「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 俳句の国から短歌国探訪(1) 短歌は若者の器か 丑丸敬史

2017-05-24 14:27:37 | 短歌時評

(1)はじめに

 俳句実作者である筆者の短歌国探訪記を今回から計4回に亘り記す。
 筆者が最近、所属する俳句同人誌「LOTUS」の最新号(35号)に記した編集後記から抜粋する。

 我が俳句国も短歌国、自由詩国との間の高い障壁を隔て、三ヶ国は消極的没交渉状態にある。この原因は一重にそれぞれの詩型が強固であることの証左でもある。もし俳人が歌も読み詩も書くならば三国の垣根は大分低いものになっていることだろう。モーツァルトがピアノ曲、交響曲、オペラを書くようには、我々は俳句、短歌、自由詩を書かない。勿論、詩歌実作者のほとんどはプロではなく作りたいものを作れば良いのだから、プロの作曲家とは同列には語れまい。ただ、俳句実作者にとってなぜ短歌や自由詩が「作りたいもの」足り得ないのか。これを己に問うことは、無意味ではあるまい。

 なぜ、自分は短歌を作らないのであろう。筆者が幼い頃から俳句が身近にあったという来歴だけでなく、この小論を書くことによって、創作を始めた時には「短歌適齢期」を過ぎていたことに気付かされた。

(2)俳句に対する誤解

 この小論の視点を明確にするために、俳句実作者である筆者が「どこから」短歌を眺めるのかという立ち位置をまず明確にしておく。筆者は有季定型の伝統俳句を書かない俳人である。

 短歌(和歌)は名もなき者も含め多くの日本人により自然発生的に誕生した。それに対して、俳句(発句)は芭蕉が確固たる文芸的意思と宣言を持って作為的に創始した。そのため、俳句はその誕生から芭蕉の呪縛に縛られ続けている(未だに芭蕉はこう言っていると芭蕉に帰ろうとし、俳句を芭蕉の創始した宗教か何かと勘違いしている俳人は多い)。さらに、虚子により有季定型が俳句であると定義づけされ(虚子ルール)、一般人が思い描く現在の俳句のイメージが定着した。しかし、形式化し硬直化した芸術(もはやそれは芸術とは呼ぶに値しない)に対して、それを刷新しようとする機運はいつの時代にも現れる。新興俳句運動から現在に続く多様な俳句はそのようにして生まれ続けた。部外者が抱いている有季定型俳句は俳句の一ジャンルに過ぎない(季語なんて知らなくても俳句は作れます!)。

 この小稿を書くに当たり、「詩客」に寄せられた歌人や詩人の方々の「俳句時評」を読ませていただき、「へー、やっぱり俳句は外からはそんな風に見られてるんだ」と改めて認識した。論を進めるため、まず俳句に対する誤解を解いておきたい。

「俳句評 短歌の穴からのぞいてみれば・・・」稲泉真紀

 俳句、ことに高浜虚子についていえば俳句はノンフィクションであるというテーゼがあり、現代短歌、ことにアララギの写生・写実において同じような歴史をたどってきた。 しかし、短歌は少しずつフィクション化への流れを持ったのだ。

 と氏は指摘するが、俳句に関してこの認識は正しくない。俳句も戦後の前衛俳句の隆盛に伴ってノンフィクションの殻が破られ、幻想的な俳句が続々と作られている。むしろ、質・量共に短歌を凌ぐのではなかろうか。現代俳句の特性の一つが幻想性・幻視性と言っても良いほどに。

