しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

アルジャーノンに花束を ダニエル・キイス著 小尾芙佐訳 ハヤカワ文庫

2017-04-22 | 海外SF
本作は‘12年ローカス誌オールタイムベスト50位‘06年SFマガジンオールタイムベスト21位、1966年発刊、1967年ネピュラ賞受賞。

本作が昨年(2016年)最後に読了した作品となります。(感想書くの遅い….。)

今回は長編版を読みましたが中編版は1959年発表、1960年のヒューゴー賞を受賞しています。(こちらは未読、ハヤカワ文庫の「心の鏡」に収録)

中編は‘12年のローカス誌オールタイムベスト中編部門でアシモフの「夜来たる」(2位)を抑えて堂々の1位になっております。
まぁ「夜来たる」が「ものすごい名作」であるかは置いておき….。
「アルジャーノンに花束を」が相当評価の高い作品であることは間違いないですね。
つい最近もテレビドラマ化されていましたし日本でも有名な作品といえるでしょう。

キイスが日本語文庫版へ向けた序文の中で中編版のヒューゴー賞をアシモフから手渡される際のエピソードとしてアシモフが書いていることとして「 私(=アシモフ)は知の女神(ミューズ=キイス)に問うた。いったいどうやってこんな作品を創りあげたのですか?
……ダニエル・キイスはそのときかの不滅の名言をはいたのである。
「ねえ、わたしがどうやってこの作品を創ったか、おわかりになったら、このわたしにぜひ教えてください。もう一度やってみたいから」。
中編版の後、長編版をあらためて書くくらいですからかなり著者にとって思い入れのある作品なんでしょうね。

高校か大学の頃(1980年代後半)本作とダニエル・キイスのブームがあったような気がしているのですが…。
ハヤカワでは今でも「ダニエル・キイス文庫」と称して売っていますが、当時「若い女性向け」という感じで売り出されていたような記憶があります。

調べてみると映画化が1968年(アメリカ)2000年(カナダ)2006年(フランス)で’80年代と縁がない、日本でのテレビドラマ化が昨年(2016年)と2002年(チャーリー=ユースケ・サンタマリア…なんとなく覚えています。)

80年代はなんでブームだったんでしょう???。
私も筋立ては当時大体知っていましたし、映画がリバイバル上映でもされていのでしょうか???、ちらちらネットで調べていたら少女マンガ化されていたような情報もちらりとありましたが…未確認。

ということでいまさら隠す基本ストーリーでもないでしょうから書きますが、科学の力で知能を上げる方法が開発されネズミで成功。
その方法を知恵おくれの人間に適用、効果が上がるが最後は元に戻ってしまう。(もしくは、もっと悪くなる)というもの。

ネズミの知能を上げて元に戻るということでは手塚治虫の「ヤジとボク」(1975年)にも翻案されています、中高生くらいのときは「ヤジとボク」の方が先だと思っていましたが今回改めて調べたら逆でした(まぁそうですようね)

長々書きましたが、本作なんとなく内容知っていてそれほど面白いとも感じられなかったのと、ハヤカワ文庫で「女性向け」という感じで持ち上げられているのと、テレビドラマでまたやられているのと等々があり若干天邪鬼気味な私としてはあまり手に取る気にならない作品でしたが、オールタイムベストの順位で順番がめぐってきたため「しょうがなく」(?)手にとりました。

現物自体は世の中にいっぱいあるのでブックオフで108円で購入済みでした。


内容紹介(裏表紙記載)
32歳になっても幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイ・ゴードン。そんな彼に、夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が頭をよくしてくれるというのだ。この申し出にとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に、連日検査を受けることに。やがて手術により、チャーリイは天才に変貌したが…超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独を通して人間の心の真実に迫り、全世界が涙した現代の聖書(バイブル)。

この「全世界が涙した現代の聖書(バイブル)」というのが前述のように若干ひねくれている私としては気になるのですが….。

実際読んでみるとさすが評価の高い名作だけあって面白かったです。
ただやはり「現代の聖書」というのは言い過ぎな気はしました。

チャーリーが頭がよくなる過程でいままで気付かなかったパン屋の他の店員のイジメやみにくい行いに気づき苦悩するところ、頭がよくなっても楽しめないところ、再び元の状態(もっと悪い状況)に戻るところと、この話の枠組みを基から知っている立場からするとベタな展開ではあるのですが、けしてあざとくではなく真摯に丁寧に描いているところは好感が持てました。
「涙する」まではいきませんでしたが感動的ではありました。

