日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

フィデル・カストロ前議長に慎んで哀悼の意を表します

2016年11月27日 23時15分49秒 | その他・未区分
希代のカリスマ革命家=世界各地の左翼に影響―フィデル・カストロ氏


時事通信 11/26(土) 17:28配信

 希代のカリスマ革命家がついに逝った。

 米フロリダ半島まで約150キロと目と鼻の先の小さな島国キューバで社会主義革命を成し遂げ、米国と対峙(たいじ)したフィデル・カストロ氏。暗殺未遂事件は600回を超える。革命政権を維持しつつ、天寿を全うしたこと自体、驚異的だった。

 「歴史は私に無罪を宣告する」。カストロ氏が生前残した数々の情熱的な演説の中で最も有名な言葉だ。1953年、親米のバティスタ政権による圧政に抵抗し、若き弁護士カストロ氏は同志らとモンカダ兵営襲撃を敢行した。失敗し拘束されると、自らを裁く公判で類いまれな弁舌を発揮。法廷を「革命プロパガンダ」の舞台に変えた。多くの同志を束ねる求心力、人を引き込む雄弁と情熱。国際社会でも比類のない存在感を持つ指導者だった。

 反米の旗手として、中南米を中心に世界各地の左翼勢力の精神的な支えだった。盟友の故チャベス・ベネズエラ大統領ら強硬な反米左派だけでなく、ブラジルなど穏健左派政権にも多大な影響を与えた。「米国の制裁には100年でも耐えられる」と豪語して制裁を耐え抜き、アフリカへの「革命の輸出」を進めて、非同盟諸国をけん引した。

 圧倒的な指導力で推し進めた革命には副作用もあった。中南米では珍しく非識字者がほぼ皆無という高い教育水準、海外に「輸出」できるほど高度な医療サービスを実現したものの、1991年のソ連崩壊後は、東側陣営への砂糖輸出に頼っていた単一的経済が悪化。経済は長く低迷し、閉塞(へいそく)感の強まったキューバからは亡命・脱出者が続出した。

 後を継いだ実弟ラウル・カストロ現国家評議会議長は立て直しに向けて、米国との国交回復や、市場原理を部分的に導入する経済の段階的自由化を余儀なくされた。

 政界引退後も、国営メディアを通じて国際情勢を精力的に論じ、「帝国主義」に対抗する姿勢が色あせることはなかった。「革命か死か。勝利の日まで」のスローガンに象徴される強烈な革命思想。その精神は、欧米の影響下に入るのを嫌う人々の心を今も鼓舞し続けている。



フィデル・カストロ前議長に対し慎んで哀悼の意を表します。

私は反共主義者であり、共産主義を憎む者でありますが、キューバのカストロ議長、ベトナムの胡志明主席、旧ユーゴのチトー大統領、ベネズエラのチャベス大統領は別格で尊敬しています。

彼らは国を守り、民を守る為に共産主義者となりました。
そして、国家と人民を守り抜きました。

他の共産国の指導者は人民を虐げて私腹を肥やしたクズばかりですが、彼らは真摯に共産主義を実践し、国民の生活を守ろうと努力しました。

記事にもある通り、故カストロや故ゲバラの思想や行動は世界中の左翼に影響を与えています。
 
しかし、そのほとんどは本当に心から彼らの思想を理解しているとは思えません。
日本のサヨク(パヨク)はカストロやゲバラをシンボルにしますが、まともな労働運動を行いません。

日本には本当の左翼は存在しません。



私達はカストロ議長の志を受け継ぎアメリカや支那、ロシア、EUの帝国主義者共、ブラック企業、悪徳政治家、悪徳行政に立ち向かいます。

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