  きらきらと蝶が壊れて痕もなし   高屋窓秋
  
  抽斗の国旗しづかにはためけり   神生彩史
  
  冷凍魚
  おもはずも跳ね
  ひび割れたり           髙柳重信
  
  釘づけの男女から水汚れだす    林田紀音夫

  轢死者の直前葡萄透きとおる    赤尾兜子

  最澄の瞑目つづく冬の畦      宇佐美魚目

  薄氷や我を出で入る美少年     永田耕衣

  機関車が止まる唾液に邪魔されて  阿部青鞋

  鶏むしるそこより枯野ひろがれり  山下洋史

  前世より煮〆めてゐたる牛蒡かな  たむらちせい

  凩や馬現れて海の上        松澤昭

  野は枯色ところどころに赤ん坊   栗林千津

  しばらくは葦のかたちに混み合えり 津沢マサ子

  春鳶は垂らすや空の長手紙     安井浩司

  天の川われを水より呼びださん   河原枇杷男

  綿虫や柩は人を入れ替える     柿本多映

  空蟬の数ふやしをり蔵の中     宗田安正

  天地創造了り蜆の動き出す     小林貴子

  白百合の途中は空家ばかりなり   森川麗子

  名告りあう水子多しや天の河    高橋修宏

  Qと啼き貝は神代へ沈みける    増田まさみ

  こうこうと死後の長さを照らす紐  高岡修

  空蟬のなかの嗚咽がこみあげる   谷口慎也

  空蝉となるまで殻は木をのぼる   流ひさし

  陰裂に冬の稻妻走りけり      高橋龍

  何度でも殺されにゆく桜かな    嵯峨根鈴子

  気絶して千年凍る鯨かな      冨田拓也


 静謐な悲しみを湛えて描かれている日常の物象が非日常世界にじわりと染み出していく。非日常世界もこちらの世界を静かに侵食する。そのようにして境界はいよいよ曖昧になる。

 この期に歌人と詩人の方々に声を大にして言いたいが、角川「俳句」は初心者向けの俳句入門書であり、多くの読者を得るために伝統俳句中心の構成になっている。角川「俳句」を「現代詩手帖」と同等と見誤ってはいけない。高柳重信が編集長を務めたかつての「俳句研究」のような硬派な雑誌は現在において絶無である。外部から俳句を眺めるのに、角川「俳句」を手引きにしたのでは俳句の重要な流れを見落としてしまう。角川「俳句」を参考資料に選んだ稲泉氏が誤解したのも致し方のないことではある。
 現代俳句のウイングはもっともっと広いことを歌人や詩人にもっと知っていただきたい。筆者が所属する「LOTUS」は俳句世界の辺境の地(極北)に位置する。我々のような書き手の俳句は角川「俳句」にはほぼ登場しないため、活動は外からは見えにくい。「詩客」のような場こそそれを発信する良い機会である。

  ひと昔ふた花野まで九十九折り   三枝桂子

  琺瑯質の誰かが覗く虹の秘部    無時空映

  留鳥も移民の耳も芒原       吉村毬子

  王亡くてひたに孔雀は卦踊りを   九堂夜想

  ふゆのつき【冬の月】私を産もうとした女 鈴木純一

  言語成る
  つひ暗がりの
  轉び寝に             酒卷英一郎

  己が葉の真ん中に死ぬ蓮かな    曾根毅

 恐らく、このような俳句を初めて目にした方は何が書かれているのかも理解できずに戸惑うであろう。

 かつて「一読分かる俳句が良い俳句」と俳壇の大御所(飯田龍太)からの宣下がなされ、そそっかしい輩は俳句に読解力は不必要と誤解し、それによる俳壇の低脳化(白痴化)が一気に進んだ。永田耕衣らも難解俳句と片付けられ俳壇の隅に追いやられた。小学一年生に微積分を教えても理解できないように、初心者であるならばそれも致し方なかろう。しかし、俳壇のトップがそれを公言して憚らず、俳壇を牽引するような俳人が小学生の読解力レベルでいいんだと誇らしげに吹聴している様は滑稽ですらある。