本作品ではチャーリーと「先生」である聖女的存在のアリスの純愛も大きなパートなんでしょうが、「ティファニィで朝食を」のホリー的な、頭がよくなった後逃げ出してチャーリーが住んだ部屋の隣に住む芸術家かつちょっと変わった女性フェイとの逢瀬が印象に残っています。
「愛」をもってチャーリーを見ていたのがアリスですが、フェイは登場人物の中で一番なんの偏見もなく(少なく)チャーリーを見ていた存在のような….。
チャーリーもそれがわかるから終盤あられもない(ある意味素直な)態度・行動になったんでしょうね、魅力的でした。

その他パン屋の主人や店員との関係、チャーリーの両親・妹との関係のチャーリー自身の知能の変化やチャーリー以外の人間の経過した時間による変化など「人間の関係性」にいろいろ示唆されるところもあります。

知能を上げる「手法」にフォーカスを当てた「SF」というよりは、知能の変化による人間関係の変化、人間にとっての知能の価値とはなにか?というような問題を描いた作品でかと思います。

あと本書「本人の手記」というスタイルをとっているため知能が低いチャーリーの文章から徐々に変化を感じさせる、というこった手法の文章をうまく和訳している訳者の技にも感心しました。

まぁ私のような偏見をもって本書を手に取らない人がいたとしたら(そんなにいない?)一読お勧めです。

真摯に描かれた良作だと思います。

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2 コメント

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追記 (雨亭)
2017-08-08 04:42:37
まぁ医療分野で食べている…
雇用として看護師(西洋医学)、開業として鍼灸マッサージ師(東洋医学)と、分野も私語ともヌエのような者ですが、それでも医療人の端くれ!
この作品は病院で介護職員しながら準看護学校に通った時と、鍼灸学校に40代で通った時として時に読みました。
もともとは死んだ嫁(看護師)の本なのですが。

わたしが衝撃を受けたのは、知能退行を避けられなくなった主役が、知的障害者の施設を見学に行くシーンです。
職員の熱意が有りながら諦念のきわみな姿。
体は成長しているが自活できぬ赤子も同様な
両者たち。0歳児が大人の体をしていたら……悪夢でしょう?
私はある施設で三眼の利用者にあった事柄有ります。守秘義務で大久は語れませんが。
手塚治の漫画ではあるまいし…彼に智能があっても外で好奇の目に晒されずに生きて行くのは不可抗力だなぁ…感じました。彼が知的障害者なのは……とも。
私はキャリアの多くは精神科でしたので、普通の介護福祉とは違います。
アルツハイマー症の方が間違えていても、否定してはいけない!と言われます。精神科は間違えている事を肯定してはいけない!
叱っても良いとされてましたし、医師の指示で拘束もできますから。その点は「綺麗事」に振り回されず、精神的に楽でした。
それでも、主役が見学に行く施設の、ヒューマニズムでは解決されない姿や、職員の疲れた姿はリアルでした。
正直者に言うと、この作品、傑作ではありますがキライです!

相模原の悲惨な自見が起きた時に、医療でめしを食う者として衝撃でした。
が、あたまの底で「やっぱり起きたか…」という声がありました。
介護職員は劣悪な環境で、せけんの甘言に縛られて低賃金ですから。私も同僚も看護学校に進学して、あそこから脱出しました!
介護ワーカーのままなら、400万円以上かかる鍼灸学校の学資など貯まりませんよ!

脱線しましたが、感傷的ではあるけれども、
ヒューマニズムの限界から目を反らしてない部分がある点は、日本の医療福祉絡みの文芸作品より大人だと思いますね。では。
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Re:追記 (しろくま)
2017-08-12 05:25:32
雨亭様
おはようございます。
これまた私にも経験のない世界で、現場は想像もつきません...。

私自身が知的障害持たれた方と接した時どう対応するか想像してみると、まぁ外ヅラのいい私ですから表面上は取り繕うと思うので本作のパン屋の同僚的な直接的な嫌がらせはしないと思うのですが...「偏見を持たない」自信はありません。
どちらがより「ひどいのか?」わかりません...。(まぁどちらもひどくもありひどもないのかもと)
本作ではその辺逃げず逆に過剰にもならずに真摯に書かれた名作ですね〜。
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