歌は以前から知っていたが、そういう風に思ったことはなかった。けれど作品レベルでの読みとしては面白いが、作者レベルとしてはどうか。「これが脚本家・穂村弘の意図なのだ」と言われると正直なところ和感を覚える。「「男さえ猫化してしまった時代」という風に感じているのはむしろ菱川自身であり、菱川自身の思いを評に投影しているのではないか」という邪推までしたくなる。
仮に歌にそのような考えが歌に表現されているとしても、歌がそのようなものになった原因はいくつも考えられる。①穂村にそのような意図があり、意図通りに表現された。②意図はないが考え自体はあり、考えが作品に反映されていることにも自覚的だった。③考え自体はあったが、反映されていることには無自覚。➃考え自体なく偶然。
 この四つはきっぱり分けられるわけではなく「②寄りの③」というようなこともあるだろう。なんにせよ読者には決定不能である。決定不能なことをよいことに、④を③に、③を②に、②を①にして読もうとする傾向が、批評という行為にはしばしばあるのではないかと思う。作者が全く意図してなかろうが、作品から読み取れたことは作者の意図にしてしまう。だから清井歌で見たように「紺」一文字に人生を背負わせるようなこともできる。これは人間理解として短歌を読む際の危うさではないだろうか。偶然を選択の結果に、無意識の反映を意識と読むことは、いかに精緻な読みに支えられていようと乱暴さを隠せない行為ではないのか。
 けれどこの疑義については、むしろ開き直って考えることができる。読むことが、そして読みを語ることが少々乱暴なことは当然のことだ。それを乱暴に感じるのは社会化されたデリケートな人間関係を当たり前のものにしているからだ。社会生活を送る上では他人には干渉しすぎない方がよい。けれど批評の場は実社会を離れたところにあって、そこは生身の人間同士が直にぶつかり合う場所なのだ。最低限の人としての倫理は踏まえるとしても、すべての理解を誤解と考えるような思考はむしろ病的ではなかろうか。そういう風に考えるなら、この乱暴さは一定の限度を超えない限り、むしろ真っ当なものとなる。


 ※:そんなことを言うなら、短い文章をいくつか引いただけでその書き手の性格を決定づけているようなお前の方の行為こそレッテル貼りではないか、と言われるかも知れないが、それは全くその通りだと思う。ただ本論での引用はすべて批評というものの考察のために行われており、その批評を行う人物の理解へ向けられたものでないことは述べておきたいと思う。本論を通して「塚本邦雄はこうだ」「菱川善夫はこんな書き手だ」ということを言うつもりは全くないし、そのようなメッセージが仮に読み取れたとしてもそれは私が限られた資料の中から捏造した塚本邦雄や菱川善夫であって、実物そのものではない。


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 これまでに多くの人々に「歌人」と呼ばれてきた人ですらもじつは「短歌とは何か」をまだ本当の意味で知っていません。 三上春海

 僕たちにとって生成しつつあるものというのは、自分の中の手の届きそうな場所に在って、けれども言葉になって外気に触れた瞬間に脆くも崩れてしまう、現世の言葉では語りえない存在だ。 鈴木ちはね

 二〇一五年に刊行された三上春海と鈴木ちはねによる書籍『誰にもわからない短歌入門』
からの引用である。同書は「わからない」「語りえない」という立場に立ちながらも、「一首評」に近い形式で個々の短歌を読んでいく。その読解の中で、同時に短歌一般についても思考を巡らせていくようなスタイルが取られている。

