正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 (安楽行品第十四)

2005-11-15 | 妙法蓮華経並開結 略要旨私考

 『法華経』の「安楽行品第十四」(法華経379)に、
  「諸天昼夜。常為法故。而衛護之。(諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し)」(御書396)
と説かれています。御本尊様を信じ御題目を唱えれば、昼夜にわたり諸天善神の守護が存在するのであります。それが「安楽行品第十四」の文証になります。
 朝の勤行で行う初座の「諸天供養」により、諸天善神の加護を得ることが出来ます。諸天善神は、御題目の南無妙法蓮華経を法味とし、力を得て信心する人を護るのであります。
 また別の角度から「安楽行」を行じられる有り難い文証です。つまり、「転重軽受」が説かれ、過去世の業を諸天の加護を得て止めていきます。御本尊様を受持し信心する人は、常に諸天善神の御加護があることを示めします。
 この「安楽行」に四つあり「四安楽行」といいます。初心の者が悪世に法華経を安楽に修行して仏果を得るための摂受の行法です。入信間もない人へ、一時的に日蓮正宗の根本修行に慣れさせるため必要となります。それが「四安楽行」であり、身安楽行・口安楽行・意安楽行・誓願安楽行です。
 身安楽行とは、身を安定して世間の欲望を擽る誘惑を避け、静寂な場所で修行することです。つまり、日蓮正宗の寺院参詣に身安楽行があります。
 口安楽行とは、仏滅後この法華経を説く時、他人を軽蔑せず、その過失をあばかず、おだやかな心で口に宣(の)べ説くことです。
 意安楽行とは、末世に法が滅しようとする時、この法華経を受持し読誦する者は、他の仏法を学ぶ者に対して嫉妬・そしり・争いの心を抱かないことです。 
 誓願安楽行とは、大慈大悲の心で一切衆生を救おうとの誓願を発することです。「四安楽行」は、諸天善神の加護を得ながら修行出来ます。
 「四安楽行」は、南岳大師の「法華経安楽行儀」のことでもあり、法華経の実践、特に安楽行について説かれました。法華三昧に無相行・有相行の二意を立てています。
 「安楽行品第十四」に「髻中明珠の譬え」(法華経397)があります。転輪聖王は、兵士に対し、その勲功にしたがって城や衣服、財宝などを与えて報いましたが、髻の中にある宝珠だけは妄りに人に与えませんでした。もし妄りに与えると、諸人が驚き怪しむので、もっとも勲功のあった者にのみ髻を解いて授与したのです。
 転輪聖王とは仏、種々の勲功による宝とは爾前の諸経、髻中の明珠とは法華経に譬えられ、法華経が諸経の中でもっとも勝れていることを説いています。 
 『御義口伝』の「安楽行品五箇の大事」(御書1762)には、「第一 安楽行品の事」「第二 一切法空の事」「第三 有所難問不以小乗法答但以大乗而為解説令得一切種智の事」「第四 無有怖畏加刀杖等の事」「第五 有人来欲難問者諸天昼夜常為法故而衛護之の事」という、五つの大事があります。
 朝夕の勤行唱題を真面目に行うところ、昼夜にわたり諸天の加護があります。