正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

「我此土安穏」な境界とは

2005-11-21 | 手引書④

 『守護国家論』に、
 「問うて云はく、法華経修行の者何(いず)れの浄土を期すべきや。答へて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云はく『我常在此娑婆世界』と。亦云はく『我常住於此』と。亦云はく『我此土安穏』文。此の文の如くんば本地久成(くじょう)の円仏(えんぶつ)は此の世界に在(いま)せり。此の土(ど)を捨てゝ何れの土を願ふべきや。故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思うべし。何ぞ煩(わずら)はしく他処を求めんや」(御書155)
と「我此土安穏」という境界は、別の世界にあるのではなく、「法華経修行の者の所住の処を浄土と思うべし」と仰せであります。私達が住むところが安穏になるのです。念仏を唱える浄土宗や浄土真宗は、悩み多き地球上を離れ別の世界、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)を求める思想ですが、日蓮正宗の信心は、私達が住む地球上に清らかな浄土があると教えます。 
 念仏宗で説く「西方極楽浄土」に行くまでが大変です。一生かかっても行けるところではありません。非常に遠いところにあります。そのことを考えれば、地球上で地道に日蓮正宗の信心をして本当の「浄土」を築いていく方が意味があります。更に日蓮大聖人は、そんなに遠い「西方極楽浄土」に行くのであれば時間が無駄であり、私達が住んでいるところで、綺麗な住みよい環境を造り育てた方が意義があると教えられ、未来に生まれる人達にも素晴らしい環境を残し住まわせることが出来ると御指南されています。
 その反面、浄土宗や浄土真宗で説く教義は、地球上で未来、生きていく人のことを考えない思想です。浄土宗や浄土真宗を折伏する際は、以上の点を諭すことが大事でしょう。
 つまり「我此土安穏」とは、清らかで住みよい場所は、私達が住む地球上にしかなく、今住んでいる家が「我此土安穏」という本当の浄土に変わりますということです。具体的に「我此土安穏」な境界に変える方法を日蓮大聖人が教え残されており、歴代の御法主上人が世間法に染まらないように厳護されてきたのであり、今現在でも日蓮正宗には伝えられています。
 「我此土安穏」な境界に変える方法とは、血脈が通った三大秘法の御本尊様が御安置されるところが「我此土安穏」な境界に変わる要素を秘めています。勤行唱題を根本に信心修行を地道に積み重ねるところ、現実のものとなってきます。「我此土安穏」は、御本尊様を御安置しているだけではなく実際に行動を起こさなければ変わりません。怠慢な他力本願ではいけないのであります。「他力本願」は念仏で説く教えです。御本尊様を受持しても、それは信心ではなく念仏の思想に汚染された似非信心であることを誡めるべきです。
 「他力本願」の考え方を変える修行方法が勤行唱題です。勤行唱題をすることで、「他力本願」の命を改め、念仏的な考え方を防非止悪させることができます。毎日の勤行唱題は欠かさず行うことが大事です。そこに「我此土安穏」な境界があります。