  一月の川一月の谷の中       飯田龍太

  睡蓮や今世をすぎて湯の上に    安井浩司

 龍太の句は一読わかる。その句意もその良さも。単純が故のポエジーもある。冴え冴えとした1月の冬の川が峻厳な谷の中を流れているそのような情景が目に浮かぶ。単純が故のそこから紡がれる詩的世界の広がりもある。この句の良さに異を唱えるつもりはない。しかし、俳句はこれだけではない。
 安井浩司の俳句を初心者が賞味するのは困難かもしれない。一輪の睡蓮が咲き誇っている。そして、今世で咲き誇った睡蓮がその後に湯殿の上に現出する。「湯の上に」、これは睡蓮が湯殿の水面に泛かんでいる様ではなく、立ち上る湯気の向こうに睡蓮が花開く様を表している。睡蓮を咲かせたこの湯殿はもはやこの世のものではない、極楽浄土なのである。
 このように読解力を必要とする俳句は厳然として存在する。この様な俳句は伝統俳句からはしばしば「観念俳句」と呼ばれ敬遠される。観念俳句、上等。俳句は写生だけではない。自由詩の様に色々な書法が俳句にもある。「きょうは〇〇をたべました」的な日記俳句は小学生に任せておけば良い。

(3)短歌はなぜ若者の文芸なのか

 稲泉氏は、第59回角川俳句賞の応募者と第59回角川短歌賞の応募の年齢構成を比較し、俳句実作者平均年齢が短歌実作者のそれより高いことを示唆している。付け加えるならば、それぞれの受賞者の年齢構成を見ても、20代の若者が角川短歌賞を続々と受賞しているのに対して、角川俳句賞では20代受賞者は極めて少ない。田中裕明(受賞時22歳)、山口優夢(受賞時24歳)、柴崎左田男(受賞時27歳)、岩田由美(受賞時28歳)の4人のみ。紛れもなく、短歌は若者文芸であり、俳句は老成の文学である。そう言って良い。

  旅終へてよりB面の夏休     黛まどか
  
  会ひたくて逢ひたくて踏む薄氷
  
  風が好きひな菊が好きアナタが好き

  手花火をして口づけをまだ知らず

  うしろからふいに目隠しされて秋

  山眠る恋の終わりを見届けて

『B面の夏』(1994年)収録句。この年彼女は32歳。知らされなければ10代、20代の女性の俳句かと思う。「なりきり俳句」にしてもあまりにも内容が稚拙。若書きと割り引いたとしても、俳句としてできていない。と俳人は思う。
 黛まどかと同じ歳の俵万智が『サラダ記念日』(1987年)を出版した時、彼女は25歳。俵万智を一躍短歌界の寵児にしただけの内容がそこにはあった。これを、黛と俵の文学的才能の差と一蹴することは容易い。しかし、たとえそうであっても、第二、第三の、「俳句の俵万智」の出現を待つだけの時間は我々には十分にあった。しかしてその出現が未だないという事実は、俳句はこのような若者の甘酸っぱい恋愛の歌を盛る器には相応しくないという証左である。
 俵万智は現代の言葉で現代の感覚で恋歌を詠んだ。額田王、和泉式部、与謝野晶子、恋歌はその時代時代の女性によって紡がれてきた(男性にも)。恋をすれば誰でも詩人になる。それを受け止めるだけの装置として短歌は必要十分な器たり得てきた。自分の溢れ出る心情を伝えるに三十一文字は「ちょうどいい」大きさなのだ。

  バレンタイン君に会えない一日を斎の宮のごとく過ごせり

  愛ひとつ受けとめられず茹ですぎのカリフラワーをぐずぐずと噛む

  思い出はミックスベジタブルのようけれど解凍してはいけない

  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 これら俵万智の歌の下の句消して十七文字に切除してしまうと

