醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  639号  花の陰謡に似たる旅ねかな(芭蕉)  白井一道

2018-02-02 14:45:49 | 日記


 花の陰謡に似たる旅ねかな  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「花の陰謡に似たる旅ねかな」。芭蕉45歳の時の句。「大和の国を行脚しけるに、ある農夫の家に宿りて一夜を明かすほどに、あるじ情け深くやさしくもてなし侍れば」と前詞を置き、詠んでいる。
華女 芭蕉はこの句で旅寝を詠んでいるのよね。
句郎 「謡に似たる旅寝」を詠んでいるんだと思う。「花の陰」は芭蕉が想像した世界のことなんじゃないのかな。
華女 芭蕉が心に描いた謡とは何だったのかしら。
句郎 大和の国吉野のある農家の家に芭蕉は世話になった。芭蕉は義経の熱烈なファンだった。義経が兄頼朝に追われる身になったとき、義経は弁慶と静御前、郎党を連れ吉野に逃れている。吉野の花の陰に隠れた義経を芭蕉は思いやっていたのかもしれない。
華女 謡とは、きっと義経と静との悲恋物語ね。
句郎 静御前は白拍子だったというからね。
華女 白拍子とは、遊女のような人々の事よね。
句郎 悲劇の英雄義経と白拍子の静との恋物語と言えば、誰でもが興味関心をもつ出来事だろうからね。
華女 芭蕉もミーちゃんハーちゃんだったのね。
句郎 、「二人静」という謡があるそうなんだ。もしかしたら芭蕉は「花の陰」と言う言葉に義経を慕う静の面影を思ったのかもしれないな。
華女 悲劇の武将、義経を慕う美貌の白拍子、深い思いを秘めて舞う静の姿を芭蕉は瞼に思い描いていたのかもね。男はそんな女が好きなのよ。実際にはそんな女なんて今までだってこれからもいやしないに決まっているのにね。実際の女は現実的だからね。
句郎 季節の言葉、「花の陰」に人々が寄せる思いとは、はかなさのようなものかな。
華女 そう、命のはかなさのようなものなのかもしれないわ。
句郎 静御前、その美貌のはかなさ、義経、英雄のはかなさは桜の花のはかなさに通じるように感じるな。
華女 そのはかなさの裏には重量感のある恨み、妬み、憎しみのようなどす黒い思いがあるのよ。
句郎 あぁー、そうなのかもしれないな。芭蕉にはそのような句は無いように思うけれど。
華女 きっとそうなんでしよう。近代以降の俳句にはそのような俳句があるのよ。
句郎 季語「花の陰」を詠む俳人が皆、同じような俳句を詠み始めると手垢の付いた俳句がたくさん出てくることになるだろうからね。
華女 だから例えば原石鼎の句に「花影婆娑(かえいばさ)と踏むべくありぬ岨(そば)の月」があるわ。大正2年、1913年に詠まれた句よ。この花影には、重量感があると思わない。
句郎 大岡昇平の小説に「花影」があるでしょう。この小説が表現している世界は命のはかなさそのものだと思う。しかし、この世界の裏にはきっと恨みや憎しみのようなものがあるに違いないと思うな。重量感のあるどす黒い思いだな。
華女 夏目漱石の「雀来て障子にうごく花の影」という句は芭蕉の句の延長線の上にある句のように感じるわ。