正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

信じることで理解を深める「信解」(信解品第四)

2005-11-15 | 妙法蓮華経並開結 略要旨私考

 信心は、信じることにより理解することが出来、疑うところには仏法を正しく理解することが出来ません。
 『涅槃経』には、「信解四句分別」という信と解の関係を、四種に分別しています。信而不解(しんにふげ)・解而不信(げにふしん)・亦信亦解(やくしんやくげ)・非信非解(ひしんひげ)という四つです。
 信而不解とは、法を聞いて信ずるけれどもその義を了解しないこと。解而不信とは、理解はするが信じないこと。亦信亦解とは、法を信じ、かつ領解すること。非信非解とは、信じもせず理解もしないことです。
 更に日蓮大聖人は『顕謗法抄』に、
「四句あり。一に信而不解(しんにふげ)、二に解而不信(げにふしん)、三に亦信亦解(やくしんやくげ)、四に非信非解(ひしんひげ)。問うて云はく、信而不解の者は謗法なるか。答へて云はく、法華経に云はく『信を以て入ることを得(法華経175)』等云云」(御書290)
と「信解四句分別」について、以上の御指南の後に詳しく説かれます。
 『法華経』において「信解品第四」(法華経185)が説かれており、『御義口伝』では「信解品六箇の大事」(御書1737)があります。「第一 信解品の事」「第二 捨父逃逝の事」「第三 加復窮困の事」「第四 心懐悔恨の事」「第五 無上宝聚不求自得の事」「第六 世尊大恩の事」の六つの大事です。
 そのなかの「第一 信解品の事」に、
「御義口伝に云はく、法華一部二十八品の題号の中、信解の題号此の品に之(これ)有り。一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり。此の信の字は元品(がんぽん)の無明を切る所の利剣なり。其の故は、信は無疑曰信(むぎわっしん)とて疑惑を断破(だんぱ)する利剣なり。解とは智慧の異名なり。信は価の如く解は宝の如し。三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり。信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚(むじょうほうじゅ)不求自得(ふぐじとく)の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり」(御書1737)
と御教示であります。理解を得るには信じることが何に大事であるか、説かれているのです。信じることで、迷いを断ち、無上の宝聚を得られるのです。
 「信解品第四」では、「長者窮子の譬え」が説かれています。「長者窮子の譬え」とは、長者の子供が幼い時に家出し、長い間、他国を流浪し困窮したあげく、父の城にたどり着きます。一見して、それが我が子であることを知った長者は、窮子を掃除夫として雇い入れ、後に財産の管理を任せました。やがて臨終を前にした長者は、窮子に実の子であることを明して、財宝の一切を譲り渡しました。長者とは仏、窮子とは衆生に譬えられ、一切衆生は仏の化導によって、仏子であることを自覚し、成仏の大益を得ることができるのであります。
 「長者窮子の譬え」では、巧みに種熟脱の三時を五時にわたって説叙して、領解のままをのべて説いています。大通下種からはじまり、熟益を経て、擬宜・誘引・弾呵・淘汰・開会して脱益し、一連の流れを「長者窮子の譬え」を用い信解を促しています。