酒造コンサルタント白上公久の酒応援談 

日本文化の一翼を担い世界に誇るべき日本酒(清酒)および焼酎の発展を希求し、造り方と美味さの関係を探究する専門家のブログ。

味と時代(3)

2013-01-18 14:03:06 | 総合
昭和60年代平成初期 級別制度廃止
級別制度の混乱も極まり矛盾は覆いがたく平成元年に特級が廃止され、3年後に級別制度はなくなった。本醸造酒、純米酒、吟醸酒が高級酒として認知されるようになった。他方三倍増醸造酒の生産量も以前の半分くらいになり脱三倍増醸造酒の傾向が鮮明になった。大手酒造メーカーは三倍増醸造酒から手を引いていた。級別廃止の動きに応じて大手メーカーは設備の大型化に向かいコスト競争力を強化していった。地方にも有力な地酒メーカーが勃興した。

バブル経済の落とし子、吟醸酒の時代
昭和50年の中ごろ全国新酒鑑評会が金賞を出すことになり鑑評会の注目度が上がった。新たな品質基準の出現である。金賞を取れば全国から引き合いがあり小さなメーカーでもビッグネームになるチャンスなのだ。これはバブル経済の時最高潮になる。1升何万円もする酒は珍しくなかった。高ければ売れたよき時代であった。バブル景気さまさまも破裂すれば二日酔いのごとき憂鬱がくる。バブルのころは米が高かった。山田錦は1表(60キログラム)4万円前後した。それも入手困難だ。1キログラム670円。50%精米で1340円、YK35と言われた35%では1900円である。それに精米費がかかるのだ。
吟醸造りの革命
この時代は誰でも大吟醸を作れる革命の起きた時代でもある。魔法の技術はカプロンさんエチル(リンゴの香り、現代の吟醸香の主流の香り成分)高生産酵母の分離法発見と高グルコアミラーゼ生産麹菌の開発である。現在もより優良な酵母の開発は続けられている。

バブル経済が吟醸酒の認知度を一挙に高めるとともに本醸造、純米酒、吟醸酒の比率が飛躍的に高まった時代である。

味と時代(2)

2013-01-11 13:04:31 | 総合
昭和50年代。品質・価格の激動混乱始まる

昭和50(1980)年代に入ると甘さ(日本酒度)が最小(マイナス)のピークを付け以後辛口に向かう。この頃は小売価格が乱れ2本付きとか3本付き(10本入り木箱にオマケとして)、5本付きという話も聞いた。この頃はまだ調合酒(普通アルコール添加酒と三倍増醸造酒の調合)の時代である。本醸造酒がボチボチ出始めたころである。日本酒業界の価格破壊と品質競争の始まりが昭和50年代である。後半に低価格酒が登場しはじめやがて紙パック酒へと移っていく。2級酒は価格競争の結果、品質玉石混交の時代で消費者は迷惑だったろう。品質と価格に対し消費者が疑問を抱き

注 三倍増醸造酒については過去に書いたが、この頃日本酒に対する誤解が広がり日本酒とは三倍増醸造酒であるとか、合成アルコールが使われているかのごとき他社の酒を誹謗する同業者が現れたのは誠に情けないことである。それをマスコミが拡大した。誤った情報を真実と思っている消費者がいまだにいる。自傷行為による傷は深かったのだ。この時代はマスメディアの日本酒バッシングは最高潮を極めむしろ酷かった。まともな話もあるが言いがかりと言うか法律に違反していないことにも営業妨害と受け取れる記事もあった。例、某大手酒造会社の酒は80%が未納税移入酒で自社生産ではない。今ならOEMは悪であるというふうな論調である。社会面見開きに大きく書かれた記事によりこの会社は大打撃を受けた。私はこの新聞を取っていない。子供にも言い聞かせている。

注 合成アルコールとはエチレンから作る合成アルコールで、清酒に使われているアルコールはサトウキビ由来のアルコールである。

注 級別制度は価格統制を前提として成り立っていた。この頃は価格統制がない時代であったにも拘わらず級別の税率が対応しておらず想定外の変なことが起こった。特級酒より値段の高い2級酒の登場である。なぜかというと酒税は2級は従量税のみ、1、特級は従量税と従価税の2本建てだった。たとえば特級はある価格までは従量税のみであるが、その価格を上回ると上回った価格に応じた税金が課せられ、価格の上乗せ分のほとんどが税として徴収される懲罰的な税制度であった。一方2級酒は価格をどれだけ上げても税金は一定であるので価格の上乗せ分は全て業者側の手取りとなった。特級酒で製造原価の高い商品を出すことは不可能で(あるメーカーはあえて多額の税金を払って高価格品を出していた。銘柄のイメージを税金を払ってまで守りたかったのだ)品質と価格の面で級別制度に混乱が顕著に生じたのが昭和50年代である。

