正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

現代は五濁悪世の末法時代

2005-11-21 | 手引書④

 『御義口伝』に、
 「日蓮等の類(たぐい)は此の五濁を離るゝなり。我此土安穏(がしどあんのん)なれば劫濁に非ず、実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず、煩悩即菩提・生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず、五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり。正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非ざるなり。所詮南無妙法蓮華経を境として起こる所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり」(御書1729)
と仰せであります。「五濁」とは劫濁(こうじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・見濁(けんじょく)・命濁(みょうじょく)です。
 故に末法はあらゆるものが汚れ濁っている時です。この濁りが様々なものに影響をもたらし、社会を混乱させています。時には自分自身の心に濁りが生じ、また家族に生まれ、更に赤の他人に私達の関係ないところで濁りが生じています。濁りの輪が広がり、地域単位・県単位で、更に国という大きな輪となって、命の濁りが蔓延する時代が、今の末法時代です。
 この心の濁りは、貪瞋癡の三毒に通じるものがあり、御本尊様を受持し御題目を唱えなければ濁りを浄化することは出来ません。日蓮大聖人は「日蓮等の類は此の五濁を離るゝなり」と仰せのように、御本尊様を信じ御題目を唱えるところ五つの濁りから離れることが出来ます。生命の濁りに汚染されている人や汚染されかけている人には、信じ難く疑いが頭に過(よ)ぎると思いますが、末法の仏様が私達に仰せ下さっていることです。 
 五濁の「劫濁」が、時代の濁り・環境と社会に悪い現象が重なり起きること。「衆生濁」が、人間そのものの濁り、人間の身心が共に衰えること。
「煩悩濁」が、貪・瞋・癡・慢・疑の五鈍使(ごどんし)に支配された本能的な迷いのこと。
「見濁」が、思想の濁りで、身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見の五利使(ごりし)をいいます。
「命濁」が、生命自体の濁り、生活が乱れ寿命が短くなることです。
 以上の五濁は、毎日の勤行唱題によって個々の濁りを清め、更に周囲の人が出す濁りは折伏によって食い止めることが出来ます。五濁を本当に防ぐには日蓮正宗の信心しかありません。信心をしなければ、知らぬ間に五濁に汚染されることを認識すべきです。これは方便でも嘘でもありません。仏様が仰せになっていることです。疑い信じない人は、すでに五濁に汚染されてます。
 信心を遠ざけようとする人は、信心の他に人生の目的と欲望を擽(くすぐ)られる何かがあるはずです。その存在を今一度冷静に客観的に見直し、信心を見つめてみることもよいのではないでしょうか。信心は人生の目的や欲望・願望における、私達の見えない盲点を補う力を身に付けるのです。勤行唱題で見えない盲点を明らかにし、安穏な生活へと御本尊様が導いて下さいます。
 世間の多くの人は、濁った色眼鏡をかけて生活している人が多い世の中です。
 濁り曇ったメガネでは、信心をし御本尊様に御題目を唱えなければ、世の中をはっきり見ることは出来ません。寺院に参詣して、五つの濁りを止める知識を身に付けましょう。