醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  641号  櫻狩りきどくや日々に五里六里(芭蕉)  白井一道

2018-02-04 13:16:54 | 日記

 櫻狩りきどくや日々に五里六里  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「櫻狩りきどくや日々に五里六里」。芭蕉45歳の時の句。「櫻」と前詞を置き、『笈の小文』に載せてある。
華女 「きどく」とは、どんな意味なのかしら。
句郎 漢字にすると「奇特」というとのようだ。
華女 「奇特」は「きとく」と読むのじゃないの。
句郎 辞書を引いたんだ。古語辞典には「きどく」を「奇特」と書いてある。国語辞典には「奇特」を「きとく」と書いている。注に古くは「きどく」と書いている。
華女 芭蕉の時代は「奇特」を「きどく」と言っていたのね。ないか不思議な印象を受けるわね。
句郎 「きとく」を「きどく」と時代が新しくなるにつれ、変わったというような印象があるかな。
華女 そんな感じを受けるわね。
句郎 桜狩りに夢中になる自分を笑っている。芭蕉は自分を笑っている。自分を笑うとは、自分を客観的に見ているということだ思う。
華女 芭蕉と杜国は吉野山の桜を毎日毎日五里も六里も飽きることなく見て回ったということなのよね。
句郎 、こんなに飽きることなく、吉野山の桜狩りに飽きることなかったということは、まず吉野には西行の庵跡があり、西行を偲ぶ桜の花に飽きることがなかったということ、さらに吉野山には源義経を偲ぶことができたということなんじゃないのかな。
華女 芭蕉は西行と義経が好きだったのね。桜の歌人、西行は吉野でどのような歌を詠んでいるのかしら。
句郎 「吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき」「花を見し昔の心あらためて吉野の里に住まんとぞ思ふ」「今よりは花見ん人に伝へおかん世を遁れつつ山へ住まへと」「願わくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」特に辞世の歌が特に有名なのかな。
華女 桜の花には人を狂わせるような魅力があるのよね。
句郎 「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」。作家の梶井基次郎が書いているからね。『桜の森の満開の下』は恐ろしい。坂口安吾は短編小説を書いているからね。都の白い女の魅力が桜の花にはあるんじゃないのかな。「山の上には雲が流れていた
あの山の上で、お弁当を食ったこともある……
女の子なぞというものは
由来桜の花弁(はなびら)のように、
欣(よろこん)んで散りゆくものだ」詩『雲』中原中也は書いている。
華女 男は皆、桜の花を見て若く白い美しい女をイメージするね。若い男がそんなことを想像するのは分かるような気がしないでもないけど。爺さんまでが桜の花を見て怪しげな女を想像して楽しんでいるなんて思うとちょっと気持ち悪いわね。女は全然思わないわよ。