  バレンタイン君に会えない一日を

  愛ひとつ受けとめられず茹ですぎの
 
  思い出はミックスベジタブルのよう

  「この味がいいね」と君が言ったから

十七文字に要約してみようかとも思ったが無理であった。

 古代中世を通じて様々なタイプの和歌が試されて、その中で短歌のみが生き残ったのは伊達ではない。「31文字」は日本人にとって「マジックナンバー」なのだ。恋に限らず、何物かを伸びやかに歌うのに過不足がない。それであればこそ、いつの時代でも短歌は若者と相性が良く、若者の詩型式たり得た。鬱屈した熱き思いを抱く若者がその思いを伸びやかに開放する、短歌はそれを受け止める器として最も相応しい青春の詩文学である。

 一方、俳句はなぜ老成文学なのか。答えはすでに出ている。伸びやかに歌えるか、歌えないか、の違いが短歌と俳句の決定的な違いである。俳句は伸びやかに歌うことのできない鬱屈した奇矯の文学型式である。鬱屈した若者に鬱屈した詩形式は合わない。劇的表現を愛した寺山修司が俳句から短歌へ移ったのも必然と言えよう。

 稲泉氏はこうも言っている。

 短歌では与謝野晶子の『みだれ髪』や石川啄木の『一握の砂』、俵万智『サラダ記念日』などの歌集が一定の読者を 獲得していったのにも関わらず、俳句はどちらかというと単独作者の句集が読者を獲得するケースが少なかったのではないか?

 控えめに疑問符「?」がついているが、これは正しい。売れるためには実作者ではない一般人にも熱狂的に迎い入れられる必要がある。抑制的に歌うことを運命付けられた俳句は国民の、特に若者の熱狂を呼べないのである。

 俳句甲子園で若人を俳句に引き込む機会が増えたことは好ましいことであるが、その後、彼らは伸び悩む。それを伸ばす受け皿(仕組み)がない、云々の問題ではない。ネットが発達した現代、もし彼らが他の俳人の心を摑むような俳句を書き続けることができれば、間違いなく時代の寵児になれるはずである。しかし、「他の俳人」の多くは年上の、それも老人ばかりであり、その俳壇(俳句世界)の中で、ライトでふわふわした俳句を量産しても「頑張っとるようだが、まだまだ青い」くらいにしか見られない。俳句甲子園はその名の通り、高校生が高校生の情感で歌えばよい。けれども、高校を卒業した後に、彼らも青春性と俳句型式との齟齬に遅ればせながら気づく。開放的に歌いたい彼らと抑制的に歌うことを求められる俳句とのギャップは大きい。そして、その関門を通りぬけられる者は少ない。

 なぜ俳句はわざわざ抑制的な詠えない型式を求めたのであろうか。

 常に死と隣合わせにいた戦国時代、明日をも知れず一日一日を大事に生きていた人々の美意識に「侘び」(貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識)が育まれたことは必然と言える。芭蕉が積極的に俳句にこの侘びを取り入れたこともまた極めて自然であった。満たされない中にこそ充足を感じようとする俳句、それは侘びの精神的支柱を持ってして初めて成ったと言える。伸びやかに歌えないのではなく、伸びやかに歌わない、そこにこそ芭蕉は美学を見出した。そしてそこに俳句の将来性を見た。内省的な文学としての俳句の誕生である。
 「俳句(発句)は芭蕉が確固たる文芸的意思と宣言を持って作為的に創始した。そのため、俳句はその誕生から芭蕉の呪縛に縛られ続けている」と批判的に書いた。それにも拘らず、芭蕉の唱えた「侘び」から俳句を解放できないのかと訝しく思う向きもあろう。しかし、侘びを取ったら俳句ではなくなる。芭蕉が俳句に侘びの美を付与しなくても、必ず後の誰かがやった。抑制的侘びの歌謡こそが俳句の本質であり同義である。
 この窮屈な俳句美学を理解し愛するためには、ある程度人生を生きる必要がある。血気盛んな若者に侘びを説いても受け入れられまい。斯して俳句は老成の文学化する。なぜ退職をきっかけに俳句を始める人が多いのかも、この俳句の特殊性を考えれば合点がゆこう。俳句は老人に極めて相性が良いのである。短いから作りやすい、手軽に始められる、という条件は必要条件ではあるが十分条件ではない。

