爺のたわごと

毎日の世相やニュースで感じた事を、書きこみます。
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歴史上人物の実像と虚像

2016-10-09 08:38:58 | 話題

歴史小説やドラマでは、石田三成は陰湿な権謀にたけた悪役として描かれている例が多いが実際はどうだったのだろう。石田三成の場合、徳川側からも豊臣側からもあまり良く思われてないようだ。侫臣、傲慢、小賢いという人物像が一般的である。

ところが、徳川御三家の水戸光圀は大日本史に「石田三成は非常に立派な人物だ。人はそれぞれ、その主君に尽くすのを義というのだ。徳川家の敵といって、三成の事を悪く言うのは良くない。君臣とも三成のように心がけるべきだ」と記している。

また幕末期江戸幕府にて大老を務めた井伊直弼についても、評価が分かれる。どちらかといえば安政の大獄による勤皇派の弾圧で悪名が高いが、日本の今後は開国して近代化をして行かなければ、日本は清国のように、属国になってしまうという開明的な人であり、そのために頑迷な攘夷派を排除するに強固な手段を取るしかなかった。と援護する説もある。このように、同じ人物でも見方によって、評価が変わるものだ。

自分は歴史小説が好きでいろんな作者の作品を読むが、小説だから、話を面白くするための誇張や、フィクションもあり作者のその人物の思いれによって随分変わって来る。

平将門は朝廷に歯向かった稀代の悪党と描かれ、首塚伝説とともに有名だが童門冬二の著書「湖水の疾風(かぜ)」では重い負担を強いられ続けた東北の代弁者として朝廷の横暴な支配に敢然と立ち向かい、新皇に即位して新たな時代を切り開いた英雄として扱われている。

また勝てば官軍の言葉のように、薩長史観による人物評価がしばらく続いていた。会津藩の松平容保などは、徳川慶喜のような、逃げ上手、変わり身の早さなどなく愚直な故、光明天皇にもっとも信頼された勤皇だったのに、賊軍にされ、汚名をきせられていた。

しかし、最近になって、薩長はテロリスト集団で、実に汚い手で幼帝を玉として囲い込み、偽勅を連発し会津藩を賊軍にしたて、滅ぼした。といったような、著書が出始めた。

真実は一つだけれど歴史認識にしろ、人物評価にしろ、一面からだけ見れば誤った判断をしてしまう。誰が言ったか書いたか思い出せないけど「円筒の物を真横から見れば、長方形に見えるし、真上から見れば円に見える。」の言葉に成る程と納得した事がある。

これは別に歴史の話だけでなく、我々日常の生活においても、物事を俯瞰的に見る習慣をつけるようにしないと、偏った思い込みで相手を批判してしまう恐れがあると感じた。