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さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

民主党の分裂(というか小沢一派の脱藩)は必然かと

2012-07-04 18:12:04 | Weblog

今日も民主党内では、

・やっぱり抜けるのやめるわ

・おれもやっぱり抜ける

のドタバタである。国会を会期延長したのはこのせいかとも思えてくる。ちなみに、通常の法案での「衆議院の優越」とは、参議院が法案を否決した場合、衆議院で2/3以上の票数で再可決した場合は、衆議院での議決が通るということでである。しかも憲法第59条では、休会期間を除き、参議院が法案を受け取ってから60日以内に議決をしなかった場合、衆議院は、参議院がその法案を否決したと見なすことができる。したがって、このまま国会が休会続きだからと言って、いわゆる消費税増税法案が、なし崩し的に成立するということはないので安心していただきたい。

 

今日書きたいのは、政党政治における党綱領の重要性である。2009年総選挙前後にマスゴミが作った空気の下では、

・政党に綱領なんかなくていいじゃない!国民の生活を守れればそれが「いい政治」なのよ!!

などという「バカ無双」を平気で公言する衆愚が増え、それが今に至っている。

 

しかし、今の民主党の見るも無惨な状況を見るにつけ、

・何を以て、「国民の生活を守る」とするのか

が、同じ民主党の中でさえ、180度に分裂している状況がありありと見て取れる。すなわち、

 

野田一派と、「長いものには巻かれろ」の主流派にとっては、

・「消費税を上げること」こそが「国民の生活を守ること」であり、

小沢一派と、「このまま民主党にいては次の選挙で絶対に負ける」と思っている連中にとっては、

・「消費税を上げないこと」こそが「国民の生活を守ること」

になっている。

しかし昨日も指摘したように、民主党は、この危機の最大の処方箋である「デフレ対策」について、野田一派も小沢一派も何も語れていない。その一方で、少なくとも自民党は「公共事業」をデフレ対策として掲げている。

 

民主党は、小沢一派も含め、景気対策を何ら語れていない。にもかかわらず、野田一派の言うように、消費税増税をすれば、当然

・景気がさらに悪化し、97年に橋本政権下で消費税を5%に上げたときのように、税収がさらに減る

可能性が出てくる。一方、小沢一派が言うように、消費税増税をやめれば、当然

・社会保障用の財源が不足するだけでなく、当面の予算の財源すらなくなる

可能性が出てくる。すなわち、デフレ対策を行わなければ、どっちの一派の主張も、そのコインの裏として「危機的状況」を産みかねない。これが、昨今の民主党内のドタバタをめぐる、多くの人が感じている「モヤモヤ感」の原因だろうと推測する。

 

こういうところで、民主党が、政党として、どういう基本方針を持っているか、ということを「綱領」として決めていたか、ということが大きく影響してくる。民主党の中には鳩山由紀夫のように、日本国を「国家」という利益共同体として捉えることすらせずに、「東アジア共同体」だの「普天間基地は最低でも県外」だの、ポロポロ平気で発言できたからこそ、後になってその矛盾が噴出し、自滅したのだ。しかし鳩山とそのブレーンである孫崎享は、今でもそのことが理解できておらず、昨年の朝生でも

・「沖縄海兵隊が抑止力だと言ったのは『方便』にすぎません!」

などと、ドヤ顔で平気で語れる(詳しくはこちらの記事で)。思うに、こういう発言が平気でできるということは、鳩山由紀夫が「内閣総理大臣」という立場で、

「沖縄海兵隊が日本国防衛にとって『抑止力』である」

と発言したということが、日本国家の三権の長である、行政府を統括する内閣総理大臣の発言である、ということが、普通に頭で理解できない、ということを示している。内閣総理大臣が

「沖縄海兵隊が日本国防衛にとって『抑止力』である」

と発言した瞬間、その発言は、日本国の、日本政府の、行政府の長である内閣総理大臣の「公式」の発言となる、ということが、鳩山由紀夫も孫崎享も全く理解できていない。だからこそ、鳩山が総理を辞めた後で、平気で

「あの発言は『方便』に過ぎなかった」

などと「否定」できるのだ。そしてそれを朝生で、ドヤ顔で訴える孫崎享。

 

この、鳩山由紀夫と孫崎享による、あきれてアゴが外れかねない「存在の耐えられない軽さ」、その源泉は、今でも民主党が、党として、「日本国家」を持続させようという気持ちがハッキリと定まっていないことにあるのだろう。でなければ、これだけ頭の悪い発言を平気でしたり、その発言を平気でドヤ顔で周囲に吹聴したりはできないだろう。

 

民主党が、一政党として、「日本国の持続と、日本国民の幸福を願う」という気持ちを「綱領」として定めていたならば、鳩山由紀夫は代表にならなかっただろうし、鳩山と孫崎による「沖縄のおもちゃ化」もなかっただろう。そして鳩山政権下で小沢一郎が幹事長として法案提出権を勝手に一元化したり、天皇陛下と習近平との会談を強引にねじこんだりすることもできなかっただろう。どれも、「日本国家」の根幹に関わる問題だからである。

 

法案提出権や、天皇陛下と誰を会談させるべきか、その段取りをどうすべきかという問題一つ取っても、それが「日本国家」の根幹に関わる問題であると、今でも認識している民主党議員は一体どれだけいるのだろうか。日本国旗を平気で切り貼りして「民主党」の旗を作ることができる政党である。まずいないだろう(苦笑)。

 

ちなみに、自民党の綱領がこれである。

2010年綱領より。

 

 我々は、日本国及び国民統合の象徴である天皇陛下のもと、今日の平和な日本を築きあげてきた。我々は元来、勤勉を美徳とし、他人に頼らず自立を誇りとする国民である。努力する機会や能力に恵まれぬ人たちを温かく包み込む家族や地域社会の絆を持った国民である。

 家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、公への貢献と義務を誇りを持って果たす国民でもある。これ等の伝統的な国民性、生きざま即ち日本の文化を築きあげた風土、人々の営み、現在・未来を含む3世代の基をなす祖先への尊敬の念を持つ生き方の再評価こそが、もう1つの立党目的、即ち「日本らしい日本の確立」である。

 我が党は平成21年総選挙の敗北の反省のうえに、立党以来護り続けてきた自由と民主の旗の下に、時代に適さぬもののみを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求め、国際的責務を果たす日本らしい日本の保守主義を政治理念として再出発したいと思う。

 我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい。従って、我々は、全国民の努力により生み出された国民総生産を、与党のみの独善的判断で国民生活に再配分し、結果として国民の自立心を損なう社会主義的政策は採らない。これと併せて、政治主導という言葉で意に反する意見を無視し、与党のみの判断を他に独裁的に押し付ける国家社会主義的統治とも断固対峙しなければならない。

 また、日本の主権を危うくし、「日本らしい日本」を損なう政策に対し闘わねばならない。我が党は過去、現在、未来の真面目に努力した、また努力する自立した納税者の立場に立ち、「新しい日本」を目指して、新しい自民党として、国民とともに安心感のある政治を通じ、現在と未来を安心できるものとしたい。(ここまで)

 

この文章だけでも、「国家としての日本」を破壊してはならない、というメッセージは痛いくらい読み取れるはずだ。民主党に、党として、同様のメッセージを持つ勇気があるのか。

 

 



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