正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

寿量品の「毒気深入 失本心故」とは

2005-11-21 | 手引書④

 『御義口伝』に、
 「毒気深入(どっけじんにゅう)とは権教謗法の執情(しゅうじょう)深く入りたる者なり。之に依って法華の大良薬を信受せざるなり。服せしむと雖も吐(は)き出だすは、而謂不美(にいふみ)とてむま(美味)からずと云ふ者なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は而謂不美の者に非ざるなり」(御書1768)
と仰せであります。「毒気深入 失本心故」とは、毒気という謗法の命が心の深くには入り込み、信心に目覚める気持ちを失った状態を言います。
 折伏では、毒気を取り除く作業が必要です。信心の話をして、一見納得したような態度を見せても、心に染み付いた過去からの謗法の思想に染められ、信心に大切な発心が育たない場合があります。また周りに縁する人によって発心が育たない場合があります。折伏における一つの壁です。
 この壁よって私達の信心を、御本尊様から強盛にさせて頂くことが出来ます。壁にぶつかったときの判断が未来を左右します。他に迷いや悩みがなく「毒気深入 失本心故」した人を折伏することだけに悩めることは、非常に幸せなことであります。見方を変えた場合、他の生活における悩みは自然と御本尊様から護られている証拠です。この折伏に悩めることが「現世安穏 後生善処」です。折伏の悩みがもてることで、生活が安定していることを理解しましょう。
 『御講聞書』に、
 「本心と云ふは法華経の信心の事なり。失と申すは謗法の人にすかされて、法華経を捨つる心出来するを云ふなり。されば天台大師云はく『若し悪友に値(あ)へば則(すなわ)ち本心を失う』云云。此の釈に悪友とは法謗の人の事なり。本心とは法華経なり。法華経を本心と云ふ意は、諸法実相の御経なれば十界の衆生の心法を法華経とは申すなり。而るに此の本心を引きかへて、迷妄の法に著するが故に本心を失ふなり。(中 略)失とは無明の酒に酔ひたる事なり。仍(よ)って本心を失ふと云ふなり。此のえ(酔)いをさますとは権教を捨てしむるを云ふなり云云」(御書1857)
と御指南のように「本心を失う」ことについて仰せです。折伏の他に、家庭訪問における教化育成や法統相続には、本心を失った人を育てるのに思い悩まされることでしょう。これが三惑の塵沙惑になり、信心する上での惑いです。 
 世間の謗法の思想に酔いしれ、本心を失った人の気持ちを十分理解していくことが大事です。相手を知らずして教化育成は成就しません。家庭訪問を地道に繰り返すなか、動執生疑を誘発させる機会を窺い、更なる発心をうながすことです。「毒気深入 失本心故」した人には、地道な家庭訪問しかありません。家庭訪問の中でいつもの雰囲気と違うものを感じ、「四苦八苦」の苦しみを取り除くことで「毒気深入 失本心故」した命に信心を目覚めさせる気運があります。
 「毒気深入 失本心故」した人と生活を共にしていく時は、謗法の考えに汚染される可能性があります。日々勤行唱題を怠らず精進するところに汚染されない気持ちが出来上がります。