正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

信心は所作仏事が大切

2005-11-21 | 手引書⑤

 「所作仏事」とは、私達が朝夕の勤行で唱える『如来寿量品第十六』の経文です。私達の凡眼凡智では知ることの出来ない、仏様の御化導は五百塵点劫の大昔から一度も止まることなく続いています。仏様の振る舞いを真似ることが「所作仏事」であり、あらゆる人生の迷いを消滅させることが出来ます。
 「所作仏事」とは、心の迷いや悩みを煩悩即菩提させる作法です。つまり、迷いや悩みを生む言動を止め、幸せになる言動を行い所作することです。末法の御本仏で在らせられる日蓮大聖人の御指南を拝し信心していくところに「所作仏事」があります。その時代々々で、背景が異なりますので、その時の御法主上人猊下の御指南に従って、その時代の「所作仏事」を行うことです。
 「所作仏事」とは、「所作」が振る舞い・動作・所行のことで、能作に対する語です。能作は所作を発する身口意の三業です。「仏事」が仏の教化、法を弘める行為(弘法・弘通)と日蓮正宗の行事や御本尊様に御供養すること、御先祖様に追善供養することです。それらの所作と仏事を素直に行うことで成仏できます。
 具体的な仏事を成す所作は、勤行唱題を基本とする御本尊様への御給仕や日蓮大聖人の教えを伝える折伏です。御本尊様が御安置される仏壇を常に綺麗にし、朝にはお水や御飯を供え御給仕をします。御本尊様への御給仕は、日蓮大聖人が生きておられることを心に思い浮かべることが大事です。御本尊様は生身の日蓮大聖人の御魂が墨に染め流されております。粗相のない様、丁重に御給仕することです。
 この御本尊様への御給仕で身に付く作法が、成仏に繋がる振る舞い「所作仏事」です。御本尊様への御給仕で身に付けた作法を、御給仕だけに止めるのではなく、生活の場に広げることで落ち着いた行動がとれるようになります。その行動には「防非止悪」という非を防ぎ悪を止める働きがあり、煩悩の根源である貪瞋癡の三毒を静めます。更に成仏を妨げる作用を防ぎ「我此土安穏」な境界へと通じるものです。この振る舞いを一生涯全うすることで成仏が出来ます。
 「所作仏事」が即折伏に繋がり、御本尊様の御利益により人々を成仏へと自然に導くことが出来ます。折伏での「所作仏事」とは、「不軽菩薩(ふきょうぼさつ)」の振る舞いを心がけることです。誹謗中傷・悪口罵詈を受けても同調せずに「忍辱の鎧」を着て振る舞うことが大事です。『崇峻天皇御書』に、
 「不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ」(御書1174)
と仰せであり、『百六箇抄』に、
 「今日蓮が修行は久遠名字の振る舞ひに介爾(けに)計(ばか)りも違はざるなり」(御書1695)
と御指南の如く、日蓮大聖人の御修行は久遠の古仏の振る舞いです。一番はじめの仏様が「久遠の古仏」です。この「久遠の古仏」が中心となって、垂迹仏と言われる様々な仏様が居られます。私達も御先祖様を忘れてはいけないように、仏様の先祖「久遠の古仏」を忘れて他の仏様や神様を崇めていては本当の功徳を頂くことが出来ません。世間の多くの人は、この事を全く知りません。日蓮大聖人だけが仰せになることであり、日蓮正宗だけが世界で主張しているのです。そのため、他宗では成仏できないと折伏をし、布教しているのです。
 その「久遠の古仏」の振る舞いが「所作仏事」であり、常日頃の御本尊様への御給仕もそうです。勤行唱題をして御題目を唱える姿も「所作仏事」であり、寺院参詣により自然と身に付いていきます。