正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

不染世間法 如蓮華在水

2005-11-21 | 手引書③

 『御講聞書』に、
 「仰せに云はく、世間法とは、全く貪欲(とんよく)等に染(せん)せられず、譬へば蓮華の水の中より生ずれ共(ども)、淤泥(おでい)に染まざるが如し。此の蓮華と云ふは地涌の菩薩に譬へたり。地と云ふは法性の大地なり。所詮法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し。但唯以一大事(ゆいいいちだいじ)の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり。世間法とは、国王大臣より所領をたまはり官位をたまふ共(とも)、夫(それ)には染せられず、謗法(ほうぼう)の供養を受けざるを以て不染世間法とは云ふなり。所詮蓮華は水を離れて生長せず。水とは南無妙法蓮華経是なり。本化(ほんげ)の菩薩は蓮華の如く、過去久遠より已来本法所持の菩薩なり。蓮華在水とは是なり。所詮此の水とは我等行者の信心なり。蓮華は本因本果の妙法なり。信心の水に妙法蓮華は生長せり。地とは我等衆生の心地なり。涌出(ゆじゅつ)とは広宣流布の時、一閻浮提の一切衆生、法華経の行者と成るべきを涌出とは云ふなり云云」(御書1847)
と御指南であります。「不染世間法 如蓮華在水」とは、法華経の『従地涌出品第十五』に説かれる経文であり、日蓮大聖人が説かれる日蓮正宗の教えは、世間法に一切染まっていない釈尊が説かれる純粋な仏法を伝えているのであります。それが「不染世間法 如蓮華在水」です。世間の法に染まらざること、蓮華が泥水にあるが如しということです。
 その姿を日蓮正宗の僧侶が、「白蓮華」という白の袈裟と薄墨の衣を着し示しているのであります。他宗の袈裟衣は、仏法が世間法に染まった姿であるので、色彩豊かな袈裟衣を着ているのであります。正しく謗法の袈裟衣であり、堕獄の相を示しています。
 『一代五時継図』に、
 「法鼓経(ほっくきょう)に云はく『黒衣の謗法なる必ず地獄に堕す』文。」(御書1640)
と説かれ、世間に横行する色の付いた黒衣は、謗法で必ず地獄に堕ちると仰せです。つまり黒衣を着た邪宗の僧侶に、通夜・葬儀・法事を頼むと、亡くなった故人は地獄に行くのであります。葬儀や法事は日蓮正宗の僧侶に頼みましょう。必ず成仏します。しかし、改宗し日蓮正宗に入信しなければいけません。
 信心をし成仏を目指していく上で、「不染世間法 如蓮華在水」の心がけが大切です。世間法には多くのものがあります。人間性を無くしてしまう思想や名聞名利を助長させるもの、また人間の本能的な感情を擽る思想が横行しています。これを止める教え、信心の心構えが「不染世間法 如蓮華在水」であります。信心では自行化他にわたって考えていくことが大事です。
 『当体義抄』に、
 「地涌(じゆ)の菩薩を現証と為す事は経文に『如蓮華在水』と云ふ故なり」(御書696)
と御指南であります。泥水の中にも綺麗な蓮華の花を咲かせるような信心が大事であり、それこそが地涌の菩薩であるという仰せです。「如蓮華在水」といわれる地涌の菩薩の振る舞いを持って折伏することです。世の中は泥水のように濁った思想が乱れる世界です。この世界で、世間法に染まることなく信心を貫くことが「如蓮華在水」であり、成仏の境界に結びつきます。「不染世間法 如蓮華在水」の場所とは御本尊様が御安置されているところです。