正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

妙法の四力「信力と行力」

2005-11-21 | 手引書⑩

 御本尊様を受持し信心する上で、「信力と行力」が大事です。「信力と行力」がなければ、御本尊様から有り難い御利益や功徳を頂くことが出来ません。第二十六世日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
  「『但法華経を信じ』とは、即ちこれ信力なり。『南無妙法蓮華経と唱う』とは、即ちこれ行力なり」(御書文段200)
と『当体義抄』を釈され、信力と行力について御指南です。信力とは、御本尊様を信じる心。行力が余事を雑えず御題目を唱える修行です。「信力と行力」により、御本尊様の尊い「仏力と法力」に浴することが出来、功徳が頂けます。
 更に日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
 「所謂『信力』とは一向に唯この本尊を信じ、この本尊の外には全く仏に成る道無しと強盛に信ずるを即ち『信力』と名づくるなり。天台の所謂『但法性を信じて、其の諸を信ぜず』とはこれなり。『行力』というは、日出すれば燈詮なし、雨降るに露は詮なし。今末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし。故に余事を雑えず、但南無妙法蓮華経と唱うるは即ちこれ『行力』なり」(御書文段228)
と重ねて御本尊様を受け持つときに、「信力と行力」が大切であると御指南で、末法という現代は、三大秘法の御本尊様だけに御題目を唱えることが大事です。
 日蓮大聖人は『生死一大事血脈抄』に、
  「日蓮先づ粗(ほぼ)弘め候なり。相構(あいかま)へ相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈此より外に全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益なり」(御書515)
と仰せのように、強盛な信力があっても、「信心の血脈」から外れた信力では、無益であることを御指南です。時の御法主上人猊下の御意に、信伏随従した「信力と行力」が実を結び、成仏の境涯へと繋がります。
 日寛上人は「信力と行力」だけではなく、御本尊様の「仏力と法力」が必要であることを『観心本尊抄文段』に、
 「花は信力の如し。蓮は行力の如し。水は法力の如し。日は仏力の如し。当に知るべし、蓮華は水に依って生じ、我等が信力、行力は必ず法力に依って生ずるなり。若し水なくんば則ち蓮華生ぜず、若し法力なくんば何ぞ信行を生ぜん。この故に本尊を仰ぎ奉り法力を祈るべし。水に依って蓮華を生ずと雑も、若し日光を得ざれば則ち翳死疑わざるが如く、我等法力に依って信力・行力を生ずと雖も、若し仏力を得ざれば信行退転さらに疑うべからず。」(御書文段228)
と仰せのように、日光と水を意味する「仏力と法力」がなければ、「信力と行力」が実りません。この日光の仏力と水の法力とは、総本山大石寺に在す、本門戒壇の大御本尊様です。この御本尊様に私達の「信力と行力」を強盛にすることが大切なのです。その上で、寺院の御本尊様や家庭に御安置されている御本尊様に、御題目を唱えることが大事です。それが日蓮正宗七百年間の伝統です。否定する人は、信心に対する浅識を恥じるべきでしょう。
 故に、総本山大石寺登山の重要な意味は、最高の「仏力と法力」を頂いて、私達の「信力と行力」が退転しないよう、不動の信行にするための登山です。
 日蓮正宗の信心は、他力本願ではなく、「信力と行力」を強盛に励むところにあり、その姿に御本尊様が、私達に有り難い功徳を施して下さるのです。