注 無鑑査(酒) この頃出現した。本醸造酒規格の酒を2級酒で出し品質は特級酒より上だと宣伝。消費者によっては特級酒より2級酒のほうが高級と思う人まで出た。混乱も極まった感がある。


安すぎるワイン

2013-01-07 17:25:57 | 総合
本日(1月7日)の日経夕刊1面に輸入ワインの記事が出ている。輸入量は前年比3割増、店頭価格は1割安だそうだ。輸入統計では昨年1~11月の750ミリリットル瓶1本の平均輸入額は340円、フランス産は517円、スペインやチリ産は200円を切っているという。小売値では500~600円。確かに近所のスーパーではカリフォルニア、チリ、アルゼンチン、スペイン、イタリア産が安い時は500円である。品質はプレスランの重さがあり素晴らしいとは言えないがブドウ味は充実している。ほとんどのワインにはブドウ品種名が記されビンテージイヤーの記された物もある。
輸入価格が200円というのはどういうマジックなんだろう。酒税を除けば140円だ。瓶詰経費、輸送経費(中国が輸出した帰り船の輸送費は安いらしい)だけでも相当かかる。日本で詰めたら中身は0円でも困難だろう。輸入ワインの中身は数十円?。円高の効果でこうなったのか。
ワインはなぜか税金面で優遇されている。清酒並みにする時代はとっくに来ているのではないか。担税力は十分にある。

味と時代(1)

2013-01-05 09:11:35 | 総合
日本酒の味の変遷は社会状況に伴い変化している。
古い時代、戦前は辛口がほとんどであった。この当時の酒造技術では甘口酒を造るのが難しい時代甘口酒は高級酒の証でした。また、この時代は小売り免許がなく、誰でも酒を売ることができ原酒を仕入れ水で薄めて売っていました。そのため、薄めすぎ金魚が泳げると揶揄される酒もあったようです。どれだけ玉割り(薄められるか)の利く酒が良い酒(小売が儲かる)とされていました。この当時の有名な酒造りの先生に杉山さんがいました。杉山流といい徹底的に醪を溶かすことに主眼が置かれていました。杉山流の造りをしている蔵は昭和55年ころ訪れきましたが、ウワサに聞いたほどではありませんが片鱗は残っていました。

初めてお酒を経験したのは10歳くらい(昭和30年代前半)で口に入れるとアルコールがカーっときて甘さは感じませんでした。おちょこ一杯の初体験でした。匂いの記憶はかすかに残っているのですが現在の酒で同じような酒は見当たりません。この当時の酒は戦前の造りの名残があり、醪を徹底的に溶かした普通アルコール添加酒と甘い三倍増醸造酒の混和酒でありました。米は黒く(75~78%)粕歩合が20%くらいで上品さより飲みごたえ(ゴク味)優先だったのでしょう。また、この頃は米が黒いことと濾過に使う活性炭素の量が次の時代より少ないのでいろいろな味や香りがあったのかと思います。

酒造りと関わるようになった昭和40年(1970年)代後半は日本酒の甘さがクライマックスに達する頃で未納税酒全盛のころでした。甘さはどこから来るのかと言えばやはり三倍増醸造酒です。甘さが美味さという時代だったと思います。製造数量も最高に達していました。この時代のもう一つの特徴は徹底した濾過すなわち活性炭素を使った無色透明な酒です。製造から出荷までキロ3キロというメーカーもありました。すなわち生酒で酒1キロリットルに活性炭素1キロリットル、火入れ前に同量、出荷前に同量の活性炭素を使うというものです。米の味は大きく失われ香りは良いもの悪いものも取られ正体がはっきりしないものの消費者から文句のつけにくい酒の時代でした。このような酒造りはメーカー主導でなく大手卸主導でありました。現在も大手卸主導の酒は同様の傾向(活性炭素は昔のように大量に使われていない)と認められます。リスクをとらない酒造り&酒販売の始まりです。

つづく