日蓮正宗の信心をすれば、御本尊様の右脇に「現当二世」と認められておりますように、現在は安穏な生活を送れ、後生という未来では善い処に生まれます。御本尊様を信じ、勤行唱題に精進すれば、現世安穏・後生善処は疑いないのです。
釈尊は『法華経薬草喩品第五』に、
「現世安穏にして後に善処に生ず」(法華経217)
と説かれています。現世安穏・後生善処の原点は、釈尊が説かれた『法華経』にあります。これは、如来の法力を説いたもので、妙法を信受する衆生の三世にわたる福徳を述べたものです。
中国の天台大師は『法華文句』に、
「現世安穏後生善処とは、即ち是れ報因に報果を感ず」(文句記会本中409)
とあり、現世に妙法の弘通に励んだ因は自己の境涯を開き、因果の二法によって必ず未来世には善処へ生まれるとしています。つまり、因果応報を天台は、妙法の修行の上に説かれたものです。
『御講聞書』に、
「所詮此の妙法蓮華経を聴聞し奉るを現世安穏とも後生善処とも云へり。既に上に『是の法を聞き已(お)はって』と説けり。聞は名字即の凡夫なり。妙法を聞き奉る所にて即身成仏と開くなり。『若し能く持つこと有らば即ち仏身を持つなり』とは是なり。聞の故に持ち奉る、持ち奉るが故に三類の強敵(ごうてき)来たる、来たるを以て現世安穏の記文(きもん)顕はれたり。法華の行者なる事疑ひ無きなり。法華の行者はかゝる大難に値ふべしと見えたり。大難に値ふを以て後生善処の成仏は決定(けつじょう)せり。是豈(あに)現世にして安穏なるに非ずや。後生善処は提婆品に分明に説かれたり。所詮現世安穏とは法華経を信じ奉れば、三途八難の苦を離れ、善悪上下の人までも皆教主釈尊同等の仏果を得て自身本覚の如来なりと顕はす自身の当体、妙法蓮華経の薬草なれば現世安穏なり。爰(ここ)を開くを後生善処と云ふなり。妙法蓮華経と云ふは妙法の薬草なり。所詮現世安穏は色法、後生善処は心法なり。十界の色心妙法と開覚するを現世安穏後生善処とは云ふなり。所詮法華経を弘むるを以て現世安穏後生善処と申すなり云云」(御書1838)
と御教示です。御本尊様を受持信行したときの功徳を仰せで、持つことで三類の強敵が出現して現世安穏と知り、大難に値うことで後生善処は疑いないことを確信するよう御指南です。三類の強敵や大難に値うことで、強靭な精神が身に付き、御本仏日蓮大聖人の御境界へと近づくことが出来るのです。
信心をしなければ、現実の生活に起こりうる苦難も、何故起きるのか理解に苦しみ、どのように解決すればよいのか迷うところですが、信心することにより、人生の障害物となる苦難を、成仏の糧に全て活かしていきます。
具体的には、大聖人が御指南される修行、勤行唱題と折伏を行うことで、自然と現当二世といわれる、現世安穏・後生善処が現実になるのであります。