「鬼」とは様々な意味があります。「鬼」とは「隠」で、姿が見えないという意味があります。鬼は人々の心を脅かし、生きる気力を奪う行いをします。
更に意味を上げると、①天つ神に対して、地上などの悪神。邪神。②伝説上の山男、巨人や異種族の者。③死者の霊魂。亡霊。④恐ろしい形をして人にたたりをする怪物。もののけ。⑤想像上の怪物。仏教の影響で、餓鬼、地獄の青鬼・赤鬼があり、美男・美女に化け、音楽・双六・詩歌などにすぐれたものとして人間世界に現れる。後に陰陽道の影響で、人身に、牛の角や虎の牙を持ち、裸で虎の皮のふんどしをしめた形をとる。怪力で性質は荒い。⑥鬼のような人。⑦非常に勇猛な人。⑧無慈悲な人。借金取り。債鬼。⑨ある事に精魂を傾ける人。⑩鬼ごっこなどで、人をつかまえる役。⑪貴人の飲食物の毒見役。おにやく。⑫紋所の名。鬼の形をかたどる。めんおに。かたおに。
以上のように世間では、多くの意味が存在します。では、正しい仏法においてはどうであるのか、考えてみましょう。
日蓮大聖人は『木絵二像開眼之事』に、
「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪(だつ)功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す」(御書638)
と仰せであります。これは創価学会で販売するところの「ニセ本尊」を破折するときに引用される文証ですが、鬼とは、人の命を奪うものであります。鬼は魔と親密な関係にあり、人々が鬼を崇めるところに魔が呼び寄せられ、国が亡ぶ方向にいくのです。日蓮正宗以外で、尊ばれている仏や神は全て鬼神が入れ代わっています。
鬼神である悪鬼について『御義口伝』に、
「悪鬼とは法然(ほうねん)・弘法(こうぼう)等是なり。入其身とは国王大臣万民等の事なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者を怨(あだ)むべしと云ふ事なり。鬼とは命を奪ふ者にして奪功徳者(だつくどくしゃ)と云ふなり。法華経は三世諸仏の命根なり。此の経は一切諸菩薩の功徳を納めたる御経なり」(御書1762)
と御指南であります。邪宗で尊ばれる浄土宗の法然や真言宗の弘法が悪鬼です。それらの邪師による教えを信じるために、国王や大臣、そして万民といわれる国民の身に、悪鬼が入り込む「悪鬼入其身」となっています。その証拠が、今現在の様々な悲惨な姿であります。
「悪鬼」を身から払うには、信心をして御本尊様に御題目を唱え、心の魔に紛動されることなく、精進して信心を貫くことです。「悪鬼」は、人間が本来持つ正常な判断力を狂わせ、「頭破作七分」という状態を作り出します。つまり、精神に異常をきたし、周囲の人に迷惑をかけ、その人の私生活を破壊していきます。これは謗法の害毒が原因です。仏法で説くところの鬼とは、日蓮正宗以外の宗教であり、他宗派を信仰している人も、謗法の害毒によって鬼のような人格に変わり、後生には無間地獄に堕ちるのであります。