 ハロー ハローワーク待合コーナーの待ち順札を吐き出すマシン 岡野大嗣

 この歌に三上が評をする。「マシンを」見つめ「待ち順札を吐き出すマシン」と認識し、でもそれにすら「ハロー」と感じる機械のような自動的な認識を彼は持つ。自動的な「彼」と自動的な「マシン」の、二つの機械の邂逅のように掲出歌は感じられると読む。その読みは穂村弘のある二首の歌との比較から生まれてくる。①〈降りますランプ〉という「命名」の修辞が効果的な機能を果たしている穂村歌Aと、岡野歌での「待ち順札を吐き出すマシン」の芸のない命名の比較。②「ハロー」に文化的な最低限度の高揚感が感じられる穂村歌Bと、それすら感じられない岡野歌。その比較を通し、主体性や感情が欠落した(とは三上は書いていないが)「自動的な認識」を持つ存在として「彼」を把握する。
個人的に「なんか四角い文章だな」と思う。文章に機械的な印象がある。評の展開についても、マイクロソフトエクセルの関数でも用いて、①人間性が一定以上感じ取れる歌には「人間」、②感じ取れない歌には「マシン」、という値を自動的に返しているような感じがしてしまう。だから「二つの機械の邂逅」の場に立ち会うこの三上という評者自身も一つの「マシン」なのではないのか、という気持ちにさせられる。けれどこの評の根底の部分には三上の感覚的な判断(「芸」を感じるか否か、「高揚感」を感じるか否か)がある。だから(少なくとも今現在の)機械にこんな批評は不可能であり、批評の言葉の背後に人間がいることは間違いない。これは機械を装った機械コスプレの批評なのである。三上は「マシン」を演じることにより、「マシン」のようなこの一首に近づこうとしている。要するにここで三上は、他人という「分からない相手」に対し、相手自身になることによって相手を理解しようとしている。その相手も正真正銘の「マシン」ではなくその実は人間なのだから、コスプレが透けて見えるくらいでちょうどよいのかも知れない。
 それに対し、鈴木が返答する。往復書簡のような形式で、一首に二人ともが評を行っているのだ。あくまで全方向に対してニヒルであり続けること、それそのものがむしろこの主体の表現規範なのだろう。この「表現規範」という言葉は注目に値する。「表現規範」は要するに「自分ルール」ということだろう。むなしさとやさしさの時代を生きる青年の感覚という菱川善夫の村木道彦に対する言葉は、村木歌を「青年」というマクロなくくりに帰属させて考えているし、あくまで「俺からはそう見える」という自分ベースの理解なのだと思う。けれど相手の「自分ルール」を探ることは、相手を個として捉え、相手ベースで考える見方だ。まるでセラピストがクライエントを分析するような見方だと思う。かれはおのれの人格、あるいは感情の無価値を自覚しているがゆえに、無敵なのだ。三上さんの言うところの「自動的な〈彼〉」には、そういう冷たい自虐の刃をつねにおのれの裡に向けて突き刺し続けているようなかなしみを秘めている気がする。人間の中の「マシン」性を読み取る三上の評に対し、鈴木は人間の「マシン」性の中に人間性を感じ取る。
 両者に共通するのは、評の対象である短歌を、あるいはその背後に読み取ることのできる人物を、わかりえない「他者」として捉えていることだ。「他者」は基本的に人格を有していて、だから人物理解として短歌を読んでいるところは菱川と同じだと思うが、菱川は相手を理解可能だと捉えているのに対し、三上や鈴木は本質的には理解が成り立たない相手だという把握をしている。そんな相手に対し、彼らは評の中でそれでも理解しようというスタンスを取る。
そしてその試みは彼らの文章の中で一定の成果を得るのだが、その成果を往復書簡という形式が相対化する。三上の「理解」は鈴木にバトンが手渡された時点で「一つの意見」にすぎなくなる。ではそれに続いて書かれる鈴木の文章は、何かしら絶対的なものを有するのか。確かに紙面上では、リレーはそこで途切れる。三上の二ターン目が始まったり、同じ歌に対する第三の執筆者が登場したりすることはない。けれどやはり鈴木の文章も、相対化されて「一つの意見」になると思うのだ。それはなぜか。
 三上は同書において「どろみずの泥と水とを選りわけるすきま まばゆい いのち 治癒 ゆめ」(笹井宏之)という歌がしりとりのような構造を持つことに対し、「ゆめ」から「どろみず」に至る言葉、すなわち「めいど」を文末に補うとしりとりがいつまでも続いてしまうという評をしている。「めいど」は笹井宏之が評の時点で故人であることから出てきている。すなわち、冥土。というのはわたしの読み過ぎだろうけれどと三上本人が言うように、作品評としてはちょっと出来過ぎている感のある評である。けれどこの言葉は、『誰にもわからない短歌入門』という一冊の本の構造について、メタ的な立場から密かに言及したものではないだろうか。
 往復書簡形式によって構成される『誰にもわからない短歌入門』は、いわば無限に続く評のしりとりを暗示しているのだ。確かに現実の紙面上では鈴木→三上、あるいは三上→鈴木と、最初のターンのみで「一首評」は完結しているけれど、その紙面は一つのヴィジョンを幻視させる。評のリレーはその後もずっと続いてゆき、その無間循環の中で、評の言葉は絶えず生成変化する。それはけして到達不可能な「他者」の理解へ限りなく迫っていくものである。そんなヴィジョンだ。
 だから『誰にもわからない短歌入門』(三上、鈴木の個々人ではなく)のスタンスは、「この歌はこうだ」を否定し続けることによる、「「この歌はこうではない」の無限反復」である。そこでは「わかる」は暗示されるのみで「わからない」ばかりがある。けれどその死屍累々の「わからない」の山は、「わかる」の価値を無限に増大させている。


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 全講義という形式は、最初から闇を含んでいると言ってよい。その闇の中から、はたして新しい秩序と法則を見いだすことができるのか。 菱川善夫

「塚本邦雄『水葬物語』全講義」の「あとがき」として置かれた文章には、菱川が「秩序と法則」に価値を置いていることが明確に示されている。闇にひかりを当てること。テクストが闇であるのなら、それを読み解く菱川はひかりになろうとしたのだった。そして『誰にもわからない短歌入門』もまた、ひかりにはなれないことを自覚しながら、ひかりになることを希求し続けている。
けれど、そもそもなぜ彼らは「ひかりになること」を望むのだろう。なぜ「秩序と法則」を求めるのか。そもそもそんなことをする必要が本当にあるのだろうか。そのような前段階の問いは、ここにはない。
塚本邦雄の「不安」は彼らにはあるのだろうか。恐らく菱川善夫はその「不安」を認めることを敗北だと思っていたのではないか。批評家としての矜持や使命感が、そのような思いを支えていたに違いない。
そして『誰にもわからない短歌入門』においては、「不安」に対してある意味開き直っている。「僕たちにとって生成しつつあるものというのは、自分の中の手の届きそうな場所に在って、けれども言葉になって外気に触れた瞬間に脆くも崩れてしまう、現世の言葉では語りえない存在だ」という鈴木の言葉をもう一度引こう。これはつまり「語ることは不可能だから、不可能に向かって語るしかない」ということだ。不可能はあらかじめ承知なのだから「十全に語れない」ことに対して「不安」を抱く必要などない。
塚本が「不安」を原動力としたのとは反対に、彼らはその「開き直り」を原動力として語る。