(4)短歌はなぜライトバース化したのか

 筆者の母は俳句結社に入っており、時折自作の俳句を聞かせてくれもした。そのように俳句が幼少の頃から身近にあった。もしそれが短歌であったら、筆者は短歌を現在書いていたかもしれない。筆者が俳句実作者となったのはある意味偶然的な要素はある。しかし、その後、短歌に出会う機会も十分にあり(現代詩に出会う機会も同様に)、俳句に比べて短歌によりアフィニティーを感じていれば、短歌実作者になっていた筈である。そうでないと言う事実は、筆者のポエジーは俳句により近しいものであったのであろう。
そうは言っても、短歌に魅力を感じていない訳ではない。ただ、青春性の高い短歌は好ましく感じないわけではないが、今の年齢の自分には眩し過ぎる。それよりも、戦後の前衛短歌時代の塚本邦雄や葛原妙子らの幻想的短歌により共感を感じる。

  胎児は勾玉なせる形して風吹く秋の日発眼せり           葛原妙子

  革命歌作詞家に凭りかかられて少しづつ液化してゆくピアノ     塚本邦雄

 今日の幻想的短歌を山田航の『桜前線開架宣言』(左右社)から拾う。

  半分は砂に埋もれてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ        石川美南

  小説のなかで平和に暮らしているおじさんをやや折り曲げてみる   笹井宏之

  しゃぼんだまの中に沢山いるようなカタツムリからの電話を待ってる 瀬戸夏子

  わたくしも子を産めるのと天蓋を豊かに開くグランドピアノ     小島なお

  ごみ箱に天使が丸ごと捨ててあり羽と体を分別している       吉岡太郎

 

 「半分は砂に埋もれてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ」。化石を研究している研究者がいる。埃をかぶった研究室は砂に埋もれたタクラマカン砂漠のようである。一陣の風で表面の砂が舞い上がる。すると取り払われた砂の隙間から指の化石が顔を覗かせている、そんな白昼夢である。この句の中で一瞬にして、教授は何億年もの昔に絶滅した古代生物となり、またその場に現出する。
 「小説のなかで平和に暮らしているおじさんをやや折り曲げてみる」。主人公が小説の中に閉じ込められたり、逆に作品中の主人公がこの世に現出したり、この手の話はよくある。この短歌では、そこは飛び越えずに、主人公にちょっとした意地悪をしてみる、というのが面白い。
 「しゃぼんだまの中に沢山いるようなカタツムリからの電話を待ってる」。シャボン玉が生まれる度にその中に蝸牛が生まれる。その蝸牛からかかってくる電話は、一緒に蝸牛にならないか、と誘う電話。
 「わたくしも子を産めるのと天蓋を豊かに開くグランドピアノ」。グランドピアノも臨月になると天蓋がパンパンに膨らむのであろうか。
 「ごみ箱に天使が丸ごと捨ててあり羽と体を分別している」。この短歌がこの中では一番好きかもしれない。街中に天使は溢れている。人間世界で羽を擦切らせた天使が行倒れている。誰かがごみ箱に投げ入れたそれを、早朝清掃員が分別している。長編の物語が紡げる。
 彼ら若い世代のファンタジー短歌は、戦後の塚本、葛原のものに比べて重量感がない。ライトバース、ニューウェーヴの洗礼を受けた短歌世界では描かれる幻想の質量も自ずと軽い。

 稲泉氏の文章を抜粋する。

 『角川俳句』1月号の特別対談の小澤實と中沢新一の「なぜ今、俳句か」に興味深いことが書かれている。 短歌は口語化したが、俳句はそのあとを追って口語化しない。俳句の本質は「不易流行」であり、室町時代と変わらない切字や文語を使った時代錯誤の面白さが あるのではないか?というのである。(中略)短歌が前衛短歌や『サラダ記念日』以降の口語化及びライトバース化など常に時代の色を帯び、変遷し、進化もしくは時代 を作り上げてきたことからみると、俳句はどこかしら、「不易流行」の一途さを感じてしまうのだ。

 ここにも誤謬と誤解がある。口語体、日常会話で書かれたライトバース俳句はある。短歌との対比を強調したかっただろう、小澤と中沢の対談内容は不正確である。

  じゃんけんで負けて蛍に生まれたの  池田澄子
  
  ピーマン切って中を明るくしてあげた

  三月の甘納豆のうふふふふ      坪内稔典

  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

 ライトバースは軽妙な内容の文学にこそ合う。盛り付けるものが軽いものであれば、盛り付ける器も軽いものを選ばねばならぬ。池田も坪内もこのようにライトな俳句を書きたがっている。これらの俳句も俳句の幅を広げるには貢献しているし、そのような俳句を目指す者は書けば良い。しかし、筆者はこの手の俳句には食指は動かない。ウイットは認めるが、軽い。
大方の俳句がライトバース化していない、それは事実である。しかし、それは俳句が「不易流行」(この言葉は物事の本質に関してについて言われているのであり、レトリック、書法についてのことではない)に囚われているのではなく、抑制的な老成文学であるという俳句の特性に馴染まないからである。口語俳句の広がりが一部に止まっているのは、それが描く世界が限定的であるからである。俳句に翻って、短歌が口語化したのはライトバース化との連動があったればこそ。短歌の描く世界が軽くなったからである。軽い世界を殊更に軽く描く。それが若者に歓迎されたのもむべなるかな。言葉を尽くせる短歌は内容が軽くとも力で読ませることができる。しかし、17文字の俳句にはそれが難しい。ライトバースは短歌に適する。

 抑制的な俳句型式で恋歌を為すには文語体が似合う。ビシッと決まる。黛まどかは百年持たないだろうが、下記の歌はすでに古典となっている。

  鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし     三橋鷹女

  雪はげし抱かれて息のつまりしこと  橋本多佳子

  妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る    中村草田男

 「ブランコは漕がなきゃ愛は奪わなきゃ」では千年俳句とはなり得ない。

(5)終わりに

 現在の短歌のこのライトバース、ニューウエーブの隆盛がいつまで続くのかは誰にも分からないが、平穏な時代が続く間は、この現状はそうは変わらないであろう。口語化を一旦果たした短歌を支える若者がこれを捨てる謂れはない。千年後に俵万智が額田王と同列で語られても不思議ではない。そして、短歌が千年後にも残っているであろうことが筆者には強く信じられる。日本が続き、そこに若者がいる限り。短歌の未来は決して暗くはないのである。
 付け加えて言うならば、俳句は上述の特性から今後も口語化が主流になることはなかろう。そして、超高齢社会を迎えた日本では今後も老いて盛んな元気なおじいさん、おばあさん達が俳句を盛り立ててくれるであろう。

 筆者がこれまで短歌を作って来ないのは、ライトバース主流の現在の短歌の有り様にあまり食指が動かなかったからである。ただ今回、本稿を書くに当たり、幾冊かのアンソロジー『近代短歌の鑑賞77』、『現代短歌の鑑賞101』、『現代の歌人140』(いずれも小高賢)、『現代の短歌』(篠弘)、『桜前線開架宣言』、その他の歌集を読み返し短歌の幅の広さを認識した。『桜前線開架宣言』では1970年以降の若手の短歌で心に銘記される少なからぬ数の短歌に出逢えた。次回はそこから短歌を語ろう。ライトバース短歌に関しても、反りが合わないクラスメートのように敬遠し続けるのは止そうと思う。日本人であるならば全ての詩人は短歌を詠める筈である。短歌を歌わない手はない。今回これを書いてそのように